Kataro ホームページ 「 河太郎 」 第 34 号 平成 25 年 ( 2013 年) 6 月 1 日

巻頭言

長谷川 隆次

 今年あらためて十年日記帖を求めました。一ページを十段に分け一段目は平成十五年一月一日、二段目は平成二十六年一月一日、十段目は平成三十四年一月一日、最後の三百六十六ページ十段目は平成三十四年十二月三十一日で終ります。果して途中で以下余白になってしまうかも知れません。十年前この十年日記帖なるものを頂戴しました。以来十年間以下余白にならず毎日毎日何かを書きつづって来ました。それは私と私が関りあった周りの人達の記録です。私の歴史です。
 五月の連休は生きているかぎり間違いなくやって来ます。十年前の五月五日、五年前の五月五日、この十年日記を見ると甦って来ます。過ぎ去った時間は速く感ずるものです。そんなことを思っていた時、あたかも釧路の人口は、権威ある研究所の研究によれば十一万人になると新聞で報道されました。私の生きている間のことではありませんが、何十年かかって人口十一万人まで落ち込んでしまうということです。権威ある研究所の結論です。我々釧路人はこの結論を真摯に受けとめその事を真剣に勉強し、釧路としての方策を見つけ出さなければならないことです。
 鰐淵さんが市長の時 「 人口が減るということは背骨を削がれる想いだ 」 と云ったことを想い出します。およそ人口は、そのマチの力を現していると云ってもいいでしょう。
 私は常々 「 郷学 」 というもの、その重要性を考えていました。 「 郷学 」 とは、郷土の学問です。釧路の成り立ち歴史を学ぶことです。以前釧路市はこのことをやったことがありました。それは、昭和三十八年に出た釧路市総合計画を作る為に一年間かけて基礎調査をしました。政治、経済、文化は固より総てを網羅した調査でした。そしてその歴史の延長線上にあったのが三十万都市を想定た 「 釧路総合計画 」 でした。しかしこの計画は昭和四十年に誕生した山口哲夫市長に依って抹殺され、以来日の目を見ることなく忘れ去られてしまいました。あの計画を実行していたならば釧路は今と違っていたでしょう。痛恨の極みです。
 横澤一夫さんが、日本銀行釧路支店のこと、林田友則さんのこと、末広歓楽街のこと、徳田廣先生の、釧路に於ける音楽鑑賞活動の流れの中で、渡邊源司さんが、釧中・湖陵校歌、釧路政界往時茫々、そして渡部五郎さん、北村義和さん、浅川正敏さんのことを書きました。各々皆釧路の歴史を綴ったものです。歴史を辿って行くと必ず人材が浮かび上がって来ます。歴史は人間が作るもの、人間の歴史です。 「 歴史を学んで歴史に学べ 」 です。
 凡そ歴史は客観的な学問です。歴史の事実は誰にとっても事実です。例えば年表は誰が学んでも同じです。年表は歴史学の重要な一部分ではありますが只それを知るだけでは大した意味を持ちません。その年表に出て来る事実が如何なる原因によって起ったのか、そしてその出来事が社会にどの様に作用し社会が変わっていったのかを学ぶのが歴史です。しかしその意義の評価が各人各様であっても不思議はありません。例えば昭和二十年八月十五日は終戦の日です。誰でも知っている誰にとっても終戦の日です。しかし日本国、日本人にとっては敗戦の日です。そして米国にとっては勝利の日です。敗戦した我々日本人にとって敗戦した事実は皆同じですがしかしその意義は亦各人各様でした。
 歴史的事件は、そうなるための色々な原因があったはずです。そしてその結果が亦原因となって亦色々な原因を発生させます。それを論理的に開明するのが歴史に学ぶことです。歴史は時間の積み重ねです。人類が地上に現れて 20 万年、特に人間らしい生活が出来る様になって五千年、来つる所歴史の学問は時に関する学問研究と云っていいと思います。そして亦歴史には地理が深く関りあっています。時間を縦軸に場所を横軸として歴史が積み重されてゆきます。もう一つ重要なのは距離の評価です。例えば仏教伝来にしてもインドから中国へ中国から日本へと永い道程を経て日本に伝えられました。滅法長い距離、滅法永い時間を要したことでした。古代はこの様に緩慢な動きによって長い時間をかけて達成して来ました。その出来た成果は現代と比較する事は出来ません。何故ならこの現代の急激な社会の動きの裏に、本当に人間のために有益な進歩が果たして、どれだけ出来えたかを見なければならないからです。
 近代が始まる頃から科学としての政治、経済、社会、歴史、文芸等人文科学が成立しました。これは取りも直さず徳と知の分離でした。科学的発見者は人格的に関係なく発見したことを賞賛されます。こうした近代科学は人間に豊かさをもたらしました。亦政治学、経済学等社会科学についても同様です。 「 徳ある人格者は必ず知あり 知ある者は必ずしも徳あらず 」 かしこい人 とすぐれた人の違いでしょうか。
  「 郷学 」 にもどります。文明には未開、半開、文明の三段階があり、文明とは近代的な制度がととのっている事、民主主義的な議会があること、鉄道、道路など交通が発達している、新聞の様なマスメディアが発達している、そして言いたい事を自由に言える、コミュニケーションが活発に行われる、福沢諭吉の説明です。これに依れば釧路は文明都市に値します。福沢諭吉は言う、人という事が言いたい事を自由に言い、コミュニケーションが活発に行われ、人間交際が繁多になれば、そこから生き生きとしたエネルギーが出て来る。このエネルギーが力となり文明を発展させる、と。
 三人寄れば文殊の知恵、と言います。亦バカ 10 人寄っても馬鹿は馬鹿、〇× 10 は〇です。人が人を育てます亦自然も人を育ててくれます。釧路の自然が私達を育ててくれました。愛郷心の発露です。釧路を思った時先ず釧路の風景がイメージされます。幣舞橋とその後にある日本銀行の建物、非常に具体的です。釧路の愛郷心とは何だろう。我々にとって、どうして釧路が大事なのだろうか。どうして釧路が大切なのだろうか。釧路の何が大事で何が大切なのだろうか。愛郷心のあり様は各々の都市に依って異り、各々の都市には都市なりの愛郷心があるはずです。各々の都市が各々異った環境、歴史、文化を持っているのだから当然の事ですが日本は一民族一国家です、大きく異ることはありません、ほぼ同じと言っていいでしょう。そしてその郷土愛の延長線上に愛国心があるのに気がつきます。
 釧路は素晴らしい町です。この町の歴史を繙けば、釧路というわが町がいかに美しく立派で多くの先人の尊い努力が人を動かし、出会いは人を変えます。釧路は先に述べた人口問題にしても、政治、経済の問題にしても疲弊して出口が見えない状態に見えてなりません。今こそ愛する久代の歴史を繙く時ではないでしょうか。そこには必ず感動があります。感動が人を動かし、出会いは人を変えます。感動、感激のない人が、社会に於いて人物たることは出来ません。感動のない人生は無意味なものです。人生を飛躍させるもの、それは感動です。その感動が誇りとなり、その誇りが明日の釧路を切り開く力となると信じます。
 郷学に、どれが先、どれが後ということはありません。今こそ郷学を学ぶ時です。それが運命を創る最大の力です。

Updated 31 October , 2019