Kataro ホームページ 「 河太郎 」 22 号 平成 22 年 ( 2010 年 ) 6 月 1 日

釧路における音楽鑑賞活動の流れの中で ( 15 )

徳田 廣

○ ビートルズの来日

 昭和 40 年代にはエレキバンドの音が響きはじめた。ベンチャーズの初来日は昭和 37 年で、再来日のときは爆発的で、約 68 万 4 千本ほどのエレキ生産本数 ( 初来日のときは 51800 本ほどであった ) と言われている。
  「 勝ち抜きエレキ合戦 」 を機にアマチュアのエレキバンドも TV で放送されるようになり、その年の暮れには加山雄三、寺内タケシが出演して弾きまくり、「 エレキの若大将 」 が公開された。
 昭和 41 年 6 月に 「 ビートルズ 」 が来日、日本のポップスを変えたと言われている。日本のティーンエイジャーの若者はロックで叫び、そのリズムに身体をゆだねて発散した。 6 月 30 日、ビートルズは東京武道館のステージに立ち、コーラス・クラシックの対位法を使い、自分たちで作詞作曲し歌い、日本の若者はビートルズに熱狂した。

 ○ 1965 年 アメリカによる北爆開始、ベトナム戦争をめぐり世界の世論は分裂し、反戦運動が広がり、 66 年には中国で文化大革命が起き、日本は高度成長をひた走り、エコノミックアニマルと呼ばれ、それに対する違和感、抵抗感が 70 年安保改訂を目前に、機動隊と学生デモ隊が衝突と云うムーブメントの中で、ビートルズは日本の音楽情況を変えていった。


○ ポップス歌謡の誕生

 和製ポップスとは、作られた洋楽であり、エレキブームは 「 美空ひばり 」 を刺激し、真っ赤なミニスカートをはき、 " 真っかに燃えた太陽だから真夏の海は恋の季節なの " " 貴方が噛んだ小指が痛い、きのうの夜の小指が痛い " 。伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりと組んだ 「 ナベプロ三人娘 」 の一人、中尾ミエの 「 可愛いベイビー 」 、 " 可愛いベイビー、ハイハーイ " を歌ってヒットし、その頃からポップ調の歌がヒットする。黛ジュンの 「 天使の誘惑 」 、 " 好きなのにあの人はいない、話し相手は涙だけなの " はレコード大賞を受賞、ピンキーとキラーズの 「 恋の季節 」 、 " 忘れられないのあの人が好きよ、青いシャツきてさ海を見てたわ " 、佐良直美の歌った 「 世界は二人のために 」 、 " 愛あなたと二人、花あなたと二人 " 、いしだあゆみ 「 ブルーライト・ヨコハマ 」 、 " 街の灯りがとてもきれいねヨコハマ、ブルーライト・ヨコハマ " 、男性では水原弘が 「 君こそわがいのち 」 、布施明が 「 霧の摩周湖 」 、 " 霧にだかれて静かに眠る、星も見えない湖にひとり " がヒットする。
  1970 年代に入るとフォークと歌謡曲は多様化し、国内では高度成長 ( いざなみ景気 ) のさなか、大学は全共闘の時代をむかえ、全共闘学生は東京大学安田講堂にたてこもり、これを排除しようとする機動隊と衝突したシーンで頂点に達し、同年 11 月、作家 「 三島由紀夫 」 の 「 盾の会 」 は東京市ヶ谷の自衛隊に侵入、ノーベル文学賞への期待は挫折、強烈な戦後民主主義への懐疑、三島は自衛隊総監室で割腹自殺した。この三島事件の翌々年、 「 浅間山荘 」 事件が起き、全国指名手配中の前連合赤軍 5 名が、 「 あさま山荘 」 ( 河合楽器の保養所 ) に逃げこんで管理人の妻を人質に籠城し、銃撃戦を展開した。当時、田中角栄の 「 日本列島改造論 」 が世論を呼んだ。


○日本の歌謡曲

 歌謡曲には、本来浪曲師がはじめた 「 浪曲歌謡 」 と言われるものがあり、三波春夫の "ちゃんちきおけさ" 、二葉百合子の "岸壁の母" などがあり、二葉は声の出るうちにと引退 ( 2010 年 ) した。村田英雄 「 王将 」 などもあるが、一方では民謡調の 「 民謡歌謡 」 と言われる、春日八郎、三橋美智也などの歌など最近の演歌ポップスの主流となる傾向にあったようだ。
 そこで昭和 50 年代前後から歌手を拾ってみると、都はるみ ( 北の宿から ) 、島倉千代子 ( 人生いろいろ ) 、大川栄策 ( さざんかの宿 ) 、中村雅俊 ( ふれあい ) 、和田アキ子 ( 笑って許して ) 、北島三郎 ( 函館の女 ) 、森進一 ( 人生の並木道 ) 、橋幸夫 ( 霧氷 ) 、舟木一夫 ( 絶唱 ) 、西郷輝彦 ( 星のフラメンコ ) 、コーラス演歌では 「 長崎は今日も雨だった 」 「 中の島ブルース 」 内山田洋とクールファイブ。最近の前川清の絶唱はブルースに近い情感があると言う。


○ 小町昭の活躍

 小町昭は釧路出身 ( 旧制釧路中学校 = 釧中の 33 期生 ) で、現湖陵高校の 2 期生、中高生の時代は表面に出てこなかったが静かにギターその他の弦楽器にふれていたようで、明治大学に進学してからは明大マンドリンクラブに所属し、指導者であった古賀政男に指導を受け、その後 NHK 放送管弦楽団を指揮し、 NHK 紅白歌合戦などに出演した。彼が活躍した時期は前述の歌手達が活躍し始めた時期であった。小町はその後、作詞作曲、編曲の方面で作品を残している。


○ 次世代に残した歌

 西田敏行 ( 若しもピアノが弾けたなら ) 、フランク永井 ( 君恋し ) 、越路吹雪 ( 愛の賛歌 ) 、石原裕次郎 ( 夜霧よ今夜も有難う ) 、五輪真弓 ( 恋人よ ) 、かぐや姫 ( 神田川 ) 、石川さゆり ( 津軽海峡冬景色 ) 、細川たかし 「 北酒場 」 「 矢切の渡し 」、さとう宗幸 ( 青葉城恋歌 ) 、谷村新司 ( 昴 ) など、新人歌手たちは電子音楽、コンピューターシンセサイザーなどを駆使、田原俊彦、近藤真彦、野村義男、松田聖子、柏原よしえなど。また、それらとは別に山口百恵 ( 秋桜 ) 、岩崎宏美 ( マドンナ達のララバイ ) 、外国人ではテレサ・テン ( 時の流れに身をまかせ ) 、平成元年には美空ひばり ( 川の流れのように ) など。


○ 演歌の変容

  1989 年、美空ひばり逝去、それより 2 年ほど前に昭和天皇崩御し平成に変わるが、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、国内ではリクルート事件、竹下登内閣の退陣、 91 年には米国を中心とした多国籍軍がイラク侵攻、湾岸戦争、ソ連共産党解体、バブル経済の崩壊。歌謡界では中村八大、いずみたく ( 尾崎豊自殺 ) 、近江俊郎、松尾和子、岸洋子の死。いずみたくは 「 歌ごえ運動 」 が出発点、 ~ 見上げてごらん夜の星を ~、夜明けの歌、希望、世界は二人のためになどヒューマニズムにあふれ雄大なロマンティシズムを感じさせる。中村八大は中国青島で生まれ、早稲田大学時代にはジャズピアニストとして才能を示した。彼の出発点は 「 夢であいましょう 」 、歌謡曲では 「 黒い花びら 」 「 こんにちは赤ちゃん 」 「 上を向いて歩こう 」 「 遠くへ行きたい 」 「 世界の国からこんにちは 」 、 「 上を向いて歩こう 」 は坂本九が歌い、国際的に大ヒットした。


①服部良一

 淡谷のり子の 「 別れのブルース 」、昭和 19 年、上海から李香蘭を呼び、 「 蘇州夜曲 」 「 湖畔の宿 」 「 小雨の丘 」 など戦中のヒット曲。戦後は転じて戦中から温めていたブギのリズム、笠置シズ子の 「 東京ブギウギ 」 「 青い山脈 」 ( 藤山一郎・奈良光枝が歌う ) 、服部良一は和製ブルースを創始し、クラシックの格調を持つ藤山一郎と歌唱が融合しているところに服部の大らかなロマンチシズムがあったのだろうか。

②藤山一郎

 昭和初期、マイクロフォンを通して歌唱し、弱音でも声が通り、聴者にわかるようにつとめた。ベルカント唱法の美しい響きであった。彼は東京音楽学校 ( 現東京芸術大学 ) の出身で芸術家としての人生を約束されたが大衆音楽の世界に住み、歌手、オーケストラの指揮、作曲編曲など多岐にわたって活躍した。

 日本の歌は美しいものが多い。これはどちらかというと、クラシカルな歌だが、内村直哉 ( 1909 ~ 1989 ) 作詞。

○ 中田喜直 ( 1923 ~ 2000 ) 作曲の 「 雪の降る街 」 ( 雪の降る街を,雪の降る街を、足音だけが追いかけて行く、雪の降る街をひとり心に充ちている、この哀しみをこの哀しみをいつかほぐさん。緑なす春の日の、そよ風 )。その他に 「 小さい秋みつけた 」 「 めだかの学校は 」 「 夏の想い出 」 などがある。

○ 中山晋平。 「 あの町この町 」 「 シャボン玉 」 「 証城寺の狸囃子 」 「 黄金虫 」 「 てるてる坊主 」 など童謡をはじめ 「 船頭小唄 」 「 東京行進曲 」 などがある。晋平の歌には 「 囃子ことば 」 が多く、大正の自由な精神を童謡など含め多分野にわたる。 1953 年 2 月、膵臓炎で死去、黒沢明監督の映画 「 生きる 」 に感動していたと言う。映画と言えば忘れられない監督に木下恵介がいる。戦中に作られた 「 陸軍 」 で息子が出征して行く出征兵士隊のあとを追う母 ( 田中絹代が名演技 ) の姿に " 生きていて! " との思いを通して広いヒューマニズムと平和を主張、戦後も 「 二十四の瞳 」など多くの名作を残した。 TV 映画の 「 水戸黄門 」 の " 人生楽ありゃ苦もあるさ ― " の作曲者木下忠司とは兄弟である。


 さまざまな演歌と歌手たち

 五木ひろし "長良川艶歌" 、吉幾三、水森かおり、田川寿美、石原詢子、神野美加、大沢桃子、大月みや子、小林幸子、細川たかし、氷川きよし、坂本冬美、八代亜紀など、男性では北山たけし、山内恵介などなど。
 いわゆる演歌と少し異なるのは、谷口新二の 「 昴 」 、小椋佳の 「 シクラメンのかほり 」 。また、小柳ルミ子の 「 わたしの城下町 」 「 瀬戸の花嫁 」 には日本的心象風景が感じられる。演歌には男心、女心の艶を唄ったものも数多いが、これからは自然保護 ( 環境問題 ) など、ふる里の山、川、森、海などの自然を支えあう歌謡ポップスなど増えて行くのだろうか。
 クラシカルだがソプラノ歌手、雨谷麻世は " 緑の樹の下で考えてごらんよ " と歌っている。
 自然の森再生に取り組む宮脇昭千葉大名誉教授に感じるものが多いと言う。
 阿久悠は、作詞する時その時代が背景にあると自分の作詞の心情を語っている。

(参考文献)

「 釧路新聞・北海道新聞・朝日新聞 」
「 日本歌謡集・時雨音羽 」 著
「 日本流行歌変遷史 」菊池清麿著
「 誰がクラシックをだめにしたか 」ノーマンブレヒト著 喜多尾道冬・田崎研三等四者共訳。 音楽之友社
「 NHKTV ・ STV ・ HTV 」 など
「 歴史年表 」その他。
Updated 4 July , 2019