Kataro ホームページ 「 河太郎 」 27 号 平成 23 年 ( 2011 年 ) 8 月 1 日

釧路に於ける音楽鑑賞活動の流れの中で ( 20 )
徳田 廣

○釧路でも合唱活動が盛んになって来ているが、

①釧路混声合唱団 ( 佐々木春美団長 ) が結成 40 周年にモーツアルトの 「 レクイエム  」 、 45 周年にはフォーレの 「 レクイエム 」 に取り組み、団員 23 名と公募に集まった市民約 60 名が札響の団員らを招いて特別に編成されたオーケストラや 2 名のソリストと共演し、死者を悼むラテン語の可視を釧路市民文化会館に響かせ多くの人々が聴き心を慰ませた。
 加えて
②ヘンデル作曲による 「 メサイア 」 ( 聖譚曲 ) 演奏会 ( 釧根館内初 ) が行われたが櫻井啓一 ( 釧響主席チェロ奏者で釧響団長・混声合唱団コール・フロイデ指揮者 ) さんに今回の上演のことについてなどお願いしたところ、まことにご多忙の中、次のような貴重な記録を寄稿下さいましたので記します。

平和希求とメサイア

桜井 啓一

はじめに

 二時間三十分にも及ぶオラトリオ 《 メサイア 》 の全てを表しているヴァージル " 牧歌 " 第 4 巻に 「 いざ吾ら大いなる出来事を歌わん 」 との表題があります。
  [ 大いなる出来事 ] とは、唯一、人類の歴史に刻まれた主イエス・キリストの降誕・受難・復活、そして再臨を通して示されているキリスト教信仰の然内容と究極の意味にまで至る神によって創造される経綸のことです。其れをバロック期にドイツに生まれたヘンデルという類い稀な才能を通して音楽 《 メサイア 》 によって人類に与えられたのです。その作品を釧路のこの地で成したことを、イスラエル民族が四十年間にも亘って果たした 「 出エジプト 」 の苦難の旅路にも類する様子をここに記します。


合唱団との奇しき出会い

 今回の取り組みの発端となったのが七年前の 「 混声合唱団コール・フロイデ 」 との出会いにまで遡ります。音楽仲間であった前任の指揮者・山本日出良さんから指揮者を依頼され、自身が役立てるものであるならばと引き受けました。その折、フロイデ創立三十周年記念を四年後に控えているとの事を西池彰団長から伺い、その企画への参加も要請されました。その当時の合唱団としての仮題を克服するためにも意図的に対位法的な要素が含まれた楽曲を選定して活動の中に組み入れる必要性を感じ、企画や選曲じから計画的に組み立てることにしました。また一方、世界の合唱曲の八割をも占める宗教合唱曲への誘いというレパートリー拡大の側面からの切り込みも欠かせないものと考えました。これは演奏団体としての体質向上を願っての緒端でもありました。幸い、探究心に富んだメンバーにも恵まれ、試行錯誤しつつ進められる練習への原動力の任を負ってくださいました。


動き出したプロジェクト

 こうした状況の中で三十周年のプログラム作りが進められ、「 ハレルヤ・コーラス 」 を突破口に、過酷な取り組みの火蓋が切って落とされたという訳です。情熱だけに追いすがっての推進には限界もあり、土台となる 「 発声 」 の積み上げの必要性から、ヴォイストレーナーの要請を急がなければなりませんでした。其れを担ってくださったのが今回の全曲演奏会でもソロをお引き受け下さった菊地紅さんでした。以来五ヶ年間に亘って付き一度のレッスンをくり返しお続け下さって現在に至っています。
 菊地紅さんは道東で最もステージ回数が多い声楽家でsり、ヴェルカント唱法を追求されているすぐれたコロラチュラです。毎月のフロイデでのヴォイストレーニングでは常に基本に立ち返り、フォームづくりをベースに呼吸法からていねいに、そして高い要求のレッスンを組み立てて下さっています。アマチュアの集まりの中でのこうした取り組みは受ける側のスタンスが常に問題になるものです。団員自身の求めるものの鷹に左右される不安定さがある中での取り組みだからです。しかし、団員の数だけある歌唱技量の現在地点を勘案した類い稀なレッスンが展開されたことはいうまでもありません。こうした導く側の度量の広さに触発され、団員の中にはプライベートに入門を乞う姿も見受けられるようになったのも恵まれたことの一つといえます。


記念演奏会が残したもの

 さて、フロイデの 「 三十周年記念演奏会 」 のプログラムに 《 メサイア 》 第 I 部とⅢ 部の合唱曲十曲とソプラノ・ソロ曲を配し、三ヶ年を要したステージを生涯学習センター大ホールで行ったのがニ○○九年三月一日でした。パート間のバランスを含め、困難な課題を数多く抱えての取り組みでした。初めてのソプラノ・ソロとの練習時での音アワセでは、あまりのソロの見事さに聞き惚れ、自分たちの合唱の出を忘れてしまうことになったことも今となっては微笑ましく思い出されます。切磋琢磨しながらの当日の発表は団員の真摯で素直な合唱が公表で、達成感もこれまでになく気名者として一人一人のメンバーに受け止められたことは何にもまして喜ばしいことでした。


メサイア全曲演奏会への始動

 この達成感が1つの引き金となり、今回の全曲演奏へと引き継がれることになるのです。段の上京を具に見取ってきた者にとっては " 勇猛果敢な挑戦な " と言った麗しいコトバで表現できるものではなく、果たして漕ぎ着けるのだろうかという思いが心を掠めたことが今に至って思い返されます。到底手に負えないと思える巨大な山が立ちはだかっているのですから無理からぬ心境であったのです。
 その思いは演奏上のあらゆる部面に及ぶのは勿論、運営上想定される困難にも覆いかぶさってきました。立ち上げられた 「 実行委員会 」 自体の可能性も含め、財政面からの力に余る事柄もカバーしなければなりません。


数々の援助の手

 こうした自体に陥っている時に支援の手を差し伸べてく下さったのが中田幸吉官庁を初めとする市民文化振興財団のスタッフの強力で粘り強い支援でした。官庁には吹く実行委員長にも就任していただき、経理業務一切をサポートしてくださることになりました。補助金の申請にかかわっては様々な機関との折衝を一手に引き受けて下さったのです。その朗報が届くのが 「 結団式 」から半年ほど過ぎた頃のことでした。
 更に、運営面からの大きな助力を戴いたのが、吉田敦子顧問です。地域の政財界に幅広いネットワークを持ち、川畠成道実行委員会を五ヶ年に亘ってリードし続け、自身も日本舞踊の名取としてかつやくされるなど、文化創造に対する造詣が深い希有の人材を得て、各界を代表するメサオア全曲演奏会 「 顧問職 」 への要請にも尽力くださり、因に用に大きな支援を頂戴したのです。


「 釧路メサイア合唱団 」 結団の時

 こうした無私の志を持った方々のご厚意溢れるネットワークのもとに、 「 釧路メサイア合唱団 」 結成指揮に漕ぎ着けたのが昨年四月十四日でした。団員として百二十名の応募があり。これからの一年間の荒海に向けて船出をすることになりました。釧路市内の合唱団に所属する仲間は勿論、一念発起しての参加者も三分の一の人数を数えます。
 他に、十六名の札幌の合唱仲間も含まれます。この方達は 「 コーロ・ファーチレ 」 というイベントが商談で、チームとメサイアのステージをこれまで散会経験している優れて優秀な合唱愛好家チームです。その参加を事前に依頼した上で 「 結団式 」 に臨みました。


ファーチレとの絆と喜び

 これに遡ること二年。札幌でメサイア全曲演奏をファーチレが行うとの情報を得て連絡すると、アンサンブルチームのコンサートマスターが、かって釧路交響楽団にエキストラとして学生の頃から手弁当で駆けつけてくれ、現在江別市で無農薬栽培農園を経営する中で、農民オーケストラの立つ上げもした牧野時夫さんである事が分かり、チェロ・パートの一員として加わることを承諾してもらいました。札幌でのステージまで四・五回チェロを担いで練習に駆けつけましたが、ファーチレの合唱は音楽することをこよなく愛している姿がとても印象深く、よろこびに満たされた表現が確かな表現技量にうらうちされて紡ぎ出されるものでした。
 札幌での本番当日のステージは総勢六十名程のコーラス隊と十数名のアンサンブルチームでの演奏でしたが、遠くは東京からもメサイア・マニアと自称する男声も加わるほどの熱気に充ちたものとなりました。マエストロは東京からのプロを招聘してのものでしたが、ソリストは楽曲ごとにファーチレ団員が入れ替わる自由闊達で、実にアマチュアリズムに貫かれ、個々のコーラス隊の拠って立つ位置が船名に打ち出されるものとなったのも大きな励ましと鮮明な印象を売ることができました。観客として釧路からもフロイデ団員が十数名が会場に集い関心の高さが伺えました。そうした中での演奏と打ち上げ交流会を満喫して釧路の仲間と意気揚々と帰釧しました。こうした合唱仲間との絆は今回のステージ作りの基底に深く刻みつけられた意義深い交流の時でもありました。その後、ファーチレのメンバー数人が折々に釧路での練習に参加してくださることになります。


再び、「 結団式 」 場面へ

 さて、四月十四日 ( ニ○一○年 ) の 「 釧路メサイア合唱団 」 結団式では本番当日の指揮者・泉史夫さん ( 釧路交響楽団指揮者 ) も列席し、釧路の政財界関係者、市民文化事業関係者を含め、顧問職として三十五名の方々が名前を連ねて下さったのも大いに励まされるものでした。しかし、今後どの様な推移を辿るものなのか想定不能な様子を目のあたりにして不安を感じた型もいらしたのではないかと拝察されました。団員には年間スケジュールや練習方法をご理解いただき、一同で 「 ハレルヤ・コーラス 」 の初声アワセを行いました。中には日本語での表現に戸惑いを持った方もいたようですが、その朱子はこれからの練習の中で理解を深めて戴くことにしました。


なぜ 「 自国語 」 の演奏なのか

 「 自国語 」 での演奏に拘った理由には次のような背景があったからに他なりません。ドイツ生まれのヘンデルが英国に帰化し、ジェネンズの脚本でメサイアの作曲を手がけました。可視は英語が用いられていますが、当時のイギリスでの状況もイタリア語やラテン語が主流を染め、学識があるとされる一部の階級の者たちが享受していた時代になります。つまり、一般民衆が歌詞を通して感化を受けるには至っていない時代だったのです。そうした中でジェネンズとヘンデルは 「 自国語 」 である英語で作品を世に送り出したのです。
 わが国では現在もオペラを始め " コトバと音 " の関係から言語でなければ楽曲の意図は伝えられないとして、専門家然として演奏されることが通例です。ましや言語体系を異にする日本語では尚更のことなのです。
 しかし、今回敢えて 「 釧路メサイア合唱団 」 では 「 自国語 」 での表現を求め続けました。そこには原語主義というある種の権威主義的・専門家的な発想による 「 自国語 」 での翻訳歌詞表現に対するアンチテーゼも含んだ取り組みでもありました。敢えて言うなら、 " なぞりの音楽 " に寄りかかる風潮からの脱却を目指す取り組みでもあったのです。これは寧ろ、音楽を生活の生業としていない者達であるからこそ乗り越えることができた者であるのと同時に、幸いにも地方での活動であったから 「 自国語 」 でのステージが受け入れられたとも言えます。ある種この拘りの根は深く、「 自国語 」の置かれている歴史的位置づけによっても翻弄され続けているものなのですから、今回のステージで留まることなく、我々の表現活動の主体をかけた意志が必要になると考えます。言うまでもなく、私たちの 「 コトバ 」 が意思伝達を果たしている役割は極めて大きいものと言わなければなりません。
 各種電子機器による伝達が盛んにもてはやされる現代の病理に象徴される対人関係忌避症的な病根の深さは、換言すると 「 コトバ 」 の意味を再考させられるものとも言えます。人と人が対座して魂の深淵からコトバを噤むこころの交わりを欠いた記号化した音の羅列からの脱却が図られなければ人類誕生と共に原語の獲得が為されてきた、あるいは 「 自国語 」 を守り続けた歴史に対する冒涜とも言える所行にも値するものと言えるのではないでしょうか。幸い、声楽を伴う音楽表現では深くコトバの意味を租借することなくしては表現の深淵に分け入ることはできません。
  " 我と汝 " の関係でのコトバが成立するものが表現者と観客であることの幸いを覚えずには居られません。だからこそのコトバを 「 自国語 」 で紡いだ今回の表現でした。観客との意志の交流が図られるためにもこの側面を除いては成立しないということです。このようにコトバそのものの意味を深化させる中から今回のステージが果たした問題提起は一つの果敢な挑戦であったことを再認識する時が訪れることを期待するものです。


ステージづくりへの挑戦

 合唱団発足から九十回に及ぶ練習回数を経てのステージの演出は楽曲のもつ深遠さと併せて、 《 大いなる出来事 》 を余すことなく表すものでなければなりません。それは今回のステージの演出が総計三時間にも及ぶ舞台の出演者は勿論、会場に足を運んで下さった観客のみなさま、そしてスタッフ全員を " 特別な時間 " の創造者として位置づける働きを為したと言えます。
 今回のステージ演出に関わっては多くの方々の心からなる支援と楽曲に対する深い共感を欠いては何れも創出することができないものだったと言うことができます。ブザー音を教会の 「 鐘の音 」 に差し替えること一つ取り出してみても文化会館のスタッフの方々はじめ、多くの方々の協力の下に実現されたものです。それは、演奏開始前の一連のプログラムからセットされた " 「 音 」 の選択 " でもありました。 「 鐘の音 」は三種類が準備され、それぞれの場面に相応しい 「 音 」 によって構成されました。ホール内でのアナウンスを担って下さった広瀬美之さんの安らぎを覚える柔らかな声はホール内の満席の観客の心を十分に和やかなものにして下さいました。
 次のプログラムの 「 メサイア・プレゼンテーション 」 を美事なまでにホールに集うもの・総勢千六〇〇人の深奥に語りかけて下さった田村毅朗釧路春採教会牧師に心からなる感謝を捧げたく思います。午前中の自教会での説教に引き続いてのご尽力でした。この時点で照明はスポットのみ使用され、ヴァージル賛歌が英文で帯広市在住のメリー・バイラーメノナイト教会宣教師から、それに引き続いて訳文の朗読を石井東洋彦さんが担って下さいました。時間的には短いものでしたが、内容は三時間のメサイアの内容を圧縮したものであるだけに、一語一語が何れの訳においても聞く者の心に染みわたるものでした。

メサイア全曲演奏会  釧路メサイア合唱団・釧路交響楽団  2011 年 3 月 6 日 釧路市民文化会館
指揮者 泉史夫  ソプラノ 菊地 江、アルト 斉藤 みゆき、テノール 大野 光彦、バリトン 杉野 正隆、プレゼンテーター 田村 毅朗、
序文ヴァージル英文朗読 メリー・バイラー、序文ヴァージル共同訳聖書朗読 石井 東洋彦

 スポットとステージ中央に映し出されていた十字架はステージ上の照明が全開となる時点でオケの 「 音 」 と交代しました。タイミング的にもリハーサル以上の効果的演出が為され、観客にとっても拍手なしの開演を極自然に迎えることができた演出になりました。
 また、実行委員全員が出演者である為、受付業務の担当の決定は懸案事項でした。そのような中、顧問職の吉田敦子さんから受け付け業務一切を引き受けて下さるというお申し出を戴き、早速お願い致しました。担当スタッフや当日の業務を手際よく決めて下さり、私たちがステージに専念できる環境を準備して下さったのは幸いでした。各種チラシのプログラム入れは勿論、会場案内業務も滞りなく進行し、開演前のセレモニーも含めたスムーズな進行に辿り着くことができました。関わって下さった十数名のスタッフのみなさまはメサイアの取り組みを通して得られた広範囲なネットワークの成せる業でもありました。実行委員会メンバーの家族による献身的な助力も加えられ、当に総力を挙げた取り組みだったことを改めて思い知らされるものです。

①メサイア演奏中の桜井敬一氏

 また、ホワイエ内のパネルに掲示されたオランダの画家・レンブラントの七枚の絵画コピーは釧路在住の聖書画家。岡田利彦さんが選んで下さったものであり、 「 メサイア全曲演奏会 」 を彩るに相応しい演出の一つになりました。

②演奏会で自ら合唱団 ( テノール ) で歌った実行委員長の西池彰氏




"愛の奉仕" に支えられ

 今回のステージを側面から支えたものに各種 「 印刷物 」 をあげることができます。団員向けとしての、 「 実行委員会だより 」 「 演奏ノート 」 などの週間発行通信と、外部に向けての 「 ポスター・チラシ・新聞広告 」 、そして五〇ページにも及ぶ 「 プログラム 」 がそれです。取り分け、外部向けの文章には目に見えない多くの労力が注がれてきました。そこには " 愛の奉仕 " とも言える多くの方々のご助力がありました。
 各種印刷物を担当委員を中心に精力的な取り組みがされました。往々にして起こる 「 校正ミス 」 も今回はノー・ミスで終えることができたのも、関わる作業を心を込めて担って下さった方々の至誠なお心あってのことと感謝に堪えません。制約のある期間内での作成であるため複数の目を通さない限り、険しい状況が生まれることは必至なことでもあったのです。具体的には百件にも及んだプログラム広告の校正作業、楽曲解説における文語体の取り扱いと聖書引用語句、ポスター・チラシ・新聞広告等のデザインとその校正等、関わって下さった方々の並々ならぬ尽力の賜物と考えます。デザイナーとしてその任を担って下さり、併せてオケのホルン奏者としてもステージを共にした釧路市美術館学芸員・瀬戸厚志さん、多忙を極める教会関係のお仕事の間隙を縫ってプログラム校正を一手に引き受けて下さった鳥取メノナイト教会牧師・三木昭さんのお二人のご奉仕は特筆すべきものと考え感謝に堪えません。
 こうした方々に象徴されるような献身的な支えの下にアマチュア二団体の、取り分け合唱団の無謀とも言える一連の企画が遂行されるに至った訳です。自身の献身を論うことなく " 今ここ " の思いそのままに 「 愛の奉仕 」の集積がモーツアルト初演から 222 年後のあの日に結実したという思いを強くします。


「 文化 」 を支える "真なるもの"

 一つのステージをつくるためにはここに取り上げた事柄は当然為されなければならない事柄なのですが、今回の企画全てに亘って一貫して貫いている精神はアマチュアであるが故の奉仕の精神にあります。この精神に揺るぎや軋みがあるならば 「 メサイア 」 の楽曲のもつ志、ヘンデルが願い求めていた精神は消え入る他ありません。
  [ 人間を偽りのものとせよ ] との古からの言葉にもあるように、また優れた指揮者は音楽の後ろに控え、決して目立つことがない存在であることと同様に、真理の前に謙虚であるべき人間の一人として自身が今ここにあるという深い哲理に裏打ちされた献身的な営みを前提とした取り組みこそが本企画全ての支えとなっていたことに思いを致さなければなりません。 " それだからこそ " の 「 メサイア全曲演奏会 」 の一年間であったし、釧響を含め三十余年にも及ぶアマチュアリズムに則った健全な活動が継続され得ている証左でもあると考えます。
 この炎を決して絶やすことは許されません。何故なら、今後釧路の地で今回同様の、あるいは今回以上のスケールの大きな取り組みが企画されるかもしれません。その時に私たちの関わっている活動母体の精神が歪められ、散逸した状態にあっては今回の欠片ほどの用も足さないからに他なりません。後生に続く者に対する責務としてもアマチュアであるが故に保たれるべき健全さに貫かれた精神をこそ希求すべきものと考えます。恣意的な欠片の一片すら紛れ込ませてはなりません。換言するならば、今回の公園企画を機に振るい落とすべきは精神性の澱みなのだと考えます。
 大いなることを為し終えた 『 釧路メサイア合唱団 』の活動の中から、これからも続くであろう健全なアマチュアリズムの精神によって育まれるべき両団体 ( 釧路交響楽団 混声合唱団コール・フロイデ ) と、今回の企画に賛同しステージを共にできた合唱団員のお一人おひとりの新たな希望に満ちたそれぞれの道に幸多からんことを切に願うものです。そして、それは人として " 生きること " への根元的な問いかけを深く湛えたものを、共に関わった一つの偉大な楽曲が私たち一人ひとりの魂に深く刻みつけるものだったからに他なりません。


おわりに 一通の手紙を添えて

  「 平和な世界 」 の実現を痛切に願い求める音楽 『 メサイア全曲演奏会 』 に集った満員の観客と釧路交響楽団、そして釧路メサイア合唱団、総勢千六〇〇名の中に奏でられた至福の時を共有することが許された私たちは、人類が有史以来五千有余年と共に亘って営々として築いてきた歴史・文化・伝統が自然と対峙する様式を伴う方向に定められてきて今に至っていることに気づかされます。自然と人類が、人間同士が共生する質を湛えた生活の営みは極めて局所的にしか歴史の中に散見されません。
 しかし一方、有史以来、畏れるべきものを畏れ、人としての謙虚なこころに立ち帰り、深く共生を願い求める志がさまざまな哲理や宗教の教えの中に埋め込まれているのも事実です。それへの誘いが、今回の 『 この時 』 であるとの祈りにも似た願いと、自身のチェロの、そして無教会信仰への導き手である恩師・廣田幸夫先生の書簡をもって今回の一つのささやかな試みへの振り返りとさせて戴きます。

   『 聖名を賛美いたします。昨日は、私にとってほんとうにうれしい日とな
   りました。
    メサイア全曲演奏おめでとうございます。五年間に亘る準備と、ご愛労
   に心から敬意を表します。
    真の信仰を土台としてアマチュア団体によって、しかも日本語でステー
    ジと観客が一つになって感謝・喜び・感動が・・・・。実にメサイアが釧路
    市民の手によって響きわたった・・・・。
     何という、大きな出来ごと、誰がこんなことを予測できたでしょう。
    敬一君が芸大にいらして、初めの頃 「 何のために音楽を勉強するの?」
    とのわたしの質問に対して 「 神様を賛美するため 」 ・・・・との答えを。
    神様のお導きのもと、釧路において実現せしめられようとは・・・・。
     唯々、心よりの感謝をもって聖名をほめたたえます。創造主にいまし、
    主イエス・キリストの父なる神様を賛美することが、私共の最大の喜び
    だからです。
     田村毅朗先生のメッセージをお聴きもし、ほんとうに感動です。真の
    福音伝道の言葉をもってメサイアの演奏が始められたことも聞いたこと
    がありません。
     すべて主のお導きによるものと信じます。・・・・
    二〇一一年五月二十一日               廣田幸夫 』

   ※廣田幸夫先生プロフィール[ 無教会キリスト教 「 待晨集会 」 主管/東京芸術大学名誉教授/高知県出身 ]


<付記>

○メサイア全曲演奏会
   平成 23 ( 2011 ) 年 3 月 6 日 午後 2 時
   釧路市民文化会館大ホール
   主催   釧路市教育委員会
        財団法人 釧路市民文化振興財団

   実行委員会

     西池章 ( 委員長 )、中田幸吉 ( 副委員長 )
     櫻井敬一 ( 事務局長 )
           事務局員 : 斉藤八重子、佐藤紀彰、武山道子、鹿屋洋子、工藤典子、渡辺洋子、上杉彰、安藤寧子、今井千鶴子
Updated 23 March , 2021