Kataro ホームページ 「 河太郎 」 第 17 号 平成 20 年 ( 2008 年 ) 4 月 1 日

「 釧路に於ける音楽鑑賞活動の流れの中で 」 ( 10 )

徳田 廣

 前号では高後先生と川村清一先生のことを中心に記述したが、今回は川村先生のご子息の川村英司さん ( 以下人名の敬称は略 ) のことから書き始め、加えて釧路と関わり深い演奏家等にふれてみたい。


「 川村英司リートの夕べ・ in 札幌 」 〜 ふるさと北海道にて喜寿を祝う 〜

が北海道フ−ゴー・ヴォルフ協会の主催で今年 10 月 30 日、札幌 kitara 小ホールで行われた。曲目はシューベルトの 「 楽に寄す・セレナード・魔王 」 やシューマンの 「 詩人の恋 」 ( 16曲 ) のほかにハンス・プフイッツナの歌曲や日本歌曲など。去る 6 月には東京文化会館小ホールで 「 喜寿を記念してリサイタル 」 を札幌でのリサイタルと同じく世界的なピアニストのジェラルド・ムーアに比肩する小林道夫のピアノ伴奏で行われた。
 川村英司は音大卒業の時に夢見た 「 45 歳 〜 55 歳の十年間は私にとって一番良い演奏をしたい 」 という理想をはるかに超え、夢にも考えられなかったこの年まで歌えたことで、先ず総ての事柄に感謝しなければならないと思うと語っている。

川村英司

 川村は 30 ( 昭 5 ) 年、旭川で生まれ、 48 ( 昭 24 ) 年、現武蔵工業大学に入学、 49 ( 昭 24 ) 年から音楽の勉強を始めた。 57 ( 昭 32 ) 年 10 月、オーストリア政府給費留学生としてオーストリア国立ヴィーン音楽院に入学、リートとオラトリオを E ・ヴェルバ、 F ・グロスマン、オペラを J ・ヴィットの諸教授に師事、 59 ( 昭 34 ) 年 9 月、戦後復活した第一回「国際ハイドン・シューベルトコンクール」で一位優勝し、その後リート・オラトリオ歌手としてオーストリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、北欧諸国、イギリス、、スペイン、アメリカ、オーストラリア等の国々でリートの夕べ・オラトリオをオーケストラのソリストとして活動。オーストリア放送委員会の招きで日本人 ( アジア人 ) の初のコンサートツアー。
 一方、国内では 78 ( 昭 53 ) 年シューベルト没後一五〇周年記念五夜連続、 83 ( 昭 58 ) 年ブラームス生誕一五〇年記念三夜連続、 85 ( 昭 60 ) 年ヴォルフ生誕一二五年記念四夜連続のリサイタルなどを行う。 63 ( 昭 38 ) 年日本フーゴー・ヴォルフ協会を設立、 96 年 3 月武蔵野音楽大学を定年退職、東京ドイツ・リート研究所を設立するほか 「 ドイツ・リートの解釈について 」 などシドニー音楽大学やドイツ連邦声楽教師連盟の招きで講演など行い、幅広くドイツ歌曲の普及に努めている。
※註・関連記事本誌 7 号も参照されたい。


「 鈴木公江 ( 旧姓河野 ) 」

 父は戦後間もない頃、三井本社から太平洋炭鉱に赴任した河野資材部長であるが、文化活動面でも釧路には多大の功績と影響を与えた人であった。
※註・本誌 2 号の年表下段の 54 ( 昭 29 ) 年 〜 57 年参考

 鈴木公江は 32 ( 昭 7 ) 年東京生まれだが、三歳の頃から前記川村英司の父川村清一に師事の後、川村の後輩にあたる結城 ( 旧姓坪田 ) 貞子、瀬戸山雪子らに師事。 49 ( 昭 24 ) 年武蔵野音大の福井直俊、福井直弘の演奏会 ( ※註・本誌 1 号の資料 4 参照 ) が開かれた際、鈴木は両教授にピアノを聴いてもらった。 "すぐ上京してもいいですよ" と技量を認めてもらい、川村先生が基礎をしっかり教えてくれたからだと感謝し、驚きと喜びで胸が熱くなったと言う。 55 ( 昭 30 ) 年武蔵野音楽大学ピアノ科、徳川愛子、レオニード・コハンスキーに学び、同年読売新人演奏会出演、 NHK ピアノオーディション合格、 56 ( 昭 31 ) 年同大学ピアノ専攻科修了、品川区荏原中で合唱部を創り、同年東京都大会で優勝。その後、 NHK 合唱団特別講演合唱コンクールに伴奏者等で活躍。 78 ( 昭 53 ) 年アメリカ、グリンガムヤング大学サマーフェスティバル講師に招かれ、昭 50 年代になってアテネ音楽院に入り、ジャズ音楽等も幅広く学び、即興演奏を宅孝二に学ぶ。 92 ( 平 4 ) 年音楽の友社から、こどもの声域に合わせた愛唱歌集 「 ぼくもわたしも歌えるよ 」 を出版した。フランス近代ものなどの演奏も数回 NHK から放送された。ピアノの初歩を川村清一に習ったので、幼い頃から川村英司と知り合い、現在も良き交流を深めていると聞く。


「 大野国夫 」

 釧路市生まれ、東栄小、湖陵高校、武蔵野音楽大学へ進み、 58 ( 昭 33 ) 年同大学を卒業後、長門美保歌劇団で活躍し、その後教育界に転じ、埼玉県川口市東高等学校長、同県高等学校音楽研究会会長、全国高等学校文化連盟合唱部副会長、武蔵野音楽総務部参与、同校同窓会事務局長などを歴任。 60 ( 昭 35 ) 年には大野国夫後援会 ( 丹波節郎元公民館長が会長 ) を荒谷宏夫妻など友人等が組織し、帰郷リサイタル ( ピアノ瀬戸山雪子 ) てからは、前記諸活動のほかハイドンのオラトリオ 「 四季 」、モーツアルトの 「 レクイエム 」 等でバス歌手として本領を示した。合唱指揮指導として、埼玉県演奏家連盟顧問をつとめた。父大野芳太郎は青森県出身で、釧路では知人町で漁業関係の仕事に従事し、 "「 木遣り唄 」 を正調で聞かすことができるのは大野さんぐらいしかいないだろう" と知人の多くの人達の言。また現在、入舟町に有志の人達の力で 「 ふるさと館 」 が保存されているが、以前持ち主であり、釧路の議会や商工関係で活躍した佐々木米太郎の養女の次女美和 ( 旧姓舟木 ) は瀬戸山雪子の門下で、大野国夫夫人でもあり旧家との縁も深い。本年 ( 平成 19 年 2 月 ) 不慮の事故で他界した。活動を共にした人、知己友人、人柄を愛した人々など、もの凄く多くの人が葬儀に参列し、故人を偲んだ。 ( 写真はモーツアルトの 「 レクィエム 」 演奏中の大野国夫氏 )

モーツアルトの 「 レクィエム 」 演奏中の大野国夫氏

「 岩田りつ

 音楽家ではないが、音楽人として紹介したい人である。岩田は現在、オランダのアムステルダムに住んで、ヴァイオリン製作をしている職人 ( マイスター ) である。 75 年に景雲中学校を卒業、 8 0年に江南高校卒業と同時に無量塔蔵六主宰の東京品川の 「 東京ヴァイオリン製作学校 」 に入学した。その後、無量塔氏のアシスタントとして教鞭をとる。無量塔は日本でのヴァイオリン製作の第一人者で、ヴァイオリン奏者の辻久子などが愛用した。
  87 年、岩田は東ドイツに渡り、ヨアシム・シアーデの助手として働き、 88 年、アムステルダムのマックスメラー社に入社し、弦楽器修理の仕事をする傍らアムステルダムの市内の自宅でヴァイオリン製作を続けている。基本的な姿勢としてプロの演奏家のためにしか製作も修理もしないと言うポリシーを貫いているようである。岩田の楽器を使用している人の中には 「東京カルテット 」 「 フォグラー・カルテット 」 、今井信子、コンセルトヘボーのコンサートマスターの他数名演奏家。奥さんもコンセルトヘボーのヴァイオリン奏者である。 ( 父岩田廣はしない中学校の温厚な美術教師であった 。)


「 三上希予子 」 ( 旧姓五味 )

 東京生まれで国立音楽大学付属小学校で "黒柳徹子" の 「 窓際のとっとちゃん 」 に登場する小林宗作先生との係わりも深く、何度か習ったことがある。設立されて間もない学校で、一クラス十八名の二学級で一年生、上級にいくほど他校からの転入のかたちで五、六年生は僅か数名だったという。
 祖父 ( 五味泰造 ) の時から縁があり、三井鉱山から太平洋炭鉱、東京へ戻って取締役で退職。父 ( 五味久雄 ) は太平洋炭鉱営業部門で活動後、富山県伏木所長、太平洋興発を経て三井埠頭 ( 川崎市 ) へ。
 三上希予子は中学 ( 旧弥生中 ) と湖陵高校 ( 十八期生 ) と釧路で過ごし、武蔵野音楽大学器楽科ピアノ専攻、椒谷保一教授等に師事、その後東京町田市音楽協会で町田市こどもピアノコンクールを主催、同コンクール審査員には小林仁 ( 東京芸大教授 ) 坪田昭三 ( 同大名誉教授 ) 大堀敦子 ( 同大名誉教授 ) 深沢亮子 ( ピアニスト ) 林秀光 ( 桐朋大教授 ) など高名者が揃っていて、全国各地方からの応募者も多く、年々数を増しているので昨年からは 「 町田市こどもコンクール 」 の町田市の市を除き 「 町田こどもコンクール 」 と名称を改めた。三上は大学時代、バロック、古典派、ロマン派をはじめドイツ、フランスものを広く学んだ。前記のこどもコンクールの他に 「 町田市ことぶき合唱団 」 の指揮者を依頼され、平均七十歳を超える高齢者の合唱団を ( 若者のように声は出ない労苦もあるようだが ) 元気に導いて一時間以上のステージで立ち通し、完全に暗譜し歌っている姿にむしろ指揮者の方が感激するくらいと本人の言葉。平成 7 年、オーストラリア文化庁主催の 「 日豪音楽文化会 」 に参加し、シドニーオペラハウスで歌っている。
 ふり返ってみると、前記した鈴木公江、現在 ウィーン・フォルクスオパーのプリマ格で活躍中の中嶋彰子 ( 井原元鳥取町長が祖父で = 以下本誌7号参照されたい。 = ) 、そして三上希予子は父が太平洋炭砿と係わりがあり、従ってこの三名の音楽家にその点で不思議な結びつきを思いつつ、一方では釧路での指導者の印象が薄くも感じられる。


「 高島拓也 」

 釧路市出身で道教大からフィンランド留学、平成十五・十六年に PMF に参加、 NHK TV からオーボエ・グループ中核的役割の様子が放映された。現在、フィンランドのトゥルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席オーボエ奏者、平成十五年には札幌中島公園豊平館、翌年には札幌時計台ホールでヘンデル、バッハ等の作品を取り上げ、リサイタルを開いている。詳しい経歴はまだ承知していないが、新進の奏者の演奏を釧路でも聴いてみたいものである。


参考・引用文献・書簡

     ・川村英司氏からの書簡、リサイタル等のプログラム
     ・鈴木公江著 「 ぼくもわたしも歌えるよ 」 ( 音楽の友社 ) のプロフィール
     ・大野国夫、三上希予子両氏からの書簡
     ・北海道新聞、朝日新聞、釧路新聞
     ・佐藤昌之氏(道教大釧路校名誉教授)からの書簡
Updated 28 June , 2019