Kataro ホームページ 「 河太郎 」 第 34 号 平成 25 年 ( 2013 年) 6 月 1 日

湘味会 ( 13 ) 信州の旅

矢野 鐵男

 穏やかで薄い曇り空が広がり、湘南新宿ラインで新宿駅には 9 時 30 分、蓼沼先生ご夫妻を始め、小倉会長、大岩、小林、末永、永瀬、松島、安田さん、矢野が集まりました。

6 月 20 日  JR 新宿駅 〜 松本 駅〜 松本城 〜 美ヶ原高原 〜 八島ヶ原湿原 〜 霧ヶ峰 〜 車山 〜
       白樺湖 〜 白樺ビューホテル

6 月 21 日 女神湖 〜 立科町 〜 蓼科牧場 ( たでしなぼくじょう ) 〜 東御市 ( とうみし ) 〜 雷電くるみの里 〜 湯の丸高原 〜 つつじ平 〜 嬬恋村 〜 佐藤養魚場 〜 バラギ高原 バラギ湖 〜
       グランナチュール浅間高原

6 月 22 日 中之条町六合村・ふれあいの家 〜 草津温泉 〜 長野原町 〜 北軽井沢 〜 浅間牧場 〜 白糸の滝
       〜 軽井沢駅


6 月 20 日

 新宿駅 10 時発、松本駅に向かう 「 あずさ 11 号 」 は、乗客が少なく、ゆったりまとまって座り楽しい話が流れます。杖をもって笑顔を絶やさない永瀬さん、頑張りに敬服します。 11 時 25 分、交付駅を過ぎ諏訪湖の好展望を楽しんでいると、間もなく松本駅です。駅前でレンタカー 2 台を借用、先生と小林さんの運転で長野県、群馬県のドライブにスタートです。昼時なので近くの大名通りに入り、レンタカーを松本城大手門駐車場に預けます。

 大名通りに戻り、女鳥羽川 ( めとばがわ ) 沿いに並ぶ古風な感じの、縄手通り ( なわてとおり ) 商店街に入ります。江戸時代風の 40 軒ほどの店々を見ながら、そば処 「 弁天本店 」 に入ります。カウンター横に張られた、 「 弁天で知った 手打ちの そばの あじ 」 。神州の美味しいそばに満足して駐車場に戻り、松本城を一周します。

松本城

 松本城の歴史は 1334 年、甲斐の小笠原氏が信濃の守護として深志城を築きました。 1550 年には、武田信玄が小笠原氏を駆逐し、 30 年間にわたって信濃の攻略拠点にしました。その後、武田氏は織田軍に追われ、小笠原氏が旧地に復帰して松本城と改称しました。黒門から城内に入ると、五重天守閣としては日本最古の城郭があります。約 30 m の五重六階の天守閣を中心に、乾 ( いぬい ) 小天守、渡櫓、辰巳附櫓 ( たつみつけやぐら ) 、月見櫓の 5 つの建物が複合連結しています。

 暗く天井が低い階、明るく高い階と変化があって、実戦を想定した築城目的が伝わってきます。窓は少なく、窓に代わって弓や鉄砲を撃つ正方形の鉄砲狭間 ( はざま ) や、長方形の矢狭間が整然と配置されています。天守一階の四隅には、石落としと呼ばれる張り出しの開口部があって、石垣を登る敵には石を落とすよう造られています。天守五階への階段は狭くて急勾配、加えて階段の間隔を大きくし、敵が容易に上がれぬよう工夫されています。最上の天守六階は余り広くはないですが、四周の好展望が楽しめます。

 東西南北に広がる山塊や、点在する史跡、美ヶ原高原や北アルプスが分かるよう写真が用意されています。松本城を後にして美ヶ原高原に向かいます。美ヶ原温泉を過ぎ登り道が続くと、アザレアラインに入り、三城牧場の近くを走ります。鮮やかなレンゲツツジが目を引き、扉峠で松本市と別れてビーナスラインに移ると、美ヶ原高原に入ります。

美ヶ原高原 と レンゲツツジ
原

 美ヶ原高原は八ヶ岳中信国定公園の北部で、 2000 m 前後の標高、面積は 5 平方 km に及ぶ広大な高原台地です。最高地点は 2034 m の王が頭 ( おうがとう ) を中心に、王が鼻、茶臼山、牛伏山 ( いしぶせやま ) 、物見石山、鹿伏山、焼山などの峰々が高原の周囲に並んでいます。南面は鉄平石の断崖となり、山城 ( さんじろ ) 牧場や薄川 ( すすきがわ ) の谷に落ち込んでいます。高原には 400 f の牧場があって、最盛期には 70000 頭の牛が放牧されています。尾崎喜八の詩、 「 美ヶ原溶岩台地 」 の冒頭に、 " 登りついて不意に開けた眼前の風景に、しばらくは世界の天井が抜けたかと思う " というほど、感動的な景観が広がります。

 さえぎるものの無い展望は、北アルプス、中央・南アルプス、富士山、八ヶ岳連山、秩父連峰の山塊が大パノラマとなって現れます。高山植物の宝庫としても知られ、その数は 140 種を超えると云われています。壮大なドライブ、右には標高 2000 m に近い三峰山を眺めながら和田峠を越えると、八島が原湿原です。霧ヶ峰の中では最大の高層湿原で、尾瀬よりも発達していると云われています。形成には 1 万 2000 も費やしたとされ、学術的にも貴重だそうです。

 湿原内には、八島ヶ池、鬼ヶ泉水、などの池があります。ここを通り過ぎると霧ヶ峰の中央部と車山です。霧ヶ峰は主峰車山、標高 1925 m を中心にして噴出したアスピーテ型火山で、東西 10 km 、南北 16 km の広がりを持っています。そのほとんどが草原で、標高 1500 m から 1700 m にかけて緩やかな起伏が展開されます。この草原の雄大さと素晴らしい眺望、景観は、わが国でも屈指のものとされています。気候は大陸的で夏の最高気温は 25 ℃ 前後、南または南南西の上昇気流のために霧の発生が多く、地名の由来ともなっています。

 このような地形、気象条件は植物相を極めて豊かにし、トレッキングや自然観察、野外学習に最適です。大展望が広がる車山の頂上へは、スカイライナーで 6 分と、スカイパノラマ 8 分を乗り継げば、ほとんど歩かずに登山できます。富士山をはじめ浅間連峰、八ヶ岳連峰、日本アルプスなど、 360 度全開の素晴らしい山岳展望は多くの人を魅了します。山頂に建つ車山気象レーダー観測所は、立方体の黒い建物の上に真っ白なドームを乗せています。真っ青な空によく映え、霧ヶ峰のどこからでも見えて車山の目印になっています。

 車山ビジターセンターで車山、霧ヶ峰の自然、四季の彩りを学びます。眼下に見える白樺湖へのドライブが今日の最終コースです。白樺湖までは 30 分ほどの道程にスタートすると、途中で、旧中山道と同じ幹線道路の大門街道に入り、最高所で交通の要所の大門峠を越えます。この峠を下ると間もなく白樺湖、湖畔に建つ赤い瓦屋根の欧風建物の白樺ビューホテルに入ります。

 静かに広がる湖畔を眺めながら一休みして、温泉に入り疲れを流し6時から食堂で夕食です。湘味会借り切りの部屋に落ち着き、バイキングの夕食が始まります。料理教室で学んでいる仲間ですから、皆さん考えて料理をテーブルに飾り、酒類は飲み放題に喜びながら配膳が終わって、小倉会長の乾杯で夕餉が始まりました。

白樺湖

 周囲 6 km の細長い人造湖で、湖面の標高は 1420 m です。現在は観光開発が進み、白樺湖を中心とした一大リゾート地として知られていますが、もとは農業用水を確保するために建設された人工の温水溜池です。完成当初は、蓼科大池 ( たでしなおおいけ ) と呼ばれていましたが、 1950 年代からボートやスケート場などの娯楽設備が整えられ、白樺湖に改められました。この地域はシラカバやカラマツ、アシなどの植物が茂る静かな高層湿原だったので湖名になりました。

白樺湖

 現在の湖周辺にはスキー場やホテル、遊園地やゴルフ場があって、長野県下有数のリゾート地になっています。冬には、凍結した湖面上でワカサギ釣りに大勢の人が集まるようです。湖畔には、国道 152 号やビーナスラインが走っています。


6 月 21 日

 ホテルの湖畔に立つと蒼天、ドライブ日和に笑顔が浮かびます。湖面には小さいさざ波が左右に流れ、カモメでしょうか、ツガイが仲良く泳いでいます。対岸の丘陵には霧がかすかに流れ、山塊は緑に覆われています。周りの木々の枝葉は左に揺れています。朝食を済ませ、揃って白樺湖を背景に写真を撮り、 9 時出発、湯の丸高原に向かって、今日の車の運転は先生と安田さん、女神湖を目指します。右方に高原の象徴的存在の蓼科山 ( たでしなやま ) ・標高 2530 m が迫ります。八ヶ岳連峰の最北端に位置する孤峰で、諏訪側から望む美しい円錐形の山容は、諏訪富士とも形容されるほどです。

 岩塊に埋めつくされた山頂は、円形で直径が約 100 m 、わずかに噴火口がくぼみ、火山であった名残を感じさせます。くぼみには、蓼科神社奥宮の石祠が祀られています。山頂から 360 度の展望は、八ヶ岳連峰、南北アルプス、中央アルプスの大パノラマになっていて素晴らしいです。その山容にふれながら、白樺湖と隣り合っている女神湖に入ります。標高 1540 m 、周囲 2 km の湖は白樺湖と同じで、赤沼平湿原をせき止めて生まれた、静かで神秘的な人造湖です。女神の山と呼ばれる蓼科山からの水をたたえるので、女神湖と名付けられました。

 朝もやに覆われる早朝は神秘的に、太陽を浴びる日中は爽やかに、夕日を映すたそがれ時は優雅に、刻々と輝きを変える湖です。女神湖から蓼科牧場へと続く、女神湖通りには、個性的なレストランやショップが並んでいます。これから女神湖を後にして 40 号線で立科町を北上、東御市(とうみし)の東部ICから、湯の丸高原に進路をとります。今走っている立科町は、東に佐久市、北は東御市、南には茅野市に接し東西 10 km 、南北に 26 km と南北に長い町です。

 北部では稲作を中心として、リンゴや野菜、畜産などの農業が盛んです。南部の高原地帯は、蓼科山の北西に白樺湖と女神湖、そして蓼科牧場を有する一大リゾート地です。間もなく蓼科牧場なので一休みします。蓼科牧場は白樺高原のメインステージです。なだらかに広がる牧場はのどかな雰囲気に包まれ、夏はハイキングのメッカ、冬は国際スキー場として多くの人が集まります。

 目の前には沢山の牛がゆったり草を食べています。蓼科ふれあい牧場では、羊やミニブタ、ウサギなど可愛い動物が放牧され、触れあうことができるようです。 「 もうもう売店喫茶 」 のアイスクリームの美味しいこと、皆さん飛び付いています。車は静かな 40 号線を北上し、長門牧場や蓼科温泉を通って東御市に入り、浅間サンライン沿いの道の駅、 「 雷電くるみの里 」 に入ります。

雷電為右衛門

 天下無双の大力士雷電は、明和 4 年 ( 1767 年 ) に当地の大石村 ( 現東御市 ) に生まれました。この近くに生家も現存し、幼名太郎吉は、江戸相撲の浦風林右衛門に相撲取りとしての才幹を見込まれます。 17 才で江戸相撲に入ると、恵まれた天与の素質に加えて、熱心に稽古に励んだ甲斐あって、寛政 2 年 ( 1790 ) には関脇に突き出されて優勝しました。寛政 7 年には大関に昇進し、実に 16 年・ 27 場所の長きにわたり大関の栄位を保持し、 9 割 6 分 2 厘という、古今最高の勝率をあげました。雷電の力と技と学徳の傑出を知った松江藩の当主、松平治郷は、雷電を松江藩に召抱えました。

 雲州関為右衛門と自からも称し、藩務にも精を惜しまず、引退後は松江藩相撲頭取になりました。この展示館で親孝行の逸話や、相撲取りとして抜群の力と技を持っていたほかに学才に富みかつ、豊かな人間味の人であることを知り感銘を受けました。展示館を後にして浅間サンラインに入り、別府の交差点を右折して 94 号線 ( 東御嬬恋線 ) で、約 10 km の湯の丸高原に向かいます。上りの道はシラカバやカラ松が多く、所々に観音様が建ち静かな山道です。

 観音様は百体観音石造町石といい、東御市新張から湯の丸高原の地蔵峠を越え群馬県旧鹿沢温泉までの山道に、一番から百番まで 110 m ごとに祀られました。間もなく茶褐のにごり湯で評判な、一軒宿の奈良原温泉を通って湯の丸高原に入り、駐車場で休みます。

湯の丸高原

 湯の丸高原は、浅間連峰の西側にあってその名のとおり丸く穏やかな表情の峰々とさわやかな亜高山帯の気候がおりなす一帯は、 「 花高原 」 として親しまれています。全国的にも有名なつつじ平のレンゲツツジの大群落 ( 約 60 万株 ) は、国の天然記念物に指定されています。毎年初夏 6 月下旬には、湯の丸山の山肌を鮮やかな朱色のジュウタンのように染め上げます。周辺の山々は比較的登りやすい山容、雨の少ない安定した気候、抜群の展望から初心者も安心して登れる山として人気があります。

 湯の丸から西側、烏帽子岳への縦走は、上信越の山々と上田盆地を見渡せる絶好のトレッキングコースです。烏帽子岳は、湯の丸、浅間山系の最西にそびえ、古の貴人の被る烏帽子 ( えぼし ) のように尖った頂上の形から、その名がついたと云われています。秀麗な山姿は、東信州のほとんどの地域から望め、親しみをもって ( エボシ ) と呼ばれています。東の篭ノ登山 ( かごのとやま・東篭ノ登山、西篭ノ登山 ) とは不思議な名前ですが、その昔山が信仰の対象であった頃、天に最も近いという意味から、 「 加護の塔 ( 神の力を授かる高い場所 ) 」 と名付けられたと云われています。

 湯の丸高原駐車場で小休止して、これから湯の丸高原一番のレンゲツツジの見所 「 つつじ平 」 に登る、リフト乗り場に直行します。 2 人乗りのリフト、先生と奥さんのリフト写真を撮ったり、四周の景色を楽しみながら終点は、つつじ平です。少し歩いて柵の中に入ると 60 万株が咲き誇るレンゲツツジの大群落、天然記念物にも指定されています。今は満開でつつじ祭の最中、鮮やかな紅色が一面染め上げ優れた景観に感動します。レンゲツツジは高さ 1 〜 2 m の落葉低木で、つぼみが蓮華のようなので名付いたのでしょう。美しい世界の散策を楽しみ下山しました。湯の丸高原を出ると隣は嬬恋村です。

嬬恋村 ( つまごいむら )

 村の歴史は、村内各地から発見される石器や土器などから、約 6000 年前の縄文時代にさかのぼります。以来関東地方と中部高地の両縄文文化の影響を受けて、著しい発達を遂げました。平安時代になると集落が形成されるようになり、海野氏などの支配者が続きます。天和元年・ 1681 年には幕府直轄領になり、明治維新を迎えます。明治 22 年の市町村制の施行に伴い、当時の田代、大笹などの 12 村が合併し現在の嬬恋村が誕生しました。

 村名の由来は次のとおりです。日本武尊 ( やまとたけるのみこと ) の東征中に、海神の怒りを静めるために、愛妻の男橘媛 ( おとたちばなひめ ) が海に身を投じました。その東征の帰路、今の鳥井峠にお立ちになり、無き妻を追慕のあまり、 " ああ、わが妻よ、恋しい " とお嘆きになって妻をいとしまれたという故事にちなんで、嬬恋村と名付けられました。群馬県北西部の嬬恋村は、東は長野原町、草津町に、西と南、北の三方は長野県に接しています。東部を除く外周には、浅間山や湯の丸、吾妻山 ( 四阿山 ) や白根山など標高 2000 m 級の山々が連なり、日本の大分水嶺をなしています。

 村の中央には吾妻川が流れ、集落の大部分はこの流域に散在しています。この度お訪ねしたお宅は、 2008 年の信州の旅の時お世話になった、先生ご夫妻とご懇意の佐藤養魚場さんです。佐藤さんは養魚場と釣り堀、造園業など手広く事業をされています。お元気な佐藤さん、奥さんにご挨拶をして、広々とした庭園を見せて頂き、池に面したテーブルにくつろぎました。

 奥さんを囲み、飲み物やお菓子を頂きながら庭園の花々や山菜、嬬恋村の色々な話を伺いました。帰りにはイワナなどの川魚、生シイタケやフキと山菜の煮物などを頂き、ご厚意に感謝しお別れしました。これから近くの、標高 2364 m の吾妻山 ( 四阿山・あずまやさん ) の東麓に、のびやかに広がるバラキ高原、美しい高原の中央に水を満々とたたえるバラキ湖に行きます。

バラキ高原 バラキ湖

 嬬恋村を訪れるたびに立ち寄る、景観や植物が素晴らしい高原と湖を周遊します。バラキ湖は 1979 年に造られた周囲 2 km の人造湖で、ボート遊びや、釣り、湖畔を巡る散策、サイクリングなどが楽しめます。春季にはキャンプ場がオープンし、冬はスキー場や湖面の氷に穴をあけてのワカサギ釣りに、大勢の人が集まります。

バラギ高原 バラギ湖

 バラギ歩道には、湖周遊コースや湖周辺を巡る、バラキ湖探勝コースをはじめ色々なコースがあります。湖周遊コースは、若い人で一週が目的では 30 分ほどですが、湘味会はレンゲツツジをはじめ花々や山野草、四囲の景勝を見ながら回ると 1 時間ほどです。私達が訪れたこの時期、春の花やレンゲツツジが咲き始めました。今週末は、恒例のバラギ高原山開きです。

 例年レンゲツツジが満開になる頃にと、 6 月の第 2 日曜日に開催されます。この時期は嬬恋村のスポットの一つがバラキ湖のレンゲツツジです。松島さんはレンゲツツジの美しさに感動しているのでしょう。こまめに歩きながら楽しんでいるようです。バラキ湖の周遊を楽しんで、今日のスケジュールは終了しました。帰り道では、今夕の料理教室の食材を探し求めマンションに入りました。

グランナチュール浅間高原

 広々として白樺と緑に囲まれ、カラフルな花壇、パーキングやゴルフ場を備えた大型のマンションで、先生ご夫妻のコテージ兼アトリエがあります。正面から入るとロビーにはピアノが置かれ、ゆっくりくつろげるリビングルームに落ち着きます。一階には、温水プール、温水大浴場と露天風呂、ランドリー、ゲストルームがあります。

 二階は、アスレチックルーム、クラフトルーム、多目的ルームやカラオケルームなどの付属施設があります。今日泊まるゲストルームで浴衣に着替え、温泉で旅の疲れを流します。一休みして楽しい夕食の料理教室です。クラフトルームで下ごしらえをして、先生のお部屋で料理を作り上げていきますが、先生と奥さんが材料や料理もベースは用意され感謝感激です。

野菜はお浸し、煮物類、山菜は合いものや煮物など、魚はイワナの焼き物などがテーブルに並び、田中さんが選んだ地酒が揃います。小倉会長の乾杯で会食が始まります。天ぷらはサツマイモ、ニンジンなどの野菜類、ヨモギ、コゴミ、ヤマウドなどの山菜を揚げながら頂きます。山野草など、先生と奥さんの手にかかると、鮮やかな姿になり、美味しい料理になるので勉強になります。楽しい夕餉は、ゲストルームでも続きます。


6 月 22 日 朝食はガーデンに、先生と奥さんの手作り料理が並び感謝します。澄み切った青空に、優姿を浮かべる浅間山を眺めながらの食事は時を忘れます。ゲストルームに戻ると、早々と大岩さんが部屋の掃除を終えていました。今日のコースは中之条町の六合村、草津温泉をまわって、日本ロマンチック街道・ 146 号線で南下します。北軽井沢、白糸の滝を通って軽井沢に向かいます。

  10 時出発、末永さん、小林さんの運転で吾妻線が走る長野原町に入り、北に向かって上信越高原国立公園の中之条町の六合村 ( くにむら ) に到着、 「 ふれあいの家 ( 案内所・直売所 ) 」 駐車場に降ります。この村に入るまで六合 ( くに ) とは読めず、村の古老にお聞きして納得しました。

六合村 草津温泉

 六合は明治 33 年・ 1900 年に草津町と分村し、赤岩、日影など 6 っの集落が合同して ( 合わせて ) 六合となりました。平成 22 年 3 月には中之条町と合併し、広大な自然と歴史を持つ地域となりました。六合をなぜ、クニと呼ぶのでしょうか。これは 「 天地四方をもって六合と成す 」 にちなんだ地名として名付けられました。

 温泉は赤岩、応徳(おうとく)温泉など 6 っの湯、六合温泉郷があります。ふれあいの家一帯は緑におおわれ花盛りです。赤いコマクサや花色が緑黄のアルクミラ、青色のアヤメやジャーマンアイリスが目を引きます。近くには道祖神や毘沙門天堂が立ち、湯本本家住宅が建っています。

 湯本住宅は、赤岩地区の中でも特徴的で珍しい 3 階建ての民家です。 2 階には、蘭学者の高野長英がかくまわれていたと云われる 「 長英の間 」 が残されています。花盛り、山盛りの神秘の郷を後にし、隣り合わせの草津温泉に入ります。日本を代表する名泉の一つで江戸時代には当時の最高位である東大関に格付けされました。源泉は公的に管理している大源泉は 6 っで、他はホテルなどが所有している小源泉が多数存在します。自噴する温泉の湯量は極めて豊富であり、湯温は摂氏 50 〜 90 度前後もあります。

 湯畑 ( ゆばたけ ) は温泉街の中心部に湧く源泉で、周囲はロータリー状に整備されています。湯が滝のように湧き出る光景は全国的にも少なく、夜間のライトアップも期間限定で行われ、観客を楽しませています。温泉街には、熱の湯、地蔵の湯、白旗 ( しらはた ) の湯、煮川 ( にかわ ) の湯など大小様々な源泉があります。白旗の湯は、源頼朝が発見したという由緒ある温泉です。

 この温泉を引いている宿泊施設は、 10 軒程度しかなく希少価値は高いですが、湯畑横の共同浴場 ( 白旗の湯 ) では気軽に楽しむことができます。温泉街のメインストリートは湯滝通り、この通りには宿、飲食店、酒屋、ケーキ屋、おみやげ屋が並びます。湯滝通りと平行の通りも、おみやげ屋などがあって湯滝通りと似ています。

 我々は中心街をまわり、 「 柏香亭 ( はくこうてい ) 」 の蕎麦屋さんで昼食をとります。美味しい群馬のお蕎麦に満足です。店内の、 「 歩み入る者にやすらぎを 去りゆく人にしあわせを 」 、見ながら店を出ます。帰りのコースは軽井沢に向かって、長野原町の大津で 146 号線に入ります。

湯畑

  146 号線は長野原町から軽井沢町に至る国道で嬬恋村を通り、白糸ハイランドウェイや鬼押ハイウェイと接続します。しばらく走って北軽井沢を通ります。調べてみたら軽井沢とは関係はなく、浅間山北麓に広がる長野原町西南部の集落で、嬬恋村に接しています。至る所に高原野菜の直販所があり、酪農が盛んなようです。

 さらに南下すると右手遙かに鬼押出し園、左に浅間大滝、ここを過ぎて左に浅間牧場があります。この牧場はスケールが大きく、浅間山東北東の山麓に広がり標高は 1300 m 、北海道北部に匹敵する気候で総面積は 800 f あります。春と秋に 6 ヶ月齢以上の健康な育成牛を、県内農家から預かります。放牧期間中は約 700 頭、冬は 400 頭の牛を飼育し、足腰のしっかりした丈夫な牛を育てています。

 牧場を過ぎて間もなく、 146 号線に合流する白糸ハイランドウェイに移ります。白糸の滝を通ると大勢の人、沢山の車が集まって大変な賑わいです。湘味会は平成 12 年 6 月の信州旅行会のとき軽井沢駅で下車し、最初にこの白糸の滝を訪れました。伊橋さんは素晴らしい白糸の滝に感激し、奥さんとお話していることが思いだされました。小瀬、旧三笠ホテル、から松並木を走って、軽井沢駅に無事到着し信州、群馬の旅は終わりました。先生ご夫妻と小林さん安田さん末永さんにお世話になりました。有難うございました。

Updated 31 October , 2019