Kataro ホームページ 「 河太郎 」 第 18 号 平成 21 年 ( 2009 年 ) 3 月 1 日

放屁学外伝 ( 2 )

田丸 治

社会人の巻


六・新採用時代


 彼の家庭事情もあり、郷里釧路市に帰ってきて、さる会社に就職した。
 いろいろな現場で実習し、一年後あらためて人事労務の仕事を命じられた。新しい仕事は、なんだか分からないがとにかく忙しく、臨時の助手を付けられた。しかし、この人は、この係を前から手伝っていたので、仕事の中身を知っており、いろいろと助かったようだった。その職員から 「 釧路新聞の金沢記者が、今度 『 放屁学概論 』 と言う面白い本を出したので買った。是非読んでみたら 」 と言われて、彼は自分の性癖を指摘されたと勘違いして相当不機嫌になったらしい。借りることは借りて、一通り読んでみたが、何か自分のことで伏せておきたいことが書かれているようで、また、それほど彼にとっては新しい内容でないようで、あまり面白くなかったそうだ。彼もまだ若かったのだろう。
 我々には面白さとともに、新しい角度からのエッセーとして新鮮なものを感じていたのだが。
 もっとも就職したばかりの彼にとっては、自分の身体の中からわき出て来るようなもよおしを押さえて、このことで職場で有名にならないように、そして他人に迷惑をかけないように腐心していた最中だったから、気乗りがしなかったことも納得出来る。
 内勤のこの職場にも、同じ部屋にうら若き独身女性も数人いたばかりではない。
 このような人事を扱う職場は、会社の中枢に近いものだ。だから、彼が頻繁に愛用するトイレは、会社の幹部と一緒になることが多い。体にたまったものを一気に出そうとして構えたときに、隣に立った部長に声をかけられたりしたもんだったら、両方とも出て来ない。そんなときは、手を洗って一旦トイレを出て、タイミングを見てまた入ると言う苦労もあったそうだ。
 彼の仕事ぶりは、他の部課へ電話で済む仕事でも直接会って話を交わすことが多く、ともすると生意気と受け取られやすい仕事にもかかわらず、それなりに信頼されていったようだ。これは、彼の性格のせいもあったと思うが、他の部課へ歩いていく途中で静かに放つことが気持ちをすっきりさせるためであり、又彼の健康のためにも必要なことであった。
 しかし、同じ課の同僚、先輩からすると、どうも落ち着きがなく、時々席にいないので、評価はあまり良くなかったように聞いている。
 彼の仕事の中で従業員の健康診断や採用試験の健康審査などの関係でよく市立病院と打ち合わせたり引率して行くこともしばしばあった。内科の婦長さんと親しくなってきたので、彼は思い切って自分の性癖について、どこか身体の欠陥でないかと相談した。婦長さんなら仕事柄真面目に聞いてくれると思って。
  「 おならが出ると言うことは、すばらしいことなんですよ。この病院の中でも出ないで苦しんでいる人が沢山います。そんなこと気にしないで、出たいものはどんどん出しなさい 」 と。真面目には違いないが求めた答えではなかったようだ。
 その当時の彼の体重は、五十七キロ位、身長が少しあるので痩せて見えて、自分ではヤセの代表と表現し、相当貧相であると思っていたようだ。他人よりは多く何でも食べるのに、太らないので周りの人から不思議がられていた。
 どうしてなのか? 彼は、本来身体に蓄積すべきエネルギーや栄養が、屁によって放出されているために太らないのではないかと勝手な解釈をするようになった ( この考えは加齢とともに太りだしてきたので否定されることになるのだが ) 。
 そのうちに内部で異動があり、人事の方から総務の方へ回された。総務の沢山の仕事のうちで最も記憶に残っているのが、ある裁判を担当したことである ( その裁判の内容については後日改めて彼から詳しく聞き取りまとめてみたいものだと思っているので、ここでは、触れないことにする ) 。  この裁判は、いろいろと問題が大きいため、弁護団がつくられて、釧路、札幌、東京などで打ち合わせの会議が毎月のように開かれた。彼が、会社側の窓口として活躍したのは当然だった。しかしこの会議に出席した人達は、既に忘れていると思うが、彼には苦い思い出があるそうだ。弁護団の会議は、お年寄りが多いせいか料理屋か旅館の和室等をよく使った。彼の性癖からすると、このお座りが苦しい。上半身の重みが、腸を圧迫し、ふだんよりももよおしが激しくなる。書記みたいに先生方の持論をまとめなければならない立場である。さあ困った。我慢して、我慢してトイレに駆け込んだこと数回あり、ついにもらしてしまい先生方に謝るという場面があったそうだ。前日つきあったお酒のせいか、その臭さは今でも忘れられないものだったと言う。その時の弁護士先生方の顔を想像するだけで、楽しくなる話だ。
 緊張の連続の会議が終わり、ホテルの自分の部屋でおもいっきりふった時の気持ちよさは何者にもかえられないと感じたそうだ。分かるような気がする。


七・新採用時代 ( 承前 )

 内部で緊張する仕事もいろいろな事情のもとで数年で終わり、次に企画部門に異動した。
 経理ではなく、統計数字を扱う係の係長になって配属された。このときの彼の話は面白かったのでよく覚えている。彼が係長として挨拶に行った時、ほとんどの係員が 「 よかった、よかった 」 と大歓迎してくれた。何がそんなによかったのかを確かめたところ、 「 前任者は、終始放屁して本当に困った。ここの部屋は、コンピュータを入れる予定のところを仕切った所で窓がなく、不完全な空調であるために、臭いがこもる。係長が代わってよかったなあ 」 と言う答えに対し、さすがの彼も返す言葉を失ったそうだ。
 彼にとって最初のパンチは相当のもので、苦しい、苦しい毎日が続き努力を重ねたがやはりもらすこともしばしばになってきた。間もなく係員は、異様な臭いと前の総務課からの話を聞いて 「 よかった 」 が間違いだったとわかってきたらしい。口には出さないがそれぞれ我慢していたらしいことが分かったので、彼はつとめて 「 すまん 」 とひとこと言うことにした。音がしないからダンマリをきめるとそんな時に限って隣に座っている部下が下敷きで臭気が来ないようにあおぎ出すのにはまいったそうだ。またこの係には来客が多く彼が対応することがほとんどだったので、彼の性癖をどうやって隠すかに腐心するようになる。
  「 サラリーマンとは、気楽な稼業ときたもんだ 」 がはやっていた時代であったが、彼のように人に言えない努力もあるのだなと妙に感心したものだった。
 まあ本人にとっては、外勤もあるその係の仕事は、彼の性癖の上では、住み心地が 「 よかった 」 ことになるらしい。彼は、ここで七年を過ごすことになり、部下は代われど彼だけが代わらない、いわゆる万年係長の時代が続くのであった。がこのことと彼の性癖とは全く関係がなく、むしろ、この時代に習得した事が、彼の次の飛躍への足掛かりになったと思っている。


八・家庭生活

 ここで、彼の放屁にまつわる家庭生活をのぞいて見ようとしたが、幼い頃と違ってなかなか難しいことだ。彼は、前に書いた総務課勤務の時に近所に住んでいる商家の娘と結婚した。恋愛結婚なのか見合いなのか、はっきりしないが、とにかく近いところで見つけてまとまったと言うところらしい。仲人は上司夫妻であった。
 結婚前のおつきあいの段階では、彼はその性癖を悟られないように一時は努力したが、やはり付き合いの時間が長くなると、こらえきれなくなってもらしてしまうことがしばしばあったそうだ。そのため他の人よりもおならが出る性癖についておもいきって彼女に理解を求めたそうだ。ところが彼女はあまり気にしていなかったみたいで、助かったよと言っていたが。どうしてそんなに簡単に彼女が理解、納得したのか不思議なことではあるが、うらやましくもあった。そしてその理由が少しだけだが分かった。彼はその当時日曜日も出勤するほど忙しく、そのため今時の結婚前のお付き合いと違って、そもそも二人が会う機会が少なかったからではないかと今でも思っている。
 結婚後に奥さんに聞いたところ、奥さんのお父さんのおならは聞いたことがなかったそうで、それに対比して彼を相当のおならたれと写ったようだ。お父さんは、明治生まれで他人に迷惑を掛けることを極端に嫌う古武士のような堅物であったらしい。彼いわく、人間としておならを一度ももよおさないことなどあり得ないことである。どこでどのようにして処理していたものか?生前についぞ聞き漏らしたと悔やんでいたが聞くことも難しかったのだろう。
 彼らの仲人は上司ではあったが、釧路市内でも有名な人物となった人であった。
 彼は家庭と職場との在り方について、仲人の意見をいろいろと聞いて参考にしていたそうだ。それと言うのも仲人の家庭も両親と同居していて、家庭生活の上ではいろいろと食い違う事があったそうで、それをどう乗り越えて行ったかの智恵は、参考になったようだった。
 彼の場合も結婚すると言うことは、今まで住んでいたところに、彼女が嫁になって入って来て家事をすることであり、彼の母や妹と同居することが当然と思っていたようだ。実際に生活が始まると、やはり難しいことがいろいろともちあがったのも事実である。
 彼は仲人の智恵を活用することにした。それは、家庭でよい夫、よい息子にならないことだそうだ。つまり、嫁と姑の悪口の対象になり、二人が共同で彼を非難する体制をつくることであった。彼は、いろいろと悪い息子、悪い夫を演じることにした。仕事なのか遊びなのか、時には自分の家の前を通り過ぎても夜遅く酔って帰ること、マージャンで人の家をたずねて歩き、彼の家にも友達を呼んだり、時には徹夜マージャンもやったりした。家では仕事のことはあまり語らず屁ばかりふっていたそうだ。当然毎日嫁と姑の話題は彼の悪口となり、これには放屁が重要な役割をしたそうだ。そのせいばかりとは言えないが、三十数年たった現在に至るも彼の母と彼の妻君とは、不思議なくらい仲が良く特に母親は、嫁を全幅に信頼しているようだと言う。これも屁の効用の一つとしたらたいしたものだと言える。
 彼の家庭は実にうまくいったようで、まるでミヒャエル・エンデが 「 モモ 」 の中で書いているように、 「 わが家の平和 」 が保たれてきたのだとしたら、この短いフレーズの中に実に多くのことが含まれているようだ。奥さんと彼は、臭い仲らしくその後それらしきことについての苦情も聞かなくなった。
 最初の遺伝のところで書いたように、彼らは三人の子供に恵まれた。最初は男の子、次ぎも男の子、三人目でやっと女の子であった。それぞれ赤子の時には屁が出るもので、それを聞くたびに彼の心を悩ましたことも事実であった。悪い遺伝ではないかと。特に、女の子の場合には将来のいろいろのことを想定して、心配してきたそうだ。
 あの赤子の時代から約三十年経ったが、三人とも順調に結婚し、お正月とお盆には、彼を中心に孫ともども全員集まる習慣が続いているそうだ。
 ある年のお正月に集まった時に、彼は思い切って性癖の話をした。その時それぞれの夫婦が顔を見合わせて笑った。やはり普通の人より放屁することが多いらしい。が彼ほどの強力なものではないらしく、それぞれの夫婦のなかで認めあって円満に経過しているようなので、それ以上の話を聞くことはやめたそうだ。
 また彼には四人の孫がいて、それぞれ立派に育っているようで、嫁も婿もまして孫もいない私には本当にうらやましい限りだ。
 孫さんについて彼の失敗談を聞いた事がある。彼は、本当に子供好きなので孫とすぐ手をつなぐ。ある時、孫の一人が 「 おじいちゃん、くさい 」 と言って手を離そうとした。彼は、うっかりしていつものように気持ち良くふかしていたのだった。孫の頭部が丁度彼の腰のあたりにあることに気がつかなかったそうだ。
 この孫さんたちがどんなおならたれになるのか、やっかみではないが楽しみではある。
 ここで、屁について少し調べてみたことを書いてみよう。常用漢字に入っていない。ワープロで出すのも難しい。やはり、軽く扱われているからなのか。
 ある記録によると江戸時代以前は、 「 屁 」 とは、男性のみ使い、女性には 「 おなら 」 がもっぱらで、たまに 「 おすそあそび 」 と言う言葉を使っていたらしい。何やら古川柳の趣が感じられる言葉である。


九・管理職時代

 放屁の事ばかり書いてきたが、彼の勤めているこの会社は右肩上がりの収支で、平穏無事であったように思われるものの、長い間には色々なことがあるものだ。
 彼と気脈の通じている人が苦難の末社長になったのだ。そのためだろうが、彼は初めての管理職に抜擢された。しかも内部の要である人事課長を拝命したのだ。友達連中は、彼の就任を喜ぶとともに、人をいろいろなポストに意のままに動かすことができて毎日がさぞ楽しいだろうとうらやんだ。が彼にとっては楽しいどころか心苦しい日々だったそうだ。進言して実施した人事がうまく機能するか、やる気をなくする社員が出てこないか心配しながら、衆目の中で管理職としての仕事を進めなければならなかったからだろう。新人事課長として。
 そして人事異動の時期になるとどうしてなのか屁が連続して出るようになるそうだ。これは、彼の精神状態と密接な関係があるのではないかと思う。
 人事異動の原本を作るには、どうしても小さい部屋でまず資料を作り、それをもとにはじまるそうだ。これは秘密を守る上で止むを得ないことだろうが、屁の始末には困ったようだ。
 自分の性癖を皆に告白すると、たれればよいでしょうとスタッフは言う。しかしこんな部屋では、自分も臭くて頭にくるのでトイレに行くようにした。
 素案つくりのためにいろいろの人に相談するが、約十分おきくらいにトイレに走ることもあり、あきれられるとともに、相手は落ち着いて話を聞いてくれないのではないかと苦情を言う場面もあったとか。こんなトイレの中での放屁と共に浮かんできた発想が、良い構想としてまとまったこともあったそうだ。こんな人事は本当に くさい人事と言ってよいのではないか。
 人事異動の案が決定になってから二日くらいは、色々な点検、手続き、発表準備などで徹夜になる。何となく寝不足で食事時間も不規則、こんな時はいつもより臭いものが出るので、大変な苦痛だったそうだ。わかるわかる。
 しかし管理職になって苦しいことばかりではなく、良いこともあったようだ。それは、係りから離れて机が置かれていることで、少しくらいのふかしは、隣の人に嗅がれることもなく、臭気が拡散して係員のところに着く時には相当薄くなっていると思い、比較的自由にやれるということだ。
 だが、油断大敵、こんな失敗もあったのだと彼はしみじみと言う。
 ある時決済書類でどうしても聞かなければならないことがあったので、大きな声で部下を呼んだのだが、その瞬間心ならずもふかしてしまった。呼ばれた部下は、何事かと飛んできて 「 ご説明します 」 と彼の後ろの方からていねいに書類を指しながら始まった。相当臭かったらしく、すごいかををしてなかなか出てこない。 「 やあすまん 」 と一言言ってその場はすんだが、やはりふかしてしまったのだから、 「 いや後でよい 」 と中止すべきだったと反省しても後の祭りだった。課長の性癖については、すぐに広がり存在感のあるものとなった。以後席でふかすことは、できるだけ抑え、ある種の緊張感を続ける事になったそうだ。
 また女子社員が説明するような時は、後ろに回さないでテーブルを挟んで聞くことにした。いろいろと苦労があるものだ。
 人事課長という職は忙しく、特に当時は団体交渉が激しい時代だったから、その窓口の役が彼の大きな仕事であったそうだ。彼が当事者となったある団体交渉に出席した人から聞いた話だから事実だと思うが、例年の賞与の率を削ると言う経営者側からの提案で彼も相当緊張したのだろう。何でもへらすという提案は、このときが初めてだったそうだ。
 二十人くらいの労働組合員の前で 「 それでは私の方からご説明したいのですが 」 と言ったとたんに、ブブッとやってしまったそうだ。労使皆がおやっと思いあっけに採られて課長のほうを見た瞬間、 「 承りますが、詳しくご説明を願います 」 と応えて ブブッと同じような調子のものをやった。正に労使対等だ。しばらく間をおいてどっと笑いがおきた。屁に始まった団体交渉は、和やかに進行したことは言うまでもない。
 これも屁の効用なのだろうか。
 彼の長い人生の中でこの頃が一番屁を催し、一番苦労した時期であったよう。苦しむこともあったようで、特にこの時代の団体交渉は集団交渉で、相手は青年部であったり、現業であったりして変るが経営側は変わらず、途中でトイレに走り、おならと咳で目を開けられなくなった時もしばしばだったようだ。極端な時は、トイレにうずくまり涙で顔がぐしゃぐしゃになって、ドアの前で部下が心配して待っていたこともあったという。かれは、少し大げさだが命の危機を感じてタバコを辞めることが出来たと負け惜しみを言っていた。
 ある時あまりおなかがはって仕事に力がはいららないし、出るものも出ないので、時間を見つけて市立病院の内科に走った。診察した内科医師は、まじめに彼の話を聞いてくれて、すぐ下腹部のレントゲンを撮ったそうだ。それをもとにした内科医師の説明によると、腸の黒く写っているところがガスだそうだ。相当にたまっているが、これは食べ物から発生したものではなく、食べ物と一緒に飲み込んだ空気だろう。呑気性といって気が弱い人やストレスのたまった人に見られる現象だと言ってガスを抜く飲み薬を出してくれた。それほど急には楽にならなかったが、おならが出ること出ること、さすがの彼も屁疲れをしたそうだ。我々から見ると、彼はそんなに気が弱いとも思われないが、やはりストレスは相当たまっていたのだなあとその診断に納得した次第。
 いろいろなことがあったが、とにかく彼は、何とか人事課長の職を三年間勤めあげて、次の課長職へと異動するのである。今度は希望して営業の方の課長となったが、ここは、道内外からの来客が多く、又女子社員も多いので、やはり屁にまつわる話題も絶えなかったようだ。だが、私もこの時代は何かと忙しく仕事のことは聞いたことはあるが、屁についての具体的な話は残念ながら記憶にない。
 この課長の職もそれなりに彼のパーソナリティーを発揮してうまくいったみたいだ。そして、部長、取締役へとへとともに昇進して行くのだった。


十・経営者時代

 数年後、彼は部長となり取締役に昇進していた。年齢も五十を越していわゆる管理職から経営者として働き盛りを迎えていたが、昇進は早いほうだろう。
 人は、この年代になると何となく若い頃の仲間を思い出して集りたがるものだ。女性は、子育てから解放されるからだろうか。男性は、競争社会から脱して一服し過去をふりかえるゆとりができるからなのか。とにかくクラス会とか同期会とかが盛んになってくる。読者の皆様も思い当たることでしょう。こういった集りは、還暦を迎える時に頂点になるのではなかろうか。
 我々もそんな集まりで彼と話す機会が多くなったので、思いきって彼の性癖のその後について聞いてみた。
 二、三回にわたってぽつりぽつりと思い出しながら話したことをまとめてみよう。
 彼は四十代で部長になった。その時代にさかのぼって見ると、外来の客も多くなり、道東や釧路の状況を説明しながら、業界を含めての新しい情報を得て、いろいろと企画を立てることが仕事だった。そんなお客との面談中に意外にもよおすことが多いそうだ。これは、ある程度の緊張が胃腸の活動を促すことになるからだろう。そんな時どうしたのかこちらも真剣に聞いたものだ。お話中にもよおした時は、緊急な用事を思い出したように振る舞い、相手に断ってソファーを離れ、廊下に急ぐ。走るのではなく、ゆったりとしかも忙しそうに、トイレに行かずに U ターンしてそして歩きながらフカす。しかし、廊下に他人が通っている時は、少しもたつく。そして戻って話の続きをする。こんなことが日常化していたようだ。特にふわふわしたソファーのときは、どうしてなのかもよおしが激しいようだった。
 取締役となると、夜の接待や付き合いも急に増えてきた。部屋も個室になって補助する担当者もおかれたが、椅子に座る間もないほど忙しくバリバリと仕事をこなしていたと言う。
 こんな日常の中でも彼の性癖は、やはり人に言えない苦労が多々あったようだ。個室もある意味で困ったと言う。我々からすると、うらやましいような職場環境だが、彼にとってはあまりあずましくなかったようだ。あまり大きくない個室では、臭いがこもる。廊下に出てと思っても、部屋の外では、命令を待ち受ける社員が仕事をしている。 「 何かありましたか 」 と聞かれては、出入りもそんなにままならない。まあいいや、と一発やると必ずと言っていいほど 「 一寸打ち合わせたいことがあるのですが 」 と言う事になる。あわてて窓を開けながら二、三分待ってもらうが、差ウイ氷点下の朝などは暖房節約の上からも、おかしな事であるがやむを得なかったようだ。
 夜の酒の機会が多くなると、どうしてもおならの臭さは重くなってくる。これは当然としても、個室でタバコの臭いと結びついた時の悪臭は、たとえようがない下品なかおり として漂うそうだ。前にも書いたように、彼は人事課長のときにタバコをやめていたから、どうしても他人のタバコが気になる。親しい友達などには、 「 お前まだそんな時代遅れのものをのんでいるのか 」 と言って牽制するが、来客などにそんなことは言えるものではない。
 そこで、応接セットの煙草入れの中に煙草を入れないで、飴をいれていた。私が彼の部屋を訪れた時に煙草入れを覗いて見たら、ニッキやハッカや塩味の飴が入っていた。昔懐かしい飴ばかりだったが、一つ二つ口に入れたがどれも刺激のあるものばかりなので、これも臭い消しの助けになるのかなと思ったものだった。
 当時の商工会議所の会頭さんが彼の部屋を訪ねて来られた時もこの飴に感心したそうだ。ご自身が真似したかどうかはわからない。
 彼はこの飴を買うことを楽しみにしていたようだ。たまに奥さんとスーパーの買い物に行ったときなど飴の勉強になったと言う。
 先にも書いたように、本州方面からの来客が多く、その話題や挨拶に必ずと言ってよいほどゴルフが出てくる。そんなことで、仕事上からも彼もゴルフを真面目に始めたそうだ。もともと運動がそんなに得意ではなかったが、やり始めると結構熱心に取り組んだようだがあまり練習はせずに、部下から教えられることだけやっていた。が接待等では困ったことがあったとか。
 我々は、ゴルフ場は屋外でしかも広いところであるから、自由に放屁できて幸せでしょうと言ったが、さにあらず自分も最初はその気になってふっていたが、前の日の接待酒がひびいて、相当なものが出ることが多い。その場合は屋外といえども相当広い範囲に臭いが漂う。大切なお客様に顔をしかめられとこともあったとか。そこでみなから離れたところで放つ事にしたが、このタイミングがまた大変難しいそうだ。来なくてもよいのにそんな時に、キャディが寄ってきてあれこれと教えてくれるが他のお客も来るのではないかと気が気でなくなるそうだ。
 そうなると落ち着きのないゴルフとなってしまうとは、情けない話だ。
 しかし、そのゴルフも何年もやっているとそれなりに、要領よく力を入れるところと、下腹部に力を入れて放屁するところをわきまえて楽しむことが出来るようになったそうだ。
 取締役になっても彼の性癖については、部課長の時と同じような苦痛があったようだ。違うのは専属の車と専任の運転手が付いたことだ。そのため、車でかなり遠くまで仕事で出かけることが多く、車内での催しを抑えるという事も加わった。しかし、何人か運転手が代わったが、そのうちの一人が彼ほどではないが、やはり同じ性癖の持ち主であったことがあるそうで、そんなときには、お互いに理解の上で、窓を開けて走っていたと言う。どうして、その運転手が同じような性癖を持っていることが分かったかというと、ある時街の中を色々な会社に挨拶して歩く仕事があった。乗ったり降りたり忙しかったが乗るたびに車内に違う臭いが漂っていた。これは決して彼の臭いではなかった。ハハ−ンと理解した。後日彼がもよおした時に車内で大きいものをふって自分の性癖を話した。運転手も自分の性癖をボソボソと打ち明け、それからお互い様で楽になったみたいだ。それ以来専用車はふかす社用車となってしまったようだ。
 彼の話によると、世の同性愛者は互いに口に出さないでも分かるように、又 SF では宇宙人が互いに分かるように、強力放屁人は、それとなく互いに分かるそうだ。本当だろうか。


十一・冠婚葬祭

 私も年かさのためだと思うが、冠婚葬祭の役がまわってくる。まして彼の場合は、今までに一緒に仕事をした人の数から言っても冠婚葬祭の役を引き受けなければならないことが多かったであろう。その中で屁との関連についてボソボソと言っていたことをまとめてみよう。
 まずは結婚式と祝賀会だ。祝賀会の主賓としてのご挨拶は、何時も同じようなものをなれた口調でやるからそんなに緊張しないでやれる。だから、もおしが来ても困る事はない。何時ものようにすきを見てふかす。特に、しかし、媒酌人には苦労して来たようだ。特に、最近であまり聞かないが、結納の儀式をしたときは、ほとんどは畳の部屋だから、正座のくり返しとなり関係者は緊張の中で息を詰める。そんなときは、絶対にふかすことは出来ない。腹圧がかかるので、儀式の前後に失礼してトイレで処理するのが最もよいのはご承知の通りだ。しかしそのトイレの時にいくら頑張っても出ないことがほとんどで、肝心なときにもよおしてくる。この苦しみは自分の子ども達の結納の時も同じだったようだ。そして祝賀会の時は、隣が新郎で後ろに会場係りの人がつく。ここでは、ふかせない。儀式は小一時間これを我慢する。新郎新婦が席を立てばしめたものだ。ポツンとあまりたって出入りは出来ないが、そこは出番もおわったので多少のアクビも許されると思い処理する。そんな苦労を他人はあまり知らないようだと言っていた。
 さて葬儀委員長の方は、最近の椅子式は助かるが、彼がやってた時代は、会館でも、お寺でもほとんどお座りのお通夜と告別式であった。満足なアグラもかけない彼は、苦痛の連続だったと言う。特にあまり儀式を知らない宗教の場合など、参会者は、委員長の真似をする。葬儀委員長はお座りのモデルでもあったのだ。正座したりくずしたり、モデルにされた彼にとっては、タマッタものではない。身体の調子如何では、顔面蒼白になり、早く終らないかなあと念ずるようになる。足がしびれた時の何倍も苦しかったようだ。
 あるお通夜で彼は、放屁を抑えることを考えて、葬儀委員長として正座を続けた。沢山の参拝者が正座していたらしい。いかねて後の先輩が、 「 そんなに堅くならなくても 」 と忠告したが、そのときが一番あぶなかったので、正座をやり通したそうだ。足のしびれも何のそのである。こんな苦しいやくわりも、かれは頼まれれば断らなかった。性格なのか、不思議である。


十二・放屁学について

 そんなこんなで我々も年を稼ぎ還暦を迎えるようになった。彼も第一線を退き第二の職場へと移っていくのだが、性癖の悩みからも一部開放されることも確かなことだろう。加齢とともに、頻度が減り、時折臭いものを出すが、やや正常な人に近づいたと喜んでいた姿は、どことなく子共っぽいところがある。まったく憎めないで今日まで付き合ったものだ。
 この報告もこの辺で終わりにしようと思ったが、 「 放屁 」 という学がついていながら、彼の報告を纏めたにすぎないのに気がついた。そこでではないが、うんちくを並べてみよう。
 彼の頻度が減ってきたことと関連あるのか、どうしてなのか分からないが、最近は、屁について人々の話題は減ってきていると思う。民がたれる屁の数が減ってきたからだろう。国民の食生活が変わって昔と比べると胃腸の調子がよくなったせいもあるのだろう。戦中戦後の食糧難時代は特別としても、江戸時代から明治、大正時代にかけての近世では屁にまつわる話が多く、下町の話には必ず出てきた。そんな話をまとめてみると、いろいろな地域で放屁会が開かれていたようだ。こんな時代と彼とを比較したらどうだったろうか。
 当時の娯楽は、今のようにいろいろな機器やメディアを利用するのではなく、あまり道具を使わないで肉体を使ったものが多かったそうだ。村相撲にはじまり、指相撲、腕相撲、力比べ、声を使ったものなど器用さやチカラで勝負していたらしい。だから、放屁会も何の道具も必要としないから、各地で催されたようだが、こんなものは記録にあまり残っていないと言われている。しかし、奇特な人の調べたところによると、放屁会は共通して 「 はしご屁を最高点とする無礼講 」 とも言われていた。ただ雑然と無秩序に音を出しあっていたのではなかったそうだ。そこで、 「 はしご屁 」 というものを調べてみた。二本の長い材木のつもりで長いのを同じような長さで二発、次に横木でやや短いのを五発やれば五段、七つやれば七段のはしごになるとのこと。やさしいようでこれが最高点だった。そのほか 「 イタチの一声鳴 」 「 すれちがい 」 「 ウグイスの谷渡り 」 などなどあったが、次の機会にsつ名したい。こんな時代では、彼の放屁などもののかずにもならなかったであろう。
 前にも書いたように、最近は経の話が少なくなったと感じていたら、七月に北海道新聞と釧路新聞にたてつづけに屁についての記事があって大変に勉強になった。特に釧路新聞によると 「 小腸に入った空気は、栄養分と同じように腸粘膜を通して血管に溶け込み、肺に回って呼気として排泄される仕組みが分かって来た。肺や腸の活動が不活発な人は、大量に大腸へ。そして所嫌わず連発することになる 」 と言う点と 「 人が一日に出すおならの量は、四百 〜 二千 ミリリットル と言われています。随分と幅がありますが云々 」 の記事は私にとっては、新しい知識であった。
 また、新聞によく新製品の記事が載る。先日見るともなしに読んでいたら、小林製薬で整腸剤 「ガスビタン 」 をこのほど発売したとの記事に目を見開いた。なんでも消化酵素の働きで食物繊維を分解してガス発生を抑えるほか、消泡剤の働きで発生したガスだまりを潰し、膨満感を解消するとのこと。
 こんな薬が早く出ていたら彼はもっと楽しい若い時代を過せただろうに、とすぐ彼のことを考えた。


十三・自分の屁を見た

 この原稿を書き上げてほっとしていた時、彼から電話が入り、自分の屁を見たという。彼の屁とここまで付き合ったのだから、彼に会って詳しく話を聞くことになったのは当然だ。
 過日彼は、突然下血したので、市立病院の外科に行くとすぐ入院して調べることになった。血便の色は、赤黒かったようで、医者は痔ではないかといろいろ検査したが分からない。二日間絶食して胃カメラと腸のカメラで調べたら、胃の方は異常なく腸の方を詳細に調べたようだ。彼にとって腸は初めてのことなので、おそるおそる目を開けて首を向けるとカラーテレビの自分の腸の中が写っているではないか。医師はやっと憩室と言う所で出血があったことを突き止めて、一件落着したが、どうも腸の中に異常にたくさんの泡があると言う。これはへの一部に違いないと思い 「 俺は異常に屁が出る性質だ 」 と言ったところ、医師も認めて、これが集まって大きな屁になるのだと教えてくれた。この泡を見た彼は、感慨ひとしおのものがあったという。ご同慶の至りだ。
 彼の第二の職場は、座る場所もよく大変住み心地がよかったが、いろいろな事情から、今は第三の職場で頑張っている。
 七回にもわたり臭い話を続けて、さぞ不快になられた方もあったでしょうが、彼に免じてお許しいただきたいと思います。
 屁とともに過して彼の人生が、今後も健康で笑いの多いものであることを祈ってこの 「 放屁学外伝 」 を終りたい。

( 完 )

Updated 30 June , 2019