Kataro ホームページ 「 河太郎 」 26 号 平成 23 年 ( 2011 年 ) 5 月 1 日

釧路に於ける音楽鑑賞活動の流れの中で ( 19 )

徳田 廣

前号に続いて

⑩清瀬保二  1919 年松山高校中退、一時山田耕筰に師事、 62 年新作曲家協会結成、生涯社会の動きに関心を寄せ、同世代及び戦後世代の作曲家たちと共に歩み、日本の音楽の発展につとめた。最も多く作曲した石川啄木の短歌に一切手を加えず、原詩を大事にし、詩の心を音楽に生かし 「 啄木歌集第一集 」 ( 東海の、砂山の、いのちなき ) 「 第 2 集 」 ( ふるさとの、さいはての、しらじらと ) 「 啄木歌曲集 ( 東海の、やわらかに ) など。和声ほどこれからの日本の音楽に必要なものはないと誰にもまして強く考えていたと言われている。 「 日本楽器による八重奏曲 」 ( 篠笛、 3 尺八、 3 箏、十七弦 ) などのほか映画音楽などにも ( 中山安兵衛、平手造酒、お祭り半次郎、沓掛時次郎 ) などがある。

⑪柴田南雄  1946 年入野義朗らと作曲界 「 新声会 」 を結成、 48 年井口基成、吉田秀和、斉藤秀雄と「子供のための音楽教室」を始め、これが後の桐朋 学園大学音楽部となり、柴田は 55 年桐朋学園が短期大学になるまで教鞭をとっていたが、 52 年以来お茶の水女子大学の専任を兼ねていた。 48 年 「音楽芸術 」 誌で始めた 「 バルトーク論 」 は武満徹、高橋悠治らを啓発し、更に大きな 啓発的活動は 「 二十世紀音楽研究所 」 の開設で、所長に吉田秀治、入野義朗、岩渕竜太郎、柴田南雄、黛敏郎、諸井誠、森正などのメンバーで開始。 69 年以降柴田南雄は芸大教授を辞職し、日本民謡の収集に出掛け、 73 年 「 追分節考 」 となって結実した。当時はオイルショックの頃であり、世界的に景気の停滞期に入り、前衛音楽の時代はほぼこの年代に終焉する。 「 追分節 考」 で民謡を徹底し、 「 萬歳流 し」 では民俗芸能 ( 秋田、岩手の萬歳 ) 、 75 年交響曲 「 ゆく河の流れは絶えずして ( 鴨長明 )」 については日本の作曲界そして自分の音楽体験の回顧と自ら述べ、古典、ロマン派の音楽から当時の前衛音楽までのスタイルを回顧している。
>  ⑫間宮芳生  1929 年旭川市生まれ。 35 年青森に転居、作曲を池之内友次郎、ピアノを田村宏に学び、東京芸大作曲家卒、バルトークに触発され林光、外山雄三と 「 山羊の会 」 の第一回演奏会で日本民謡を素材にした 「 二台のピアノのための三楽章 」 「 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 」 を発表し、日本の民族的な音楽遺産 ( 民謡 ) 現代的かつ民族音楽への出発点となる。声楽家内田るり子の要望もあって 「 東北 」 = 青森、秋田、岩手から作業を開始し、その成果がピアノ伴奏付きの日本民謡全 5 集など結実する。ハヤシコトバばかりで出来ている民謡との出会いでその豊かさとエネルギーに衝撃し、そこから新しい民族的語法を創り出し再構築、 「 合唱のためのコンポジション 」 は毎日音楽賞受賞、 「 合唱のためのコンポジション 」 シリーズではその後、混声男声、児童 ( オーケストラ、第 5 番 「 鳥獣戯画 」 ではアフリカの民族音楽、日本の民族音楽と同居したり、スカンジナビアの民族音楽 ( とりわけサーミ族のヨーイグ ) との出会いなど世界的規模に拡大する民族音楽へと関心が広がってゆく。その他ピアノ協奏曲第 2 番で尾高賞、オペラ「鳴神」ではザルツブルグ・テレビオペラ 賞金賞受賞など多数。

⑬貴志康一 ( 1909 ~ 1937 年 ) 。  26 年芦屋市甲南高校を 2 年で中退し、ジュネーブ国立音楽学校へ留学、後ベルリンに定住、名指揮者フルトヴェングラーに指揮法、ヒンデミットに作曲を学ぶ。ベルリンフィルハーモニーを指揮した管弦楽、歌曲等をテレフンケンレコードに録音、 35 年帰国し、新交響楽団 ( 現 N 響 ) 164 回定期でベートーヴェンの 「 第九 」 を、 166 回定期ではピアノのケンプと共演している。 34 年交響曲 「 仏陀 」 「 竹取物語 」 「 赤いかんざし 」 など作曲、大木正夫、諸井三郎らの座談会で“日本の作曲界というものは一つの山から掘り出したダイヤモンドの粗石で " 音楽にはエポックがあってこそ其のエポックの特質が後世になって初めて分かるのだ " と言い、夭逝した。貴志への後世日本音楽界発展の期待は大きく数多く寄せられていた。釧路では昨年 11 月道立釧路芸術館で 「 竹取物語 」 など札響コンサートマスター大平まゆみ ( ヴァイオリン ) など招き、音楽評論家の前田公美雄氏によるレクチャーコンサートが開かれている。

 日本の音楽界で活躍した作曲家などには林光、三枝成彰、石桁真禮雄、松平頼則、箕作秋吉、三善晃、諸井三郎、矢代秋雄、湯浅譲二、原嘉寿子など多くいるが紙面等の関係もあり割愛する。
 前記した貴志康一のレクチャーコンサートを実行したのは 「 北方の鼓動 」 ( 会長森重夫、北方音楽展委員会の森克樹 ) で、 11 年目の催しであり、日本の作曲家の名曲を埋もれさせないために活動を続けており、釧路に於ける音楽鑑賞活動に果たしている功績は大きいのではないかと思う。今後の活動に期待している人々も多いようだ。

 和楽器に対する関心は最近高まりつつあるが、日本のビッグバンドと尺八が共演し喝采をあびた 1967 年の米ニューポートジャズフェスティバル、 「 原信夫とシャープ・アンド・フラッツ 」 と共に日本の民謡をジャズアレンジで演奏し邦楽のイメージを塗り替えた歴史的公演として語り継がれる。今も邦楽界を先導する人間国宝の尺八奏者 「 山本邦山 」がいた。 「 せっかく日本のバンドが演奏するんだから日本のジャズである民謡をやろうと原が尺八との組合せを思いついたらしい。帰国してみると国内でも報道されていて邦楽以外の音楽から引っ張りだこ。邦楽界からは当初 『 邪道だ 』 との声もあったが、評論家の多くが絶賛した。あの時は楽譜通り吹いたが、尺八でジャズをやるうちに即興の面白さに目覚めたものだ 」 と云っている。
 若手では上妻宏光が技では十分だが三味線の心は津軽三味線に学べといわれ、最近ではロックやジャズだけでなくジルバ、サンバその他に演奏活動を拡げている。

○ 参考文献ほか
「 北方の鼓動 」 誌とレクチャーコンサート CD
「 日本の作曲 20 世紀 」 ( 音楽之友社 )
「 新版音楽五十年史 」 堀内敬三著 ( 鱒書房 )
「 現代音楽 」 柴田南雄著 ( 修道社 )
 道新、釧新ほか。

( 了 )

Updated 25 January , 2018