Kataro ホームページ 「 河太郎 」 13 号 ( 平成 15 年 9 月 1 日発行)

釧路市総合調査 第 V 篇 総括

『 人びとは生活するために都市に集まり、よき生活をするために、そこに留まる 』― アリストテレス ー

故 渡部 五郎


はしがき

 現在ほど我々が住んでいる釧路市というものを、意識的、かつ合目的々に観察しなければならない時期はないであろうと考える。
 それは単に、それらの観察に基づいて、国土開発計画、広域的地方計画、都市計画という系列の、最終端子としての責任を果たし得るというような、消極的な意味ではなく、市民の意志と理想に裏付けされた、積極的かつ論理的な、統一された 1 つのイメージが、上部構造の計画の中に十分織り込まれていかねばならぬと考えているからである。
 更に又、今日ほど行政の合理化が必要とされている時もないであろう。それは、只単にややもすれば、慣行と経験と推測の上に立った、非効率化への傾斜を大にしようとしている行政というものが、交通と技術の進歩、マス・コミュニケーションの拡大、正しい民意の暢達などに、正常に刺激されながら、より客観的、より主導的かつ長期的な計画性の上に立って、都市というものを、都市行政というものを、巨大な 1 つのマス ( Mass ) としての連動的、総合的な動きを見せながら、指向性を持っている有機体として解釈し、その動きを正しく指向せしめそれを助長させるために。最高限の力を発揮しなければならない時期に到達していると結論づけて、誤りではなかろうかと考えられるのである。
 云い換えるならば、我々は釧路市というものを無意識に集団としてではなく、秩序と理想とを粘着剤とした有機的構造を持った集団としての面から把握し、かつ指向性を有した、目的への到達努力に邁進せねばならないと考えるものである。
 アリストテレスがいった 「 人々は生活するために都市に集まり、良き生活をするためにそこに留まる 」 という言葉が、壮大な重量感と義務感とを以て我々の上にのしかかって来ていると言っても過言でなかろう。
 釧路市民の生活の場である釧路市が、その自然的条件に於いて、一体いかなる立場に置かれているのであろうか。或いは又、社会的、経済的条件はどのように解釈されねばならないのか。更に又、こういった現実が釧路市の未来をどのように規制してゆこうとしているのか。これらのことが、合目的性と合理性の上に立脚して、単に行政機構の内部からのみでなく、市民生活の現実の中ですくいあげられ、検討されてきたことは、本当に喜ぶべき現象であると思われるし、又、総合企画審議会のレーゾン・デートルも亦、そこに存するのである。そしてそのようなスクリーンを通して消化されてきたことが、市民の末端にまで滲透し、それが市民の新しい姿勢を作り上げることによってのみ、釧路市の発展は期して俟つべきものがあると思われるのである。
 この辺で、時代的視点を変えてみたい。
 北海道は、明治 2 年開拓使がおかれ、爾来明治 42 年と昭和 2 年に、夫々第 1 期 ( 10 年)、第 2 期 ( 20 年 ) の拓殖計画が樹立、実施されて来たのである。更に、太平洋戦争終結後 7 年を経て、北海道総合開発第 1 次 5 ケ 年計画の実施となった訳である。厳しい自然条件の中にあって、耐乏と苦難の荊棘の道であった、この 82 年の歴史は、同時に亦、釧路市と釧路市民の生活のそれであったといっても誤りではなかろう。
 釧路市は、明治 3 年、佐野孫右衛門の 90 戸・ 352 名の集団移民招募により、その生活の第 1 頁を開くに至ったのであるが、その釧路市の発展の推移を、人口の問題と絡み合わせて考えてみたい。がそれは、人口をあらゆる判断の基礎となるオール・マイティーのものとして考えているからではなく、自然的条件の変化、経済の隆替変遷を経ながら、今日の社会構造を作り上げるに至った、その発展の過程を最も集約的に表現するものの 1 つとして、人口をあげてよかろうと考えるからである。
 然しながら人口推移の多面的な考察は、既に、各編の人口のところに於いて詳細になされてきたのである。それ故一部分を採り上げて論述したいと思うのであるが、その中で農業人口比率の少ない釧路市のような場合に於ては、人口 5 万に達した昭和初期に於いて、その都市としての形態は、かなりまとまって来たと見做されるべきであろうという表現が使われているのである。この人口学的な判断は、一応首肯されるべきものであろう。然し、産業編、市民生活編等に於いて論述されている幾多の事実は、釧路市の場合は、この常識を超えなければならない多角的、多面的発展の方向と、多角的様相が産み出す社会の多角的バイブレーションが、顕著に見とられるのではないかと思われるのである。云い換えるならば、釧路市は人口 5 万、 10 万と夫々の段階に於いて、その都市的完成を一応見ながら、更に前進のための不安定な傾斜を示している。発展そのものために存在する都市であるという風に考えることは極端に過ぎるであろうか。
 更に又、各編の人口のところで記されている釧路市の人口増加の比率は、内容的には、漸増と激増との周期的変化を交互に繰り返している点にも論及しているのである。その周期的変化を、最近の時限だけに限ってみた場合、昭和 22 年~同 25 年は 27.1 % 、同 25 年対同 30 年は 28 % 、同 30 年対同 35 年の比率は、同 35 年 10 月 1 日現在の国勢調査によって明らかにされたように 26 % の増加率を示しているのである。つまり、釧路市の開基より太平洋戦争終結に至る間、かなり顕著に現れた漸増、激増の周期的変化は、少なくとも戦後 15 年間に関する限り激増の一途を辿り始めたと表現してよいものと思われるのである。
 このことは何を意味するかということは、この総括編第 1 章の中でも触れるところであるが、人口のものだけが都市の完成度の指標となり得ないのは、前述の通りである。然し、他の一応完成した都市と比較した場合に 「 … 釧路市は過渡的段階都市である。過渡期に向かって前進を開始した都市である 」 という木内教授の判断は充分傾聴に値するものであろうと考えられるのである。つまり我々に与えられたものは、このケイオス ( Chaos - 混沌とした世界 ) をしてコスモス ( Cosmos - 秩序ある小宇宙 ) たらしめるための長期かつ計画的な指標が与えられなければならないという事実である。目標のない計画は盲目であり、計画なき目標はイデーにしか過ぎないという事実をここで再確認しなければならない所以である。
 この歴史的回顧は単に趣味的になされるものではなく、種々困難な客観諸情勢が、当初より更に強まりつつある中にあってその歩みを続けてゆかねばならぬ北海道総合開発計画の中に在って、釧路市の地位を充分見極め、その独自性を強く主張しつつ、全体的計画の中に順応してゆく必要性を強調したいが為に北海道総合開発計画の細部に触れることなしに結論のみを摘出したような形になった訳で、この点はまことに舌足らずの感を免れ難く、恐縮に存ずるものである。
 以上、このはしがきの前半に於いては、このような総合調査の必要性と、釧路市のゆれ動きながら巨大な前進を続けつつある、側面をとらえて、将来の発展の予見をなしてきたわけであるが、云わんとするところをお汲み取り願い次に移って参りたい。
 はしがきの第 2 段として申し上げたいことは、このような総合調査の、釧路市における性格というものについて言及してゆきたい。
 前段に於いても記述したように、この総合調査というものは、決して自慰的なものであってはならないと思うのである。我々は、釧路市のおかれている現実から投影された幾多の問題点というものを、極力正確かつ客観的に把握すべく努力してきたのである。そしてその投影は、次の瞬間に、実践への段階に高められてゆかねばならないと思うのである。我々は極く限られた少数の専門委員の諸先生に各論についての記述をお願いした訳であるが、それ以外のもの、特に総括は、総合企画審議会の各構成メンバー全員の検討の上に立って記述してきたのである。それだけに、社会学、特に都市社会学の専門の、諸先生の眼から見るならば、表現の乏しさ、稚拙さ、或いは学問の領域に於ける常識を超えた、論理、思考、表現の飛躍等が随所に散見され、しかもまた、学問的忠実さと対立するような感性的ないし希望的観測等、不必要に調子を高くしすぎている点が多々あるのではないかというような御批判、御叱正等もあろうと、充分覚悟しているのである。然し乍ら、先に記述したように冷静な客観的な把握と同時に、それを実践的段階に推し進めてゆく意欲の発生への期待感も亦多分に、この総括の中に於て希望として記述したいと考えたからに外ならない。学問の権威という立場から見るとき、或いは権道をゆく者としてのご批判も多々あろうと察せられるのである。然し乍ら、我々、総合企画審議会としては、素朴ではあるが、生活の中から浮かび上がってきた諸問題、それを問題意識して採り上げてゆくことに所謂 "老人の眼" の取り方もあろうかと不遜にも考えたことをご了解願いたいと考えるものである。
 各都市から発行されている総合調査或いはそれに類する報告書の総論的部分を閲読するに、すべて、深い経験に裏付けされた、学問的、体系的なものによって統一されていることに、深甚なる敬意を払うものである。翻って、当市について考える時、内心忸怩たるものが存するが、同時に、素人的観点からのものとしての不安な自負とでも称すべきものが多少無い訳でもないのである。
 さて、この総括に当たっての考え方、釧路市総合調査の総括部門の特殊性とでも云うべきものに触れたのであるが、最後に、各編を通じてみた釧路市の現在の性格とでも言うべきものに触れてこのはしがきを終わりたいと思うのである。
 前半の人口とからみ合わせた釧路市の分析の処でも多少記述したのであるが、釧路市の現在のの性格を浮彫する、非常に象徴的なものがある。
 それは、特許庁ビルの通商産業省産業立地調査室にある日本全体の地図である。その地図の下にある配電盤の青年工業地帯のスイッチを入れると、釧路市の処に、ランプが点灯されるのである。同調査室では、その発行に係る 「 日本のフロンティア 」 なる冊子に於いても、釧路市を青年工業地帯であると規定しているのである。
 この総括の中に於いて、鉱工業、水産業等各産業の特質等については第 1 章、第 2 章に於いて夫々記述されるわけであるが、その全体的特質を一言にして述べるならば、この "青年工業地帯" なる言葉の中に、その本質を求め得ると考えられるのである。それを更に論述してゆくならば、

○釧路市は未完成の市である。先程の木内教授の言葉にあったように " 過渡的段階
 への前進を開始した都市 " である。これは、単に、産業の面のみならず、施設等
 の面に於いても未完成を示しているのである。前半の記述の中で、多発的バイブレ
 ーションなる語を用いたのであるが、更にそれを強めていくならば、アンジュレー
 ティング・シティ ( Undulating City - ゆれうごいている都市 ) なる語を用い
 ても差し支えないかと思う。そこには停滞している都市には見られない、 1 つの
 物理的な運動のエネrギー ( Kinetic Energy ) が存在するのである。常に、その
 振幅を大きくし、その運動のエネルギーを増大せしめながら、ゆれ動いている都市、
 それが釧路市であるといってよろしいのではなかろうか。更に、
○ Undulating City であるだけに、その持つ運動のエネルギーは大きく、而も現時限
 のエネルギー量はより膨大な潜在エネルギーの存在を暗示している都市であると結
 論をつけてよろしいのではないか。
○更に又、釧路市は、既成の都市に余り類例をみない 1 つの新しいタイプの都市とし
 て誕生しつつあるのではないかろうか。然し乍ら、その反面、それ故殊更に、脆弱
 性をも内包している都市との見方もなり立つのではなかろうか。云い換えるなら
 ば、その新しいタイプというものは、市民の叡智と努力によって生まれるものであ
 り、その使命が釧路市に与えられるが為に、その誕生への過程では、市民生活の面
 に於いても 1 つのその構造意識の不安定を生み出しつつある都市なのではなかろう
 か。

 甚だ概括的な表現に過ぎるかも知れないが、釧路市の特徴というものは、以上のような中に表現され、それを更に総括的に申し上げるならば、釧路市は、不整形な多角形をなし、その各々の面が、同時的な進展を見せはしないが、然し、確実にその多角形の面積を擴大する為に、時には、多少の歪みを見せながらも、ぐいぐいと伸びていっている都市であり、その各々の面の伸張の程度は、その内包する市民のその使命感と意欲と姿勢が決定してゆく発展のエネルギーに充分溢れた都市であると申し上げれれよう。そして、その家庭段階における不均衡の歪みを極力少なくしてゆくところに行政の使命も又存在するものであるということを付言して、このはしがきを終わり各章に移ってゆきたいと思うのである。



第 1 章 風土とその及ぼすところ

 釧路市の風土が、文化果つるところといったニュアンスを持っているのは故なしとしない。
 まず日本主要都市群から著しく東北に距たっているのみならず道央からもかなり離れている。また海空航路の利便を有しているとはいうものの、東京都を中心として文化的距離の一尺度である鉄道所要時間でも鹿児島市に比べて 6 時間も多くを要する。さらに緯度的にはイタリヤのローマとほぼ同じ位置にありながら海流 ( 親潮 ) や海霧の影響による年間を通じての低温、とくに冬季は強い季節風の影響もあってきびしい寒さを呈すること、さらにまた周辺に 「 不毛の地 」 と呼ばれる広大な泥炭湿地帯を擁しているためあたかも 「 陸の孤島 」 のような感じを呈していることなどによるものではないかと思うのである。
 一応、これらの事実を肯定しよう。しかしその反面、よく 「 釧路は活気がある 」 といわれる。市民の意識としてだけはなく外来者の第一印象としてもである。
 「 活気がある 」 という感じ方は 「 景気が良い 」 という事実に通ずるものであろう。このことは各編の市民生活編で明らかなように昭和 34 年釧路市民生活実態調査結果で釧路市の暮らしやすい理由として 「 景気が良い 」 というのが 17.6 % ともっとも多く挙げられている点からもある程度裏打ちされるであろうし、また各編の第 1 編第 2 章第 4 節人口でも述べられているように激増、漸増が交互に現れていた太平洋戦争終結までの人口増加の傾向を破って、昭和 25 年から同 30 年へかけての人口増加率が 28 % という全国第 2 位の驚異的な激しさを示している事実、さらに昭和 25 年 10 月 1 日現在の国勢調査結果でもそれに一層拍車をかけるような感じを呈している点からもその一斑の理由を窺うことができよう。
 これは釧路市という風土が外来者に与えるもう一つの印象と比べると非常に興味がある。
 かって漂泊の想いにつかれた啄木が詠み上げた釧路の印象と近代的な魂の戦きを全国の読者に伝えた 「 挽歌 」 に流れる情感は多くの観光客が期待してくるものであろうが、その底に潜む 「 辺境 」「 異境 」 というイメージについて考えてみよう。これは前述の景気が良いという印象と並べてみると相互に関連性がないと思われるのであるが、実はこの 2 つの要素が釧路市という土地の持つ雰囲気というか個性というか、ともかくそうした持味をよく表しているのである。
 釧路市が地理的、文化的に 「 辺境 」 におかれているというマイナス条件を現代科学がいつの日か超克するであろう希望と可能性を与えてくれる。しかし特殊土壌、特殊気象の要因は半永久的に続くであろうし、人間の生活の場としては不適な感じの方が強いのであるが、それにも拘らず全国第 2 位という人口の膨張ぶりを示し、それに連なる活気を見せているのはどうしたわけであろうか。そこには、マイナス条件をカバーするような他の強い魅力がなければならぬ。アリストテレスのいうがごとく 「 人びとは生活するために都市に集まりよき生活をするためにそこに留まる 」 とするならば、その 「 よき生活をするため 」 の可能性の要因がなければならぬはずである。つまり、生活の基礎的要件である所得をもたらすところの産業が介在しなければならぬのであり、さらにその前提として、産業のよってきたるところのもの、すなわち自然環境がなければならないのである。このような意味で、釧路市産業の成立の上に作用している自然条件という面と天然資源という面の観察が必要となるのである。
 さて、こうした観点から、まず自然条件について見るならば、釧路市は地形的には西方の北見山地もしくは、国境山岳地帯と東部の根釧原野もしくは根室台地と呼ばれる丘陵とに囲続された釧路平原の南部にあり、釧路川を境としてその東側に段丘を形成しているが、それが前面の太平洋に突出して港湾を形づくっており、この天然の良港を有しているということが産業立地の上で大きな利点となっているのである。しかしながら、地質的には釧路川、阿寒川、仁々志別川各流域と東南部の丘陵を形成している一部の沖積土を除いては特殊土壌と称される火山灰土と泥炭土であり、とくに農耕地に適さないとされている一部の沖積土が全市域にわたって分布し、背後の広大な釧路原野の全域にも及んでいるところに問題がある。また気象的に見ると釧路地方一帯は海流 ( 親潮 )や海霧などに影響されて年間を通じての低温と日照の乏しい特殊気候と呼ばれる独特の気候型を示しているのである。このような自然条件は経済価値の高い米、穀しゅく類の成育に不適な面が多いところから自ずから農業生産に制約を加え飼肥料作物、根茎菜類、工芸作物などの畑作を主体とした農業に終始せざるをえないという現状で、たとえ有畜経営という希望があるとはいうものの、まことにわびしいありさまである。
 しかしながら、角度を変えて天然資源という面から見るならばどうであろうか。
 まず、地下資源をみるならば、全国埋蔵量の 10 % 、北海道埋蔵量の 20 % を占める 20 億屯もの豊富な石炭を孕む釧路炭田がある。また、釧路市の前面に広がる道東海域は気象の阻害要因となる反面プランクトンの繁殖を盛んにし魚類を富ますが故に親潮とよばれる寒流と暖流が交錯して世界的にも屈指の好魚田を形成し、質、量ともに豊かな魚類や貝、海藻に恵まれており一年を通じて漁期が絶えないのである。さらに森林資源についてみると、北海道森林蓄積量の 33 % を占める 18 億立方米の蓄積量を持つ広大な道東森林地帯を背後に控えている。さらにまた水資源についてみると、釧路市とその周辺には阿寒川、釧路川を始めとして仁々志別川、新釧路川、幌呂川、雪裡川、久著呂川、沼幌川、別保川、庶路川、茶路川など多くの河川があり、工業用水としては釧路川が多少の難点をもつほかは質、量ともに利用上問題がない。電力用水という面では既開発 16,120 KW ( 20.5 % ) 未開発 65,000KW ( 79.5 % ) の阿寒川と、既開発 100,700KW ( 40.8 % ) 未開発 291,000 KW ( 59,2 % ) の十勝川をひかえて不足がない。
 さてこのようにみてくると、釧路市の産業は農業の面において特殊気象、特殊土壌などの制約によっていわば宿命にも似た悲観的要素を持っているとはいうものの、資源的にみると道東唯一の重要港湾である釧路港を軸として石炭、木材、水産資源などの 「 海の幸 」 「 山の幸 」 に富み、いわば北海道の特徴的な諸資源を一点に擁しているという点、さらにまた背後の広大な未開発原野の開発如何によっては新たな展開を契機づける潜在力を持っているという点で、内に逞しい発展力を孕んでいるように思うのである。北海道が原料供給地的段階から、第 2 次産業地域として脱皮しようとすること、これには他のより大きな要因も作用するであろうが、その動きがもっとも端的に縮図として表現されているものの 1 つが釧路市であろう。
 この産業の発展力を見究めるためにはもっと本質的な検討がなされなければならないが、そうした本質的な問題の解明については後述する第 2 章産業の基底に譲ることとしたい。
 さて、以上は釧路市の自然環境が産業の成立にどう作用しているかという問題についての考察であるが、こんどは角度を変えて、生活の場つまり生活環境としての釧路市の自然環境を捉え、その風土的特質が市民生活に及ぼしているところについての分析を試みて見よう。
 よく釧路は 「 契機がよい」 といわれる反面 「気候がよくない」 「 物価が高い 」 「 道路が悪い 」 等といわれ一般に道央や本州に比べ暮らしにくいと取られているようである。はたしてそうのだろうか。そうした風評のよってきたるところを突きとめ、そこに潜在する問題を抽出しようとするところに本論の役割があるように思われる。
 釧路市の自然条件が特殊気象と泥炭土壌という 2 つの大きな特性を有しているということについてはすでに前にも述べたところであるが、それが市民生活を営む上でどう影響しているのであろうか。いま仮に気象という面を捉えてみると、釧路の四季は夏を知らないといわれるように、夏季を通じての低温と海霧は道央、本州方面から訪れる人々にとっては確かに親しみ難いものであろうし、夏の行楽として道央、本州方面の子供たちにとっては欠かすことのできない海水浴も釧路では親潮の影響も加わって満足に楽しむことができないというありさまで、こうしたことが夏のレクリエーションに潤いを欠く大きな要素となっていることは否めない事実であろう。しかし、こういったマイナス条件の反面、本州では毎年大きな被害をもたらすのが慣例となっている台風の影響も少なく、好天の続く秋季や積雪量の少ない冬季に恵まれている点は決して捨てがたいものであろう。また 「 しばれる 」 という方言で代表されるような厳しい冬の寒さも、石炭で暖をとるため屋内ではむしろ本州より過ごし易い生活に恵まれていると考えることができるのである。
 このように、よくないといわれる気象もその受け取り方の違いによって一概に暮らしにくいと決めるわけにはゆかぬところの多様の要素をもっているのであり、さらに又生活様式、生活態度の如何によってマイナス要因を補うことが可能であることを考えるならば、気象条件そのものが住民の生活を規制するオール・マイティではなかろうと思うのである。このことは各編の市民生活編でも述べているように、昭和 34 年釧路市市民生活実態調査結果で気候が 「 暮らしにくい 」 理由として 13,3 % 挙げられているのに対し 「 暮らしやすい 」 理由としても 12.1 % も挙げられている事実から見ても充分裏付けられるのではないかと思うのである。
 さて、第 2 の観点は物価高の問題である。釧路市の物価高の最も大きな原因は、売る方つまり商店側からいわせると寒冷地のため経費が嵩むからであるということについては、すでに第 2 編第 4 章商業でも、詳述しているところである。すなわち、全国共通の企画、定価をもつ商品は釧路市でも同じ値段で売られるのであるが釧路地方で産出の少ない野菜、果物類の場合は保管、輸送面で経費が嵩むのに加え寒冷地にあるが故の商店の生活費の増大が販売価格に反映して物価高をもたらしていると考えられるのである。これは、前述の市民生活実態調査結果で、釧路市が暮らしにくい理由として 「 物価高 」 が 28.7 % という最も大きな比率で挙げられている点からも首肯できるのである。しかしながらここで注意しなければならないのは、暮らしにくい理由として挙げられている 「 物価高 」 の意識の中にもう 1 つの大きな要素が作用しているということである。それは何かというと家計費の問題である。
 釧路市民の個人消費支出についてみた場合特色的なことは、すでに第 3 編第 8 章市民所得でも述べているように、生活程度を示す指標とされているエンゲル係数 ( 家計支出に占める飲食費の割合 ) が低いのに対し、被服費、光熱費の割合が高いことである。すなわちエンゲル係数では全国 49.9 % に対し、北海道 40.6 % 、釧路市 40.5 % と北海道とほぼ同じであるとしても全国に比べると 10 % 近くも下回っているのであるが、これと相対的に被服費では、全国 8.1 % に対し、北海道 11.9 % 、釧路市 10.9 % 、光熱費では全国 3.6 % に対し北海道 7.2 % 、釧路市 6.5 % と、ともに全国を 3 % 近くも上回ってという事実はいったい何を意味するのであろうか。これは釧路市民の生活水準が高いことを示しているのではなく、寒冷地に住むが故に被服費、燃料費が嵩み、飲食費を圧迫しているという見方の方がより適切であろうと思うのである。そして、さらに見方を進めるならば、このように被服費、燃料費が余計にかかるという意識が物価高という意識と錯綜して 「 暮らしにくい 」 という概念となって表れているのではなかろうか。
 しかしながら、寒冷地という特質が北海道共通ののものでだあることを考えるならば、物価高の問題や生活費の問題も程度の差こそあれ北海道全般についていえるのであって、ただ釧路市の場合、物価高という問題にしても寒冷地という要素とは全く異質の要素、たとえば景気がよいという土地柄に連なる季節的流人者や一部消費者の購買態度の大まかさとそれに便乗しての商店サービスの悪さが強いて物価高という感じをつくり上げているように思うのである。
 さて、第 3 の観点を都市施設という面においてみることにしたい。わが国の都市計画のオーソリティといわれた故石川栄煬博士のことばによれば、都市美の点からいうと釧路市の景観は松江市、盛岡市などと並んで名都というにふさわしい素質をもっているという。つまり、釧路川上の幣舞橋を中心に川上に水景軸が成立しており、北大通り、南大通りと幣舞橋を結び、高台をビスタアとする陸景軸ができているという構成はちょっと日本離れしのた見事な眺めだというのである。このことは、市民生活実態調査結果で釧路市の暮らしやすい理由として 「 風景 」 が 12.6 % 挙げられている事実からしてもある程度立証されるかも知れない。しかしながら、外形的にはそうであっても、生活環境としてもっと重要なである道路、レクリエーション施設などの都市施設の面を考えるならば、多くの問題をはらんでいるように思うのである。
 例えば道路にメスをあててみるならば、釧路市とその周辺は、高台を除く大部分が平坦地であるが、これが砂利などを含まぬ排水不良の地質であるため路盤が軟弱不良であり、積雪量が少ない反面路盤の凍土や土壌凍結の深度が著しく、春先になると到るところが泥濘と化して交通に支障をきたすという現実が、市民生活感情の上に不潔感、嫌悪感となって反映されるのは当然のことと思われるのである。このことは、市民生活実態調査結果で、釧路市の暮らしにくい理由として物価高、気候などに次いで 「 道路、交通機関が悪い 」 というのが 12.6 % 挙げられている点からも窺い知ることができるのである。
 さらに、市民生活に潤いを与える上で欠かすことのできない要素であるリクリエーションの場という点について考えてみよう。釧路の風土が、四季のけじめもはっきりつかないほどきびしい自然条件の中におかれているため夏の海水浴などのスポーツも制約されているということについては前にも述べたが従って長く陰鬱な冬の生活を少しでも楽しく健康的に過ごしたいという思いは住民共通の希いであろうし、そういう意味で冬のリクリエーション施設の持つ意義は大きなものがあると思われるのである。たとえば、本州方面から転勤してくる勤め人にしても、釧路が気候の良くない土地であるという先入観をもっている半面、スキーなどのウインター・スポーツに大きな期待を期待をかけてくるのであろうが、地形的な制約もあって近郊にそうした施設を有していないというのが現状である。このように夏も冬も思うようなレクリエーションに恵まれないことが大きな要素となって転勤者のあいだに魅力のない生活環境として受け取られ、敬遠されるのではなかろうか。
 さて、以上のようにして釧路市の自然環境が産業を前提として市民生活の上に作用している諸々の問題について分析した結果を要約するならば、つぎのような結論がでてくるのではないかと思うのである。すなわち、釧路市という風土は特殊気象、特殊土壌などの自然条件の中でもっとも劣勢の要素が拡大されてあたかも生活環境として不適な面が多いようにみられがちであるが、要は自然環境そのものよりもそれに対する住民の受け取り方の問題であり、さらにまたマイナス条件も生活様式、生活態度によってある程度克服しうることを考え合わせれるならば、自然条件の市民生活に与える影響の度合いは市民意識を基盤に判断しなければならない相対的な一面を持つものと言えよう。しかしながら、そうした住民の生活意欲が生計の資、つまり所得をもたらす産業によって裏打ちされるものであることを考えれば、生活水準の向上に連なる産業の発展がなければなるまい。それと同時に必要なことは、そうした生活意欲の盛り上がりを促進するような行政面での都市施設の充実であり、この内、外両面の向上によって名都とよばれるにふさわしい生活環境をもたらしうるものと考えるのである。



第 2 章 産業とその基底

 第 1 節 釧路市産業の特質


 当市の産業の特質を大別すると、地元資源及び後背地資源に支えられる第 1 次、第 2 次産業と、東北海道唯一の港湾を有し、且つその中心に位置しているという地理的、海陸交通上の優位性から発展してきた運輸交通関係を始めとする第 3 次産業であることは云うまでもない。まず、地元資源による第 1 次産業の代表的、所謂基幹産業は当市産業の発展の歴史から見ても水産業に始まり、市の消長を左右してきたのである。第 2 次産業としては石炭鉱業、水産加工業が大きなウエイトを占め、後背地帯の資源に支えられるものとしては製紙業が躍進しているが、木材木製品製造、家具製造業等は一部の他資本による製材業を除き、地元小資本の家内工業の域を脱することができず、伸び悩んでいる。その他の地域の資源、原材料に依存している産業として主要な位置を占めているのは科学肥料工業、金属製品及び機械、輸送用機械器具類製造業、印刷出版業などであるが、更に現在の当市の発展状況から脚光を浴び、産業界に大きなウェイトを占めてきたのは建設業である。
 第 3 次産業としては、前述の運輸通信業が当市の置かれている立地条件と後背地区の産業開発の時運に乗って好況を続けている。事業所の数から見ると卸、小売業が圧倒的に多く、次いで各種修理、旅館、娯楽施設、医療施設、教育、宗教などを含むサービス業が位している。工業について、昭和 23 年と同 33 年を比較すると工場数においては 2.5 倍の 367 工場に増加しているが、その中でも特に増加趨勢が著しいのは食料品工業で 4 倍の195工場、次に金属製品及び機械、輸送用機械器具製造工業が 3.6 倍の増加で 51 工場、第 3 位が木材木製品及び家具類製造業で 2.3 倍の 75 工場に増加している。
 産業構成の全般的についてみられることは、戦後から昭和 30 年ころまでは、第 1 次産業が漸減していることと、第 2 次産業の漸増、第 3 次産業の激増という傾向であったが、それ以後においては第 1 次産業の衰退は依然として続いているが、第 3 次産業の増勢は鈍化し、第 2 次産業が伸帳を示している。この第 3 次産業の現象は、昭和 33 年の鍋底景気がブレーキとなったことも一因であったろうと考えられる。第 2 次産業の伸長は、大企業の進出と地元企業の受入態勢が活況を呈したことによるものであって、具体的には建設業や前述の金属製品及び機械器具類、木工品工業の増勢に表れている。結局、現状から判断される当市の産業的特徴は、鉱業の比重が大きいことと、港湾都市として運輸通信業が発展していることが目立つが、総体的には総合都市として均衡ある成長を続けているということができる。当市がこのような都市型を形成したのは、当地域における政治、文化、経済の中心都市としての位置からであるが、反面当市が経済力のある衛星町村を持たず、従って周辺地域との相互共存のない孤立した発展を続けたために生じた都市型であるとの理由も考えられるのである。
 就業者の構成比から各産業を展望すると、第 1 次産業が 7.3 % 、第 2 次産業が 37.8 % 、第 3 次産業が 54.9 % と第 3 次産業が他を圧して多く、所得構成比からみると、第 1 次産業の 4.3 % 、第 2 次産業 40.2 % 、第 3 次産業 55.5 % で、第 1 次産業における就業者 1 人当たり所得が低水準にあることを示している。
 就業者 1 人当り個人分配所得では、金融保険業、鉱業、公務、運輸通信公益事業等の順位で高位を占め、総体的には第 2 次産業が第 3 次産業より高いことが前述のような第 2 次産業の伸長を裏付ける一面の証左たり得るものと考えられよう。

 第 2 節 釧路市の経済施策

 さて、以上のように当市の産業は当地方において孤立的であるとはいえ、道東地区における中心的位置、港湾都市としての立地条件、水産、鉱業、農林産資源に支えられて、未だ幾多の問題は内包しているものの、とに角今日の発展をとげたのである。しかし、各編において個々の産業についての分析は充分尽くされ、それぞれの良否の条件が指摘されており、その中から将来に対処すべき示唆を汲みとって問題の解決に当たり、一層の這っての図ってゆかなければならない。
 福祉社会の建設という姿勢の究極的目的は、煎じ詰めれば市民生活を豊かにするということであろうし、そのためには、まず経済活動を活発にさせるということに尽きよう。初期の開拓者や先人が築いてきた尊い産業発展の成果は、封建的経済から産業革命の進行によってもたらされた資本主義経済の所産という歴史的必然性も主要な役割を果たしてはいるが、反面為政者や指導者の産業政策の集積でもあった訳である。
 そして、今日においてもそうした努力を続けていることに変わりはない。しかし、経済活動を伸長させるという手段にも充分な配慮が払わなければならない。例えば当市の立地条件に適合する大企業の誘致は、地元労働力の市場開拓と消費経済の拡大という面から積極的、かつ企業立地上有利な受入れ体制を整えて運動することが現在の地方自治体の通念となっている。しかし、その企業が単に略奪的であり、地元企業に益する所なしとするならば市民の批判を被ることともなり、産業政策の失態ともいわれよう。

 現在の当市の産業政策として、まず商工業の振興対策から概観すれば、
  (1) 外来企業と地元既存企業の強調による共存共栄の体制を作り上げる対策を推進すること。具体的には、
   産業振興の基礎となる諸施設、例示すれば工業地帯、運輸交通施設、工業用水、動力源等を整備して地
   元資源利用企業の誘致を図ると共に、既存企業を育成合理化して大企業と連携のでき得る体制とする。
  (2) 交易を振興するために商工業全般に対し合理化の促進のための措置として、経営改善、資金難打開、
   あるいは市場開拓などを継続的に努力していく一方、雇傭拡大と併せて技術の向上を図るため技能力
   教育の方途を講ずる。

 水産業については、当市が生産地と根拠地という二重性を有していることから、その均衡ある発展育成の施策を講じなければならないのであるが、その方途としては、
  (1) まず基地漁業の性格からは、積極的に外来船の誘致につとめると共に、副港魚揚場の完成に伴なって、
   その前面利用を図るために製氷冷凍施設を始め、水産会館など一連の陸上施設の整備を急ぐ。
  (2) 生産地としての性格に対する施策としては、沿岸漁業の振興を第 1 に採りあげ、その措置として桂恋
   漁港の完成、浅海増殖事業、沿岸漁業調査を計画的に進める一方、沖合漁業振興対策としては基地整備
   にあわせ、漁船大型化を慫慂し、このために助成措置をとり、更に装備の改善対策を講じて地元漁業の
   安定と発展を図る。
  (3) 生産物の価値を高めるために加工技術の向上の対策を講ずることとあわせ、研究指導機関の強化に努
   力する。

 農畜産業については、寒冷地帯という特殊条件下における農業経営の基盤を強化するということは、農地の拡大が根本条件であるということから
  (1) 国の施工する国営土地改良事業の速度に合わせて農地拡大を行い、このために機械化による農道、排
   水、その他必要な事業の促進を図る。
  (2) 農業の総合的振興対策として、新農山漁村建設総合対策事業を中心として、もっとも合理的な酪農、
   蔬菜園芸経営による生産性の向上を図るため、経営の近代化、共同化の方向に推進すべく指導する。
  (3) 畑作農業地帯共通の問題であるが、旧来の寒冷害によって積み重ねられた負債の重圧によって経営の
   根本的改善に着手できない現状におかれているので、国、道の金融措置と相俟って、その解消対策を進
   める。

 以上が産業対策であって、その 1 つ 1 つが重要な問題であるだけに周到な調査、計画と実行力が必要である。勿論、その推進に当たっては環境と条件の整備について国や道と密接可不分の関係において市が中心推進力となって運ばなければならないであろうし、又それを土台とする諸産業個々の振興については関係経済団体との協力の下に指導、向上を図らねばならないことも今更云うまでもないが、産業界自体の自立意欲に期待するところ更に大きなものがある。

 第 3 節 地元産業の問題点と在り方

  (1) 中小工業について


 近年、当市の経済の様相が我が国経済の縮図ともたとえられるべき顕著な二重構造を呈しており、今後の大企業は一層の合理化、オートメ化によって生産性を高めることになろうが、そのことは益々中小企業との格差の幅を広げることになるであろう。労働力の需給関係においても大企業は機械施設の完備、生活の保証、福祉施設の整備等により、労少なくして安定した生活が確保できるという優位な就労条件から当然就労希望者は殺到するものの、大企業の雇傭封鎖的な性格が最近ますます強化されつつあること、神武景気の過程で急速に促進された技術革新の雇傭節約的効果が、徐々に現実化していることなどが大企業の雇用増加を抑制していること、従って二重構造の下の方で雇傭がふえてゆくことも又当然であろう。前近代的環境に支配される中小企業の労働条件が大企業と比べるべくもなく劣悪であることは云うまでもない。
 勿論、大企業と中小企業の労働者所得の格差も甚だしいことは家計費調査などから判然と把握できる。このような陽の当たらない中小企業を引き上げ、増大する国民所得を均霑させようというのが現在の国の経済政策の問題点となっているのであるが、その根本的対策は解明されていない。上述の市の対策としての工場の新増設あるいは機械設備のための助成策、更に運転資金難の緩和策等は所謂差し水的役割であって、市の財政の枠内での措置では到底その格差を縮めるまでの方途を講ずるのは不可能亊であるといえよう。所得倍増計画の経済活動分野における民間部門については、その活動を企業の創意と工夫に期待して、必要な限りにおいて望ましい方向に誘導するという、云わば自由経済下における自主的成長を期待しているが、大企業に対しては資本装備率を強化して近代化し、貿易自由化に対処する方針が示されながら中小企業に対する救いの途は考慮されていないものと読み取れる。中小企業が今後の若い労働力の最大の吸収の市場であるだけに市の経済政策、ひいては市民生活の向上安定という面からも重要問題となることは必至であろう。
 問題の解決は国の大幅なテコ入れと、自主的意欲による近代的、合理化に期待し、行政面からはその促進を積極的に指導、協力して経営を充実させることが、今後の経済成長に伍してゆける方途であろう。次に、施設の近代化、技術改新等によってもたらされる生産性の向上に対応した需要の増大をいかにするかという問題が横たわっている。そこで当市の立地条件に適合した産業を強力に誘致、勃興させて、それらの工業と既存中小企業を直接、間接に結びつけることと、市場開拓という 2 つの方途に努力しなければなるまい。
 前者については、その立地条件の整備が先行しなければならないが、その主要な素地である用地、用水、輸送体制等、工業地帯としての充分な条件を具えていることから近年諸工業の進出も著しい。わが国が加工貿易国であるという宿命で、現在のわが国工業が 4 大工業地帯に過度集中の結果、諸機能の停滞、あるいは地盤沈下などの弊害を起こしているが、その対策として新工業地帯を臨海地帯に造成して分散の気運にある。本道では室蘭、苫小牧地区と釧路地区が中核的工業地帯と目されるだけに、数年来立地条件調査が実施されるなど、当市の鉱工業都市という立市の目標は約束付けられていると云っても過言ではるまいが、そのためには企業条件を優位にする基礎施設の整備を急がねばならない。
 市場開拓については、前述のように当市が孤立的であって消費地としての大きな衛星町村をもっていないことは甚だ不利であり、このことは第 3 次産業も同様である。しかし、本道総合開発の焦点がようやく後進地帯と云われる道東地方に向けられ、白糠線敷設による奥地開発、パイロットファームの建設をはじめ各町村の産業地団は漸進的ではあれ塗り替えられようとしている。こうした情勢下に開発の拠点としての使命も果たし得ないのみか、その優位性すら活用できず、徒らに他市産業の進出に任せなければならない。
 しかし、中小企業の合理化、近代化ということは事新しく云うまでもなく、古くから云いならされ、かつ経済界、政治面においても、その対策は論じられ種々の方途が講ぜられてきたが一向に進捗をみせないことは、それほど事業所の数も多く、困難性があるためであろう。それは、 1 つには他業種への転換又は新しい設備を導入しようとする積極性に乏しく、次には資本的余裕もないことに起因している。こうした原因を突き破るためには、業界、指導団体、行政機関が一体となって、充分な検討を積み重ねて、結集した結論の具現化に努力しなければならない。当市の中小工業を内容的にみると、対内的及び対外的工業に分かれるが、対内的の中でも日常の市民生活に密着しているものは、地域性も濃いため家内工業の域を出ないままでも安定しているとみられようし、特殊な全市的な工業も又独占企業的安定性を保持している。そこで、これらの工業の中でも問題点が多く、しかも中小企業の中での基幹とも云うべき地元資源利用工業である水産加工業と、木材、木製品、家具建具製造業及び立地上優位であるために工場数も多い鉄鋼及び機械器具製造業に焦点をしぼって提言を試みたい。
 これら 3 業種の生成経緯や現況については各編において詳述されているので避けることとして、結論的に云えばいずれも当市における企業歴史は古いが、現存の個々の企業体は新しく大半が終戦後の創業であり、従業者数の少ない小規模経営であることからも、循環的経済変動によって紆余曲折を経てきた脆弱な工業であることが推察されるのである。
 特に水産加工業についてこの傾向が強く、昭和 24 、25 年の豊漁によって所謂一旗組の零細加工業者が急増したが、その後の漁獲の平年度化によって泡沫の如く消え去ったものが多い。これら加工業者は市内の臨水地帯に点在し、夏季盛魚期には悪臭を放ち、又汚水処理も不完全であるため蠅の発生源となり、衛生上からも放置できない状態である。又加工業者の側としても、臨水滞体への進出により乾製品が汚損されること、干場が圧縮されてきたことなどから近郊臨水地帯への転出を要望している。これらの実情に対処するため市においては大楽毛臨水地帯の市有地を払い下げて水産加工団地造成に努力しているが、この好期に加工業者が大同団結して組織化、共同化に踏み切るべきであろう。最近の工業地帯はコンビナート化への発展傾向が強く表れてきているが、資金面あるいは対人間関係等種々の困難盛が伴なうとは云え、中小企業にコンビナート化が適合しないとは云い得ない。
 恵まれた水産資源を一貫した完全利用により、塩乾製品からビタミン、ヨード、アルギン酸、肥料あるいは廃液利用による家畜肥料にまで発展させて、安定した基幹産業としての位置を高めることに邁進しなければ、あくまでも救いのない企業のまま推移することになるであろうと憂慮されるのである。
 鉄鋼、機械器具工業の振興策については、大企業の系列工業への積極的参加と、大企業の手の届かない純然たる地場工業の分野の拡充という 2 つの方途に集約されるものと考える。前者は、当地方の発展に呼応して進出する農機具、自動車、その他の機械器具メーカーの系列に参画して組み立て、部品の生産、修理が主体となろう。従って、こうした系列工業に移行するためには製品に応じた機械設備と技術が必要であるが、これらは親企業との携繋のもとで解決されよう。後者は、当市が漁業基地であり釧路炭田の中心に位置しているという立地条件から船舶用内燃機関関係、炭鉱機械部門でわりあい安定性を保持しているものの、大手企業の進出には警戒的である。大手企業と対抗するための手段としては水産加工業の場合と同様のことが云われるであろう。
 所謂、企業合同により道東地方一円の水産業界を対象とする鉄鋼漁船の造船所の建設、あるいは当地方の特殊気象条件下の農業に適合する農機具の製作などが挙げられるが、野鍛冶の域にしろ個人経営から施設、技術の高度化を要求される企業合同に切り替えることは難事業といわねばならない。ここにも業界と指導機関の緊密なる連携による検討と勇断と努力が俟たれるのである。木材、木製品、家具建具工業についても又同様であって、後背地帯に豊富な森林資源を擁しているだけに、この工業の立地条件は最適であると云っても過言ではなく、往時は角材、枕木など対支那貿易の花形であっただけに当市の産業界の主要な一角に位置していたのである。しかし幾度かの経済変動で事業体も戦後創業の工場が大半を占めるに至ったことは地元資本の弱さを示している。
 出荷額の大宗は製材業で約 10 億円であるが、家具建具製造業はわずかに 1 億円程度で、その殆どが零細企業であることを物語っている。従って当地方の需要増と、生産品の質的な要求に応じきれず、本州よりの逆移人、あるいは旭川、帯広の製品の進出を阻むことはできない。この打開策としては、旭川市の如く、積極的な行政的あるいは経済団体による援助、育成が必要である。例えば木製品工業の集団化を断行して、製材、乾燥工場の共栄により原材料の品位を高め、更に意匠図案、塗工法等の研究所と特殊部品の生産工場を併置して一貫作業による生産性の向上とコスト・ダウンによる販路の基盤を確立することに努力を傾注しなければならない。地元産業界が粗放な前近代的経営から脱皮できない限り、絶えず不健全性を露呈する危険性を孕んでいる。青年工業都市の過渡的症状であるかも知れないが、手術は早いほど結果がよく、業界の自覚を喚起すると共に、行政として産業の体質改善を真剣に検討する時期でもあると考える。

  (2) 鉱業

 釧路地域の鉱業は釧路、阿寒、白糠、厚岸にまたがり、埋蔵量 20 億屯といわれる釧路炭田が大宗をなし、その他に阿寒、川湯の硫黄あるいは砂鉄、ガスなどが調査の段階を経て実用化されている。
 釧路炭田は各編にも記述されているように釧路市内の太平洋炭鉱をはじめ雄別炭鉱、明治鉱業の大手 3 社と中小炭鉱約 20 抗が稼行し、 200 万屯程度の出炭があったが、近年の炭況悪化により中小炭鉱は企業維持が困難となり、休廃止あるいは石炭鉱業整備事業団に売り渡したものもあり、大手炭鉱もまた合理化に腐心している。経営合理化の方向としてまず炭鉱の機械化によるものと、次いで炭層ガス利用、乾溜工業などの関連工業による多角経営が採られている。特に太平洋炭鉱は朝鮮動乱ブームの後に襲った炭鉱不況期を契機に経営合理化に踏み切り、専ら機械化に重点をおいている。現在までに米、加、西独の諸国から約 4 億円に及ぶ最新の採炭機 5 台、水圧鉄柱、岩盤掘進機、運搬車などを輸入し、切羽 8ヶ所のうち 5ヶ所はすでに完全に機械化し、その高性能によって生産能率は昭和 29 年 17.8 屯が同 31 年には 21 屯と上昇している。その後炭労のスト、炭界不況による政府の一般炭生産規制などの影響により生産能率 20 屯に止まっているが、同社の新 5ヶ年計画によると昭和 38 年度までに同 34 年の 87 万屯から 150 万屯に生産を高め、逆に人員は退職者を補充しないことで漸減を図り、生産能率は 36 屯に引き上げ、コストを 2 、3 割下げることを目標としており、その達成のために更に機械化の強化を計画している。同社の炭が非粘結炭で電力用、一般ボイラー、暖房用のいずれにも最適であることは大きな強味であり、釧路港の専用埠頭の築設、計画中の知人縦抗の掘さく、港頭選定工場建設など炭況の好転をまっていつでも増産できるような態勢を固めていることは、当市の基幹産業であるだけに経済界挙げて期待してやまないところであろう。釧路炭田の他の諸坑についても、釧路港移出貨物の太宗を占めているので、その消長が運輸交通関係に及ぼす影響は大きいものがある。それらの諸坑もそれぞれ人員整理などによる合理化を進めてはいるが、更に炭界不況の突破口として消費部面をいかに拡大するかということが問題である。しかし、一般経済の好況に逆行する石炭需要の減退はひとりわが国のみではなく、アメリカ、西ヨーロッパの各国においても起こっており、その根本的なものは世界的なエネルギー革命に起因するといわれている。いわゆる中近東、サハラなどの地域の豊富な石油資源の発見、開発と輸送施設の充実によって石油価格は低下の傾向を示しているが、一方労働力にに対する依存度の大きい石炭鉱業は合理化努力が賃金水準の上昇によって吸収される部分が大きいためにコスト引き下げはなかなか困難であろう。こうした価格の問題に加えて、消費構造からは諸産業の技術革新によるオートメーション化などにより個体エネルギーから流体エネルギーへの転換が大きいな原因となって石炭需要の減退を招いている。この対策としては、石炭価格を重油と競争可能な程度に引き下げるための合理化の推進、輸送荷役の合理化による炭価引き下げ、需要の確保、石炭を電力、ガスなどの流体エネルギーに転化することによる石炭需要の増大などが唱えられている。コストの引き下げや需要の確保については地元太平洋炭鉱の例にみるように、各社ともその規模、手段の大小はあれとに角高能率炭鉱への切り替えに努力していることは当然といえよう。そこで石炭を流体エネルギーに転化して需要の拡大を図るということが問題になる。
 ガス企業については、太平洋炭鉱において乾溜工場を設置し、ガス会社に供給しているので問題はないが、消費量の多い低品位炭利用による山元火力発電所の設置は各炭田ともに渇望するところであって釧路炭田としても数年来釧路市、関係町村、商工会議所、大手炭鉱などが一体となって運動を続けている。だが、産炭地としての優位性はあるとしても地域内電力需要量の将来性ひいては釧路地帯の工業化発展の促進度と更に地域外需要地への送電コストの問題あるいは低品位炭供給量と価格などが立地を決定づける諸条件であろう。これらのことについて化学経済研究所の調査による 「 釧路工業地帯造成計画実施計画書 ( 昭和 35 年 3 月 ) 」では次のように述べている。

 北海道電力の後期計画 ( 昭和 38 ~ 同 43 年 ) の中の火力建設に対する考え方の 1 つとして、火力発電の立地に関しては当然地域別の需要動向に関連させて決定される。一般的な見通しとしては道央の札幌、石狩地区を供給対象とする滝川、江別に、道南の苫小牧、室蘭地区を供給対象とする苫小牧、道東の釧路地域を対象とする釧路での火力建設などが挙げられよう。しかし、釧路地域に系統火力を設置するということは、当面はいうまでもなく、やや長期的にみた場合においても程遠いと思われ、目下のところ釧路地区の需要がやはり局所的性格から脱し得ないということを基盤認識としていることを物語っている。いわゆる長期方針として釧路地域での火力建設を掲げているのは「 可能性 」としての問題であり、要は今後の諸産業の拡大により電力需要量がどれだけ増大するかにかっている。現在釧路地域に対する電力の供給は糠平系統の水力一本で行われ、送電線の増強などから北海道電力としてはここ当面釧路地区へは水力発電による供給を考えているとみてもよいであろう。

 以上は北海道電力という一企業体の存在を第一義的に考えた場合の展望である。しかしエネルギー利用における政策的な要請が起こった場合には別な展望があることはいうまでもない。特に石炭対策が通産政策の 1 つの重点をなしてきた状況の中では石炭需要の中枢を占める火力発電の問題が石炭市場の拡大、石炭価格の引き下げという観点から個別的な電力会社の枠をこえてとりあげられる可能性は強いとみなければならない。その場合考えられる形態は、電力会社と石炭会社の共同出資による産炭地での集中火力発電、需要地域への超高圧送電であろう。
 以上の見解から釧路炭田の活路は山元火力発電に大きなウェイトをもっているといっても過言ではなく、通産省の想定によれば昭和 42 年には 108 万屯の低品位炭回収量があり、23 万 1,000 KW の発電が可能とされてるので、炭主油従政策に基づいての石炭増産計画にのっとり、釧路火力発電所の設置は強力に推進されることが望まれる。

  (3) 水産業

 北海道の産業が開拓時代から漁業によって支えられてきたことはいまでもない。明治の初期まで本道の全生産物価格の 8 割までを水産物が占めていたということからも漁業が支配的位置を占め、本道はいうに及ばず国民経済の上に大きな貢献をしたといえる。明治後期から出発した本道拓殖事業 15ヶ年計画の進捗によって開発の重点が農業或いは鉱工業にに向けられたことによって漁業の位置は急速に低下し、現在では産業別所得構成においてわずかに 5 % に満たないという微々たる状況である。しかしながら、わが国の水産界全体の視野からは本道の水産業は高い位置を保っている。このことは全国と本道とを対比すれば経営体に於いては全国の 14 % 、漁業人口では 10 % 、動力漁船数では 9 % でありながら、漁獲量では戦前、戦後を通じて 25 % 内外を持続していることからも推察されよう。このような本道水産界の中で釧路港の占めている位置は大きく、漁獲量においては全道の 10.1 % を示して漁港、港湾を通じて全道一を誇り、漁船数 ( 動力船 ) では函館に次いで第 2 位である。従って釧路市の産業界における比重も高く、産業総生産額の約 30 % を占めているが、水産業が市民所得の上に直接的に裨益するためだけにその消長が市の経済に及ぼす影響も大きなものがある。その内容をみると一応安定した様相を呈しているとはいえ、経営規模を漁船の規模や漁法からみると、動力船 533 隻 ( 昭和 32 年 ) のうち 10 屯未満の零細といわれるものは 65 % を占め、40 屯以上の遠洋漁業の可能と思われるものはわずか 15 % の 80 隻にすぎない。漁法別では延縄漁業が最も多く 50 % を占め、次いで雑漁業の 21 % 、刺網漁業の 11 % で、機船底引網漁業は 6 % の 35 隻で、全般的に小規模経営であることは、この業界が釧路場所開設以来の長い歴史をもちながら地元資本の脆弱性から激しい変転を繰り返してきたを物語っている。戦後における釧路漁業の性格は上述の地元漁業と、漁業基地としての性格を強くしている。このことは当市の漁獲量に占める外来船の割合が年々漸増を示していることから推察できよう ( 昭和 32 年 47 % 、同 33 年 52 % 、同 34 年 59 % ) 。特に鮭鱒漁業、さんま棒受網、北洋たら延縄、いか釣り漁業の漁獲量の殆ど大部分が外来船によって占められており ( 昭和 34 年鮭鱒 81 % 、さんま 94 % 、いか 89 % 、北洋たら 87 % ) 水揚高では総額の約 62 % に達している。また北洋漁業の再開により、北洋母船式さけ・ます漁業の極洋捕鯨会社の母船基地として発展している。更に釧路港は喪失した千島、樺太に替わる北方漁業の根拠地としてクローズアップされ、昭和 24 、25 年のさば、さんまの豊漁を契機としてわが国 5 大水産会社が挙げて進出し、捕鯨、缶詰、冷凍、冷蔵などの部面で操業しており、地元漁業との摩擦はないが買漁資本としての役割が鮭鱒漁業を中心として卸売市場及び地元問屋とのあいだに対立の気運を醸成しており、将来問屋、加工業界に重大な影響を及ぼすのではないかと危惧されている。
 釧路市の水産業は、以上の 3 点の性格が織り合わされた形態であるが、地元漁業については北海道漁業の特殊性から脱却できず前述のとおり小規模経営による沿岸漁業が過半数を占めているが、全道的にみられる沿岸漁業の衰退は漸次、沖合から遠洋への転換を余儀なくさせ、従って大型船の建造も増加している。漁業基地としては副港をはじめ市設魚揚場も完備し、引き続き鉄道引込線、製氷冷凍施設をなど陸上施設の完成を急ぎ、基地としての体制の整備を図っている。こうした施設により釧路港の基地的性格を強めることに対し、外来船の誘致は地元漁業の圧迫であるという矛盾した一部の声も聞かれないではないが、元来回遊魚に対する漁撈技術は内地漁業から導入したものであるだけに、操業上の後進性は否めず、地元漁業の斬新的発展を期待する以外に解決の方途はないものと考える。
 水産物の流通機構については、市設魚揚場を利用して 3 つの卸売市場があり、その 1 つは底曳網漁業を主軸とする生産者による共同出荷を中心としており、他の 1 つは単位漁業協同組合によるものである。しかし、これら 2 つの卸売市場も漁業基地的性格に支配されていることは組合員による出荷量がわずかに 39 % に止まっており、結果的にはその機能の大半が外来船の利用に供されているとすれば、設置の本来的性格が薄れているといっても過言ではあるまいが、外来船が季節的であるのに反して、地元漁業は周年操業であるだけに堅実な発展をとげている。他の 1 つは共同出荷機能を持っていないためもっぱら外来船に依存していることから季節性が強く,また外来船誘致のために道東沿岸の他の漁業基地との競合は避けられないであろう。
 買魚人制度の状況については各編において詳述されているが、市場における買付の殆んどが大、中仲買人及び加工業者、小売人などによって占められてる。しかし、鮭鱒については大手 5 社による市場外買付が膨大な数量に達していることが予想され、市場運営の円滑化を期する上から、あるいは加工業界に対する影響、さらに大消費地における価格調整上から解決されなければならない大きな問題であろう。
 以上当市の水産業を概観したが、他の水産基地にみられない種々の立地上の優位性を充分活かして当市の基幹産業としての発展が望まれるのであるが、その達成のためには多くの問題点が解決されなければならない。前述の 「 釧路の経済施策 」 の中で採りあげられている諸対策は、それらの問題点の中で直面している事項、行政措置によって解決を図らなければならない事項、行政的指導援助により業界の振興に寄与する事項などであるが業界自体が優位性に溺れて積極的な近代漁業化への転換意欲を欠いては将来の展望は望むべくもなく、道南凶漁地帯の轍を踏み衰退を辿ることとなろう。さらに 関係指導機関、団体においても具体性のある恒久対策を樹立してその振興に努力されることが現在のわが国経済における第 1 次産業の斜陽的宿命から救い得る道であろうと考える。

  (4)農業

 釧路市の産業界に貢献する農業の地位は決して高いとは言い難い。このことは産業活動を裏付ける生産額の他業種との比較によってもみられるところである。その生産性の低さはそのまま所得の上に反映し、全国的に第 1 次産業の低所得が問題になっているが、当市の場合も例外ではなく、その中でも農業は最も低く、現在のまま推移するならば発展を続ける他産地との格差はますます大きくなるであろうことが懸念され、この格差をいかに縮めるかということが今後の農業施策の中心になるであろうと考えられる。
 釧路市の農業は自然的悪条件に左右され主畜経営、混同経営及び都市農業の特徴である蔬菜経営の 3 つの類型に別れよう。さらに専業、兼業別に見ると、専業は 25.7 % 、第 1 種兼業 31.1 % 、第 2 種兼業 43.2 % で兼業農家が圧倒的に多く、また過去 5ヶ年間の農家数の趨勢からみても専業農家は 61 % と減少しているのに対し、第 1 種兼業では 160 % と大幅に増加し、第 2 種兼業は 82 % と減じている。総体的には年々増減の起伏を経ながらも昭和 29 年に対し昭和 34 年では 89 % と減じている。このことは近郊農業の特徴として、割合容易に他業種に就労できる為に専業農家が第 1 種兼業農家に移行したしたことと、第 2 種兼業農家で離農する人が多いことを示している。これらの離農職業件数は過去 5 ヶ年に 22 件に及び、そのすべてが経営耕地面積 5 町未満である。離脱農増加の傾向はひとり当市のみの問題ではなく、釧路地方全般についてもみられ、管内では過去 5ヶ年に 200 件にのぼり、うち昭和 34 年は 67 件の多きををかぞえているが、この現象について釧路農業確立協議会では次のように観察している ( 釧路農業基本問題調査資料 ) 。

 いわゆる近年における農業経済の窮迫、とくに農業負債の累増・固定化の中において零細経営ほど営農の前途に不安を大きくしていることが窺われ、そのために一層離脱農現象が助長されてくるものとみられるのではなかろうか。昭和 34 年における離脱農が過去 6ヶ年平均の 2 倍の現象を露呈したのもこの辺の状況とみられるようである。釧路地方においては産業経済一般の上昇の中における農業の低位性、とくに低生産地域における農業に見切りをつける離農の在り方はある時期まではかなりの増加傾向をとり、あるていど減少して農業戸数飽和の現象が緩和されたときに停滞もしくは若干の減少ていどに止まるとみられるのではなかろうか。離農増加傾向が高く現れる時期についてはにわかに断定することが困難であるが、経済成長と農業経済のアンバランスが強く現れると考えられる昭和 39 年ごろまでをその時期とみることができるのではなかろうか。その時期を前提として昭和 34 年の減少率から考察すれば管内農家は昭和 39 年ころまでは 2 % 、市は 4 % と試算され、従って 10 年間の計画見通しでは、昭和 44 年には現在の農家数の 77 % に当たる 421 戸に減ずるが、採草放牧地の耕地化による拡張により耕地面積は 1 戸当り平均 4 町 1 反 9 畝と現在の 2 倍以上となり、全耕地面積では 163 % に拡大されることになる。道農林漁業基本問題調査会の農業部門における答申の中でも農業就業人口の減少を 1.3 % とおさえているが、農業人口の減少も一因をなして所得率は増加することから年 6 % の成長率を計画している。これはいずれも全道平均であるため前記当地方農業の見通しとの相違はあるものの、大体の減少傾向はみられよう。

 所得については農業自体の中での所得格差を指摘し、水田経営を 100 とすれば畑作 76 、主畜経営 51 と主畜経営が高額資本の投入による重装備が必至であるにも拘らず最低であることを示しているが、当地方の寒冷地農業としての安定策が酪農の振興になるだけに重要な問題である。
 このことは如実に当地方の 1 人あたり就業者生産所得が全道平均の 64.5 % にすぎないことからも推察される。当地方農業の貧困性を助長している一層大きな要素は開拓入植者の営農不振が採りあげられよう。
 終戦直後の社会政策的かつ実益を意図したと思われる緊急開拓 5ヶ年計画も国家財政の窮乏とインフレの亢進に阻まれて事業は進まず、再三にわたる予算不足からの入植戸数削減によって遂には国庫補助金を受けないいわゆる枠外入植者を多数だしたのである。これら入植者も漸次営農の基礎を固め、道の開拓行政の重点が入植対策から既入植者の生活安定、食料増産に転換したこととも相俟って生産所得を高めているものの、反面道路網も整備されない奥地、あるいは傾斜地等の悪条件から営農機械化、酪農の不適格地帯は零細化しているものも多く、中には全く困窮のどん底に喘ぎ社会問題化し、町村の大きな負担となっている例もみられる。
 近年尨大な財政投融資による根釧原野の機械開墾方式によるパイロットファーム建設が進んでいることは当地方開発の促進のために同慶の至りではあるが、 1 戸当り 600 万円に近い投資をして新規入植させることと、いま既入植者に対して 100 万円を投資して安定させることとの経済効果に対する批判もきかれるわけである。とにかく不振地区既入植者の移転、再入植等の措置を急ぎ自立安定させなければなるまい。前記調査会の答申によれば 10 年後の昭和 44 年には寒冷地としての安定作物といわれるビートの作付面積を基準年次 ( 昭和 33 年 ) の 2 倍に計画しているが増反用地の広大な当地方がその大半を占めることは想像に難くない。また畜産にしても本道の畜産が外国の畜産に対抗できるよう経済性を高めるためには副業的な経営から脱皮して、多頭数飼育による専門的畜産経営を育成し、これらの農家の集団による畜産の主産地を作るべきであると示唆しているが、こうした畜産経営も地域的にみて当地方が立地上優位であることまた然りである。
 このような当地方農業の振興策は言うまでもなく国の大幅な投融資に依存しなければ達成されないであろうがより以上に農家自体の意欲的経営が期待されるところである。近年、農業の協業組織あるいは協業経営問題が零細農耕という経営構造上の隘路打開策であるとして斯界における議論の的となっているが、現実に実行に移されたものはテストケースとしての域をでていない。しかし協業経営による機械化・近代化により零細農業が相互に自立達成の途を開けるならば勇断 をもって踏み切るべきであろうし、指導機関としても十分研究して援助指導すべきであることは言を俟たない。当市の招来の発展が後背地帯農業の振興と緊密不可分の関係にあることを考え関係機関と農家全体の努力を切望するものである。
 翻って当市の農業についても共通のことがいわれるが、都市農業として異なっている点は、まずその優位性を考察すると①消費地が近いこと、②交通条件・生活環境に恵まれていること、③余剰労働力の吸収の機会が多いこと ( とくに季節的あるいは二・三男対策として ) 、などが挙げられるが、他面劣性条件も見逃すわけにはゆかない。それは①農地の住宅化により生産意欲を減退させていること、②工業用地との競合により個人営農計画が確立されない、③組織化・共同化に対する制約が多いことなど、優劣の条件が特徴づけられる。市内農業に対する市の施策については前述のとおりであるが、とにかく泥炭地帯の改良による農用地の拡大が根本的農業振興策であろうし、家畜導入による農業所得の増嵩、あるいは当市の人口増加に対応した蔬菜給源地の確立、さらに漬物等の越冬蔬菜加工品も農家経済を支える一方途であろうと考えられる。要は農畜産品をいかに経済価値を高めるかという研究と努力が所得を上昇させることになろうし、都市農業の最も大きな優位性であると考える。



第 3 章 市民の生活

 市民の生活という表題で、この総括の一部をなす第 3 章を記述してゆくのであるが 「 市民 」、「 生活 」共に、我々にはなじみの深い言葉であって、それに注釈をつけ加える必要はなかろう。然し、非常に興味深い 1 つの現象として、釧路市の全世帯数の 78.1 % が、業種は一応措くとして所謂被雇用者階級に属するという事実、更に又、就業人口の 84 % が、同様被雇用者階層であるという事実である。若し仮りに、封建領主から武力でか、財力でか、その方法は問わぬとして、自らの権利を、自治権をかちとったものが、自由都市であり、そこにすむ新興ブルジョアジーが市民であったとするならば、釧路市に於て、市民という概念を、若し仮りに、限定された地域で生活をしている、地域住民というところから、一歩踏み出すとするならば、その市民なる概念の中心はどの階層によって代表されることになるであろうか。
 若し、階層区分による比率の大なるものによって代表されるとするならば、それは当然、就業人口の 84 % を占める被雇用者階層となるわけである。
 若し仮りに、この 84 % の 「 市民 」が、被雇用者という共通の立場からのみ「 生活 」に対する態度を決定してゆくとすれば、そこには一貫した、雇われている者の「 生活 」に対する認識論が表面化されてこなければならないと、単純に考えられるであろう。
 然し乍ら、現実はこの 84 % の被雇用者群も、年齢、性別、学歴、出身地、居住期間、職種内容等によって多種多様な様相を呈し、決して単一の市民意識の中にとじ込められていないことは当然であろう。又、このような複雑なものを内包しながら、総体的に見て、村落的性向から都市的性向の特色をもつ市民へと変貌しているということがいえよう。この近代都市的方向への移行ということが、好ましいか、望ましくないかということを超えて、現実に近代化が進行しているということは、否定し難い事実なのである。或る程度までのヴァリエーションを伴い、かなり複雑な様相を示すこの市民の生活意識については、後段に於て詳述しようと考えているのであるが、このかなり複雑な、混合 ( 化合ではなく ) 的な市民意識の全体の流れというものが、抵抗なく都市の近代化への方向へ、大勢として順応していっているのか否かということが、かなりな深刻な事実として、採りあげられてよいのではないかと考えられるのである。
 然し、このはしがきに於ては、この問題を暫く措き、以下 4 節に分け、第 1 節 市民の生活条件、第 2 節 市民の生活形態、第 3 節 市民の生活水準、第 4 節 市民の生活意識 を、各編に於て提出された、専門委員の先生の御意見を踏まえながら、かつ、或る意味では学問の常識を超える "素人の眼" 、 "生活の中からすくいあげよう" とする蛮勇をもって、飛躍を試みながら、総括的に論旨を進めてゆきたいと思うのである。

 第 1 節 市民の生活条件

 市民の生活条件という言葉を、より明瞭にするならば、それは釧路 15 万市民がどのような背景と過去とを背負いながら、現在、各種の集団生活に参加しているかということであろう。
 その第 1 点として、来住時期の問題についての考察を進めるのであるが、その前に釧路市の人口の増加について、既に各編に於いて述べられたところであるけれども、再度それを振り返てみたい。
 釧路市の人口増加率は、昭和 22 年と同 25 年を対比するとき 27.1 % 、同 25 年対同 30 年 28 % 、同 30 年対同 35 年 26 % と非常な高率を示し、昭和 35 年 10 月 1 日現在の国政調査に於いは、 15 万 622 人、世帯数に於て 3 万 3,768 世帯となった訳である。昭和 25 年から同 30 年の増加率 28 % は、全国 10 万以上の都市で合併によるものを除外した場合川崎市に次ぐ、全国第 2 位にランクされるものであり、又、昭和 30 年~同 35 年の増加率も亦、かなり高いランキングを与えられるであろうことは疑問の余地の無い処である。つまり、釧路市には、常に "新しい波" が瞬時の停滞もみせず押し寄せ、旧いものに押し被さりながら、それ自らも亦、釧路市の自然と生活の中に風化し、変貌しつつある "休みなき都市" であることが窺い得るのである。
 その例証を、昭和 25 年以降に来往した世帯数が全世帯の 3 分に 1 に達しているという事実の中に求め得るのである。
 これは、前述の "休みなき都市" の例証であるが、同時に、次のような事象の現れであると考えてもよいのではなかろうか。
 すなわち、流入人口というものは、流入すべき必然性を有していたか、或いは流入しようとする意志と可能性 ( 前住地を離れ得る ) とを有していたかの何れかに大別できるのではないかと考えられる。流入すべき必然性を有していたということは、多角的産業形態を有する釧路市の、その完成を指向しながら、飛躍的に発展している現状がそれを必要とし、それを受け入れるべき体制にあったと云い得るのではなかろうか。それは、ノーマルな形での "新しい波" として、旧いものと、正常な相互作用を示しながら、変貌を遂げてゆく、健康な "波" ととらえられよう。そして又、この健康な "波" が、その大部分を示していることは肯定しうる事実であろう。問題は、意志と、前住地を離れ得る可能性とだけに支配されて、漂ってきた波である。これは決して整形をなさず、不規則なうねりをみせながら、社会の底辺へもぐろうとする傾向があり。市民生活の中で、何らの貢献度も持たず、産業戦線から脱落してゆく敗北感だけが支配的で、その為に、非社会的、非協調的、非生産的な方向の傾き易いのである。これは、若し見せかけの釧路市のブームが産んだものであるならば、産業構成の確立が為されなければならないし、個人的な責に帰せられるべきものであるならば、市自体は、どのような財政的負担を負い、より健康的な投資を抑制してでもそれに対し責任を追わなければならない。何故にか。それは彼等が市民であるからである。
 この辺に、人口増加と、市民意識或いは生活水準との問題が生まれてはこないであろうか。
 何故かと云えば、釧路市の 3 分の 1 を占めるものは昭和 25 年移行の流入人口であり、而もその 74.3 % は被雇傭世帯であり、それは所謂 "勤労者階級" を形成するものである。而して、その大部分は正常な釧路市の発展が生み出したものであり、必然性を持ったものである。そして残りの極く小数が、個人的責任に帰すべき現象をみせかけの釧路市のブームとして歪曲し、又、そのことが、勤労者全体の生活水準向上の足を引っ張り続けて来たのではないか。
 然し乍ら、これは非常に皮肉な見方であるとも云えう。個人的な責任という表現の中にも曖昧さが存在する。これは、市民の生活意識の混合度の一例証として引用したものと諒承していただきたいし、又、行政というものは、このような少数の脱落者を、産業戦線の戦列に復帰せしめねばならないであろう。
 次に、年齢構成の若さについて言及してゆきたい。
 各編の中で述べられているように、釧路市の年齢構成は非常に若い。これは、特に雇用者階層に於いて著しい。これは、釧路市が発展する青年の市であり、発展する市は労働力を要望しているという事実を端的に示すものであろう。
 自営世帯についてみると、その半数以上が 40 才、50 才台によって占められている。或る程度の経験と "土地勘" なしに自営は不可能であることを示し、更に又自営の為の資本の蓄積が不可能出会えうことを示すものであろう。
 この自衛地帯、雇傭世帯の年齢層の違いは同時にまた、住居形態に大きくその特色を表している。自己所有家屋に住む者の比率は 31.9 % であり全国平均 ( 昭和 25 年市部 ) を遥かに下回ると同時に、給与住宅の比率は 27.6 % という極めて高い率を示している。これは、雇用者階層、特にどこの市に動こうとも生活上極端な差異のない人々にとっては、従来から払拭することの出来ない "さいはての町" 的感覚の陰にかくれて他の市、特に本州各市等におけるより一層強く勤務条件の 1 つとして、給与住宅を要求することがありはしないか。勿論、これは一因に過ぎないのであって、戦後の勤労者の地位の向上によって石炭、紙パルプ等の大企業、或いは国鉄のような大公営企業対にあって、厚生要求のうち住宅問題が非常に強く採り上げられてきた結果であろうことが、この現象を招来したことに間違いのない事実であろう。
 問題は、この給与住宅占有者のうちの、どれ位の部分が、所謂 "動き得る勤労者" であるかという点にかかっている。昭和 25 年以降の流入人口の中の雇用者階層に於て、自己持家の極めて低いことは、当然であろうが、これらの階層が、間借りから、借家或いは給与住宅、更に自己持家へと移ってゆくことは、釧路市の性格として 1 つの "落ちつた都市" への移行を示す大きな原因になるであろうということが考察できるのであるが、然し前述のような人口増加の比率というものは、或る安定した階層が、年々加わる以上に、新しい不安定な階層として、市民生活の中に参加して来るのであって、"落ち着いた都市" という形態は、この人口増加率が続く以上、ここ当分望み得ないことになろう。

 第 2 節 市民の生活形態

 市民の集団的生活形態として、もっとも基本的なものは、職場と家庭であることは、論を俟たぬところである。
 この両者を通じて結論として記述できることは、釧路市が発展の途上にある市であり、若い青年都市、近代化への階段を進行している都市であるといえよう。それは又、同時に産業の面から云うならば、大企業と中小企業との区別がかなり明瞭に或る 1 つの断層をもっていることを明らかにしている。云うまでもなく、職域と世帯とが都市の近代化を示すバロメーターであることは御承知の通りであるが、釧路市が未分離の農村都市段階から、かなり分離を示した都市へとかなり急速に進行していることは明らかに看取されることであり、かつ世帯の構成単位が少ない、特にその傾向が雇傭世帯のA、所謂ホワイトカラーに多いということは、家族の系譜が比較的若い世帯主の、時代に即応しようとする、割合自由人的思考方法或いは生活態度を助長せしめることに与って大きな力があるのではなかろうかと考えられ、更に又、雇傭世帯B、所謂ブルーカラーも、平均世帯人員数を下回っていることは同様な傾向を持つことを示唆するものと考えてよかろうかと思うのである。
 然しながら、問題として提起しなければならないことは、雇傭世帯の家族構成が少ないことは、同時に、或る程度の生活水準の向上を意味するものであろうし、又、年令の若いことは、所謂文化生活への傾きを意味するものであろう。これらのことが、雇用者、所謂勤労者大衆の生活意識とどのように有機的に関連してゆくであろうか。本質的な物の考え方に、より正しく前向きの影響をもたらしてゆくか、或いは、スポイルする方向に向いているのか。これらのことが、更に深化して検討されねばならないであろう。何故ならば、このような本質的な "立っている場" を忘れた都市化への進行は、都市として、無機的な、無意識的自我の、単なる集団に落してゆく、極めて危険な進行を示すからであると思われる。自己の属する最小集団をエンクロージャー ( 垣根を作る ) として、相互関連性を喪失し、全体的な幸福と向上とに、目をつぶるというより意識の中に入れず、エゴイステイックなそして、常に何かの代償を支払い乍らの、極めて制限された、皮相的な幸福の追求に終わる懸念なしとしないのである。
 これを、関心集団への参加率から眺めるとき、戦後新しい集団として発足した婦人会への参加率では、雇傭世帯Bの参加率が高いことが注目されてよかろう。それに続くものは、所謂ホワイトカラーであるが、然しこの階層は、同時に、無尽の加入率に於いても第 2 位であり、第 1 位の自営世帯とは僅差であるが、ブルーカラー階層の参加率の 2.31 倍に達している。
 このことは、雇傭世帯Aに属せしめるべきか否かという基本的分析に誤りが無ければ、同階層の家族構成が少ないこと、又、教育程度の処で分析されている数字と相俟って、先程提起した問題点の所在位置を示すものではなかろうかと考察されるのである。
 結論的に云って、釧路市の数的傾向は、勤労者の都市であることを明瞭にしながら、勤労者の近代都市へと移行しつつあると結論するには、稍お先走りの感を免れない現状ではなかろうかと考えるのである。

 第 3 節 市民の生活水準

 市民の生活水準を所得と消費並びに文化生活の水準の面から把握してゆきたいと思う。
 先ず、所得の面からであるが、市民所得の比率は、全道、全国比に比べ高率を示していることは事実である。然しながら、このことは、総ての市民が平等に所得の豊かさを享受しているものでないことは明らかである。その原因は、大規模企業体の常雇者の数がかなり多く、又その所得格差が極めて大きい為に、全般的比率のみによって律することは危険である。
 所得の増大ということは、あくまでも、その均衡的増大という見地から行われねばならないので、尨大な所得格差を伴った所得増ということは、非常な問題があり、それ故に各政党とも格差の解消を所得増大の条件として謳っていることは自明の理であろう。
 消費の面から見るとき、所謂、物価高の現象は、必ずしも係数的に把握されたものでないことは、或る程度の調査が行われながらも、明確な結論が引き出されていないことによって、把握出来るのであるが、ここで考えなければならないことは、物価高という声が果たしてどの階層から起こっているのか。高額所得者階層からか、低所得者階層からかという面は、興味のある問題であろう。生活上の利害得失を考え、消費面での判断をなす余裕というものは、ある程度貯蓄性向の大きい階層からでなければ考えられないのではないか。雇傭者階層Bに於いては、 1 万 3 千円から 1 万 5 千円のクラスに 41.6 % が集中されているのである。その世帯構成平均数が 5.1 人であることと考えあわせるとき、そこには、物価高の批判の前に、先ず、厳しい自然条件の中で生命保有の為の総ゆる手段が講ぜられねばならぬ。云い換えるならば、消費物価の高低を論ずる前に、如何にやりくりしてゆくか、或いは又、どの商社がその願いに応じてくれるかということに眼が向けられるのであって、選択という行為を通じて生まれてくる物価高の批判は、大きな貯蓄意志と多少の貯蓄性向とを持ち、所得に於て、中間層を占めている所謂ホワイトカラーの階層から生まれてくるのではないかと考えられるのである。勿論、後述する市民の生活意識のところでは、物価高が住み難い原因の 1 つとして雇傭世帯Bからあげられているが、これは 1 つの訴えといった形をとったものであろうと考えられるのである。
 この総合調査の所得と消費の面を通じて云えることは、物価高という現実の面に対し、自分の生活からその判断を汲み出し得ない低所得階層を漸次高めながら、貯蓄性向をもった階層へと移行せしめてゆく諸方策が、産業の中で、とられてゆかねばならぬということであろう。
 このことは、次に採りあげられるべき、文化生活の水準の中でも云えることであって、所謂文化の性格というものは、生活、風土と切り離して考えるべきものではないのであろう。その中でも特に生活に密着した部分、例えば、上下水道、環境衛生の諸問題が、現在、大きくクローズアップされているということは、真に結構なことであろうが、然し、そのことは釧路市の後進性を示すものであるといえよう。生活に密着した基礎的な施設が脆弱であって、その上に、消費的傾向の強い文化が仮に追求されたとしても、それは決してその風土が生み出した文化とは云えないであろう。釧路市に於ける公共的余暇利用施設の不備は、基礎的生活文化施設の不完全と相俟って、不健全な享楽的、消費的、一時的な方向に向かわしめる危険がありはしないか。
 更に又、それは、不完全な生活の中に埋没し、積極的な判断と発言の能力さえも奪ってしまう結果を招来しないかということを恐れるものである。
 都市というものは,究極的には、市民の生活と、その向上の為に存在するものであるという極めて簡明直截な目標を見失わなければ、市民の文化生活水準を高める為に、生活基盤、余暇善用の為の公共施設ということが、急務としてあげられて来ると考えられるのである。

 第 4 節 市民の生活意識

 生活意識というもののとり上げ方は、種々あろうと思われるが、各編の中に於て述べているように市民の帰属意識という点から考えていってみたい。
 釧路市に住み易いということは、帰属意識を強めてゆく大きな因子であると考えられるが、その中で、「 景気がよい 」ということが、最高の率を示している。このことは、多角的産業が、絶えず転瞬のゆるみもなく発展している釧路市の性格を端的に示していると首肯されるものである。
 然し、この帰属意識を表わす 1 つとして「 土地の人の気風 」という項目が、かなりの高率を示していることは注目に値いしよう。而も、それが居住期間の長い自営世帯よりもかなりの流入人口を基礎として成立している雇傭世帯が 21.2 % と約 2 倍程度の数字を示している。
 このことは、非常に危険な独断を含むかも知れないが、例えば急行列車 「 まりも 」 の見送り風景を想起したい。あのホームに溢れる市民は、多少なりとも札幌、東京等その他の地点とはかかわりなく「 中央 」「 都 」といった抽象的なものと自己との関連性を再確認しようとする為に、釧路市と「 中央 」とを結ぶ唯一の急行列車に集まるのではなかろうかということが推察されるのである。
 そこには 1 つの植民地的後進性があり、又、前近代的都市としての側面を図らずも露呈した跛行性ということも云えるのではなかろうかと考えられるのである。
 従前からの、狭い範囲でのコミュニティーとしての同族意識とでもいうべきものが「 土地の人の気風 」として表現されているとは考えられないのであり、次に述べる安住性とからみ合わせて多少の寂しさを感ずるものである。
 然し乍ら、釧路市も、開基以来 80 有余年を経、産業経済その他の面に於て、すでに確固たる実績と伝統とを持ち将来への大きく開けた展望を持つものであることを考え、徒に卑屈になることなく、青年都市の市民としての誇りと自負とをもって良い時期に到達しているのでは無いだろうかと考えるものである。
 それを更に、「 気候 」が、住みよさと、住み難さとの両方の原因としてあげられていることに着目してよかろう。もっとも、数字的に把握しやすい降雨量、日照時間、温度等によって構成される気象という自然的、物理的条件というものも、意識の基点の置き方によって非常に異なるものであるということを考えてよかろう。
 これは又、自営世帯等の如く、2 代、3 代に亘る世帯に於ては、自然条件の時代的な緩和、生活施設の向上というものが、意識的に働いた結果であろうと考えられるのであるが、少なくとも、意識がその存在を決定するという、素朴な感情が、市民生活の向上の為の 1 つの補助手段として考えられてよいのではないか。そこに又、市政の浸透、行政に於ける広報の必要性といったものが生じてくる所以であろう。
 次に、帰属意識の決定的表現である、続けて釧路に住みたいか否かという点に於て、住みたいと思う者が 52.5 % 、早く移りたいもの 9 % 、仕方がないから釧路市にいるという者が 31.2 % 、となっている。ここで問題にしなければならないのは「 仕方がないから釧路にいる 」 という中間的存在の比率が高いことである。1 割前後の早く去りたものがあるということは、職業その他の条件から考えて当然のことであろうが、30 % を越える「 仕方がない 」という「 中間市民 」の存在は、極めて問題を含んでいると思われる。
 各編の中では、早急な結論に触れていないのであるが、この総括編第 3 章の中では、大胆ではあろうが、「 中間市民 」をして「 安定市民 」たらしめなければならないことを記したい。
 都市というものが、市民のために存在するものであるという前述の語を借りるならば、その都市の中の大部分の市民というものは、その向上の為への姿勢をとったものでなければならないであろう。勿論、前提条件としての所得、都市基盤施設等の整備を忘れてはならないが、その上に立つ市民意識の姿勢というものは更に重要度を持って来るのであり、行政の方向というものもそこに焦点を向けなければならないと考えるからである。
 この第 3 章の中に於ては、揺れ動く休みなき都市、釧路市に於ける市民生活の実態、その意識というものを概括的に触れてきたのであるが、飛躍と独断とがあったであろうことを、最後にもう一度附け加え、この章を終わるものである。



第 4 章 釧路市の発展の方向と将来計画に関する考察

 第 1 節 はじめに


 人間形成の 1 つの考え方として、遺伝を底辺とし、環境と努力を他の二辺とする、所謂「人生の三角形 」ということが通説的にいわれている。それならば、都市を形成する三角形は何であろうか。本審議会としては、あえて、つぎのような断定を下してみたい。すなわち、その三角形の底辺をなすものは、歴史的に積み重ねられてきた釧路市の現実であろう。その中には、過去 90 年にわたる、先人の営々たる努力と、更にはまた、釧路市のおかれている地理的位置、自然環境、その保有する天然資源等が渾然として底辺をなしているのであり、そのことは各編ならびに総括編の各章の中で分析されてきたところである。
 この釧路市の現実という底辺の上にたつ、他の二つの辺は何であろうか。これが大きく議論の分かれるところであろうが、一つは、経済の趨勢と国の政策等から決定される釧路市の必然的な方向というべきものであろう。さらに他の一辺は、この方向を健全に発展せしめようとする計画性とその実現のための努力によって形成されるものである。本章における表題を「 釧路市の発展の方向 」と「 将来計画 」という二つの部分に分けた所以もここにあるのである。この二つの命題が相互に刺激助長しあうことによって、釧路市の歪みない発展は、常にその正しい方向を保持し得るものと考えられるものである。
 今、一つの辺をなす「 釧路市の発展の方向 」を大胆につぎのように推定したい。

"釧路市の発展の方向は「 豊かな生産都市 」である"

 しかし、ここで、若干解明しなければならない。国の政策或いは経済の趨勢等が、釧路市の方向を決すると述べたのであるが、その国の政策はどうであろうか。この疑問に対して次のように答えたい。去る昭和 35 年末「低開発工業地域開発促進構想 」という表題のもとに、通商産業省が、大蔵省に対する昭和 36 年予算説明をなした内容がその答えとなるであろう。その中で「 低開発地域の工業開発の促進によって…わが国経済の高度かつ均衡ある成長が可能となる 」という前提のもとに、「 低開発地域の中で立地条件の優れた地域に、機械工業その他の適地産業の集積すべき工業地帯を積極的に育成する 」と目的を掲げ、北海道の地方開発地帯としては、「 釧路-白糠 」地帯を例示しているのであり,従来の各種準備調査等に基づいた、集約的な国土開発計画の重要な一環として、当地方があげられ、しかも、工業地帯開発法という名の下に、法制化されることに決定をみたということから、国の政策は当市をして生産都市へ向かわしめるであろうことは当然のことといえよう。
 さらに、経済の趨勢を示す一つの指標としての設備投資額を考えてみるとき、昭和 33 年 60 億円、同 34 年 86 億円、同 35 年 92 億円 ( 何れも 9 月末現在概算額 ) となり、経済の趨勢もまた、明らかに釧路市をして、生産都市へと向かわしめつつあることをその施設額の増加から立証していると論断できよう。しかし、ここに「 鉱工業都市 」ということばをあえてとらず、「 豊かな生産都市 」なる言葉をを用いた理由を敷衍してみたい。
 都市の新しい発展とは、確固たる産業基盤設備の上に成立している、近代的、合理的な体系と人間尊重の立場とをもつ各種産業が、継続的に繁栄し、市民はそれらを契機とする所得増大をとおして、健康的な生活を送り得る機会を与えられるということであろう。換言するならは、生産と健康な市民生活とが共存しうる地域でなければならない。
 実質的には、鉱工業都市としての性格を中核としながら、「 豊かな生産都市 」への方向へ向かうことこそ、釧路市の国内・道内における位置を確立せしめるものであると信ずる。翻って静思しなければならないことは、釧路市の方向というものは、釧路市自体の現実からだけ、或いは釧路市の為だけから判断されてよいのだろうかということである。
 戦後、地方自治体の自主性の尊重ということをが強く叫ばれていることは周知の事実である。しかしながら一面、独立自尊・自主独往の陰にえてしてありがちな、行政区域に固執した割拠主義の弊はまた幾度か指摘されてきたところである。
 閉鎖的・排他的な都市の繁栄には限界があるという実例を、われわれは歴史の中に容易に求めることができるのである。
 現在の釧路市を考えてみると、釧路地区、ひいては道東地方のローカル・センターとしての機能・使命を果たしていることは、分野ごとに、程度の差異は多少あろうとも何人も認めるところであろう。釧路市が果たしているこのセンターとしての機能を充実せしめるという現実的な問題と、さらに経済界の傾向として従来の単純な資源立地から脱却して、広い意味での消費立地的な考え方に移りつつある事実とを考えあわせるとき、より高度の発展方向を考えないで単に「 生産都市 」へと、一途に驀進することは、或いは釧路市をして、排他的な孤立工業地域たらしめる可能性なしとしないことを恐れるのである。
 孤立的工業地域の発展には、一定の限度が存在するか、或いは、市民生活への圧迫が生まれるであろうことは自明の理であり、ここに、「 豊かな生産都市 」へというスローガンを掲げて進む、釧路市の発展のより一歩遠い指標として、われわれは、「 完成された地域センター 」ということを意識しなければならないと考えるのである。
 隣接自治体と相互に依存しあい、有機的に連携を保つということは、釧路市の発展の方向を歪めるものでもなく、またその発展のエネルギーを減少させるものでもない。隣接自治体の発展はまた同時に「 豊かな生産都市 」へ進む釧路市の前進のエネルギーを増大せしめこそすれ、決してその反対のものでないことを銘記しなければならないであろう。われわれは決して抽象的に、かつ集中的・集権的な恣意からそのことを述べようとするものでないことは、後段の部分においてもご理解願えると考えている。従来の各行政区域にとじこもった姿勢は、決して健全なアンバランスのない、総体的発展のためにとらざるところであり、それを地元として推進すると共に国・道の側における不退転の決意に裏打ちされた開発計画の促進を強く要望するものである。
 以上、非常に概括的ではあるが、「 完成された地域センター 」を遠く望みながら「 豊かな生産都市 」への発展ということを釧路市の方向として想定する所以を述べたのである。

 第 2 節 道東経済圏の確立

 釧路市を閉鎖的・孤立的な生産地域にとどめず、隣接町村との依存度を深めつつ、相互発展の方策としての、「 道東経済圏の確立 」について論述する。
 元来、経済圏なる語には、語感として利己的な、自己中心的な方向、またそれから生まれる侵略的な感じがしないでもないので、歴史的な観点とにらみ合わせながらその概念を明確にしてゆきたい。
 経済圏計画というのは、一つの地方計画であり歴史的な意義を有している。
 地方計画にみられる二つの主流の第一は、過度膨張都市に見られる、単一の内部の問題、例えば交通の混雑、家屋の過大密集、土地利用の混乱等を、その都市の内部だけで解決せず、広域的に処理しようとするものであり、E・ハワードの 「 田園都市論 」に端を発するものである。その第二は、国土の合理的利用と開発を目標とする国土計画の地域的分子としての構成単位をなす場合のそれであり、1930 年のマクリーンの提言に由来しているものである。
 本審議会が、今叙述しようとする道東経済圏の確立は、この第二の形に属するものであり、国土総合開発や北海道総合開発計画とその歩調をあわせながら、地域的な特色と自主性を盛り込んだ相互繁栄のための考え方に基づくものである。
 次に具体的な目標に移る前に「 圏 」の範囲について考察してみたい。標題として道東経済圏なる語を用いたのであるが、いわゆる道東地方全体の各町村、釧路市との直接的な接触ということは、かなり困難性があるし、またそのその必要性も絶対的なものではないと考えられるのである。それで、第一次圏として、釧路市を中心とした釧路管内の副経済圏を原則として想定する。そして第一次圏で、各市町村の有機的連携を蜜にしてゆく。さらに、道東地方には根室、帯広、北見、網走、を中心に副経済圏があり、前述の都市がそのセンターとなっている訳である。釧路市としては、各経済圏のセンターと有機的な連携を取りながら、四つの副経済圏をもって有機的に道東経済圏を構成してゆく方向に向かうべきであると考える。その時間的な問題であるが、副経済圏である釧路市経済圏を確立してからのちに道東経済圏の方途を樹立するということは、順序としては当然であろうが、経済成長或いは情勢の進展等を考えあわせた場合、平行して行われなければならないものが多いのではないかと推定されるのである。
 昭和 35 年 10 月 1 日現在のいわゆる道東の人口は 114 万余を示している。これを都府県と比較してみた場合 33 位で、大分県と宮崎県の中間程度に位することになろう。道東を一つの経済圏としてみることは学問的に種々異論はあろうと思うが、北海道の地域的特殊性の一つの表われとして、われわれは一応常識的にこの圏を想定し、その全体的な方策の大要について若干触れてみたい。

(1) 副経済圏センター間を結ぶ多角的な交通手段の確立
  この目標の内容については、説明を必要としないのではなかろうかと思われる。物資の消流なくして経済活動はありえず、運輸交通の手段なくして物資の動きはありえない。しかも、その手段は経済的かつ多面的なものでなければならない。
 まず考えられるものとして、鉄道関係では、釧網線の輸送力の強化、釧路・根室間ならびに釧路・帯広間の複線化等による輸送力増強、釧美線の実現、白糠線の完成促進、根室線複線化の前提としての釧路・白糠間複線化などであり、さらに自動車輸送の基盤としての道路の面では、国道と主要道道の全面的改良舗装等が考えられ、とくに国道 38 号線の全面舗装、2 級国道釧路・根室線の 1 級昇格による改良舗装促進、別保・中標津間を結ぶ開発道路の早期完工、釧路・北見間を結ぶ 2 級国道の早期舗装化などが望まれる。

(2) 観光ルートの設定
  観光ルートという語は極めて規定し難いことであるが、北海道を目的として訪れる観光客ができるだけ長期間道東地方に滞在することを望むような、有機的な変化に富んだコースの設定が必要となろう。既存観光ルートは細かにみると有機性に欠けている点がありはしないか。同じような情緒と自然環境とだけでは変化に乏しく長期間の旅行は望めない。山と川と湖、原始林と温泉、植物と動物、等々それぞれにその特色を活かしながら観光ルートの設定が望まれる。とくに、札幌・阿寒湖畔弾丸道路が設定されることは、単なる夢想ではなく近い将来現実の問題として検討されねばならないであろう。

(3) 生産設備の計画的配置
  例示は避けるが、現実に生施設産の計画的配置問題はケース・バイ・ケースで処理されている面が多い。前述のように、住民の生活を圧迫することなく、しかも相互の繁栄を図るためには、意識的な配置計画が必要となってくるのではなかろうか。勿論ここ当分は釧路港を中心とした輸送距離が立地決定の大きな要因の一つとなろうが、製品の種類によっては道路の舗装につれて漸次情勢が変化することも考えられよう。このことは、青写真を作るわけにもゆかない点もあろうが、考え方の基本として銘記しなければならないことであろう。

(4) 港湾将来計画の確立
  最初に記した輸送手段は確立されたとしても、需給地への中継基地として釧路港の機能が充分でない限りネックが生まれよう。木炭、木材、馬鈴薯、砂糖、冷凍魚、鮮魚、石炭等、釧路港に呑吐される物資の飛躍的な増大を考えるとき、釧路港の使命は単に道東地方に限らず全道的にみて大きなウェィトをもつことになろう。
 陸路-海路-陸路と結んでゆく青函航路に比べるとき、海路一本で京浜へ通ずる釧路港の重要性は今更述べるまでもなく、道東の青函航路としてより効果的・経済的な立場となり、全道的なネックとなるであろう今後の青函航路の機能を充分補ってゆくことになろう。しかし、そのためには極めて雄大な釧路港の将来計画を持たねばなるまい。現状をより緩和するために、浚渫による港域の全面的利用、中央埠頭の早期完成のみならず第二釧路港 ( 商工港 ) の具体的計画樹立とそれに伴う後背地の確保などが喫緊の課題となろう。
 以上のほかにも各種の問題が山積しているであろうが、とりあえず当面する問題の焦点を捉えたつもりである。

 第 3 節 都市計画への提言

 「 過大都市 」―これは混雑している東京や大阪を評した流行語の一つであるが、何もこれは東京・大阪に限らないようである。
 千葉大学清水助教授は、その著 「 現代都市の繁栄と病根 」 の中でつぎのように述べている。

 ――適正都市とは需要の均衡が取れた都市で、必ずしも人口や建物の絶対量を意味しない。10 万でも過大都市となり 100 万でも適正都市になりうるのである。つまり適正とは、需要の均衡・平均の状態をもって判断すべきということになる。だから何事によらず 「 定員超過 」 という平均からの逸脱の状態の状態を以て過大化の深さを図ることができよう。――

 ここで釧路市について考えてみよう。これまで述べてきたように、近々 15 年の間に人口は 3 倍に増加した。工業生産も魚の水揚げも飛躍的に増加し、また港はかってないほどの賑わいをみせ質的にも一地方小都市から近代的生産都市へ脱皮しつつあり、その将来への途も約束されているのである。
 ところで、このような発展のテンポに対応する容物や施設の現状はどうだろうか。為政者の懸命の努力によって部分的にはかなり良くなっている面はあるにしても、全体的にはまさに需給均衡の取れた過大都市化を示していることは否定できまい。道路、港湾、住宅、土地、衛生施設、レクリェーション施設、学校などとどれをとり上げてみても量的な或いは質的な不足をかこっているのが実態である。
 しかし、これは救いのない姿ではない。青年期の都市が成長する段階において体験する共通の悩みともいえるだろうが、この現状の打開策が糊塗的なものでなく、将来への足がかりとして、その部分として、実行されることを希望するものである。しかしその際発展の基礎となるべき新計画 ― いわゆる技術中心計画から脱皮した総合都市計画 ― を勇断をもって樹立してもらいたい。 ― 新しい酒は新しい革袋に ― である。
 ここで、各編の中で新都市計画を樹てる上に配慮すべき幾つかの問題が指摘されているが、次にこれらのことを取りまとめて参考に供したいと思う。

(1) 釧路市の立市方向とその規模
  前提となるのは釧路市の性格とその将来における規模であるが、既に述べられたように釧路市の方向は豊かな産業都市として、また地方中心都市としてその機能を高めることにあるが、規模は 20 年後の昭和 55 年において最小限諸生産額 1 千 5 百億ないし 2 千億円、収容人口 25 万人を目安とする計画が望まれる。つまり、34 年の粗生産額は工鉱・水産を合わせて約 300 億であったが、紙パルプ工業の飛躍的な増産体制や適地工業の立地を想定した場合、この程度の生産に対応するだけの都市計画措置が必要であろう。
 人口推計については本市において各種の方法によって検討されているが、その何れも大体 23 万人程度となっている。ただ注意しなければならないことは、就業構成においては第 2 次産業は生産性が著しく向上するために雇用が制約されるので、第 3 次産業における就業人口の伸びが案外多いと思われることと、もう一つは周辺との共存関係が深まることによって昼間人口が増大することである。

(2) 都市計画区域
  計画区域は現行市域は当然として、まず一連の鉱工業地帯を形成することが予想される白糠町・釧路市の一部を包含したものか、或いはこれら関連町村との連合的都市計画を考慮すべきであり、第 2 に釧路川流域にはてしなくひろがる泥炭湿地の開発計画によって生まれる新近郊農業地帯を含む一体的な区域設定を行うべきである。

(3) 土地利用計画

 (イ) 工業用地

   釧路市が発展する次に飛躍台となる第 3 の工業の立地を始め、主要工業地帯としては
  新富士・大楽毛海岸一帯が挙げられるが、この工業用地と新商工港 ( 第 2 釧路港 ) との
  有機的結合を図る必要がある。
   既成市街地には数多くの中小工業、とくに水産加工業が住宅地区等に点在し、市民生活
  環境に影響を与えているし、また企業自体も効率的な経営に支障があるから、同業種一
  団地計画等が既成市街地再開発構想の中で取り上げられることが望まれる。

 (ロ) 商業用地
   釧路市は地方中心都市として将来道東における交通網が整備され、また後背地の開発
  が進展することによって経済活動はますます活発化することが予想される。そこで新計画
  では市街地の拡大による路線商業地区の設定に止まらず、港と浪速町国道間の再編成や、
  浜釧路駅跡地とその周辺一帯の利用計画では優先的に経済センターとなるべき商業用地
  の設定を考慮すべきである。

 (ハ) 住宅用地
   昭和 55 年の人口を 25 万人とすれば現在より 10 万人が増加する。その住宅必要数は
   1 戸 4.5 人として 2 万 2 千戸であり、現在の絶対不足数を加えると約 2 万 5 千戸
  が必要となるわけであるが、この半分を新住宅地帯に求めるとして 150 万坪ないし
   200 万坪の地積がほしい。そしてこの住宅地帯は現在の郊外地域に程よく配置され、
  健康で楽しい生活を営むことの出来る雰囲気を持つよう、かつまた交通機関、教育施設、
  ショッピングセンター、レクリエーション施設等を整えなければならない。
   ところで、住宅団地計画は現行市域にとらわれる必要はない。現在では多少の距離の
  問題は交通手段が解決するから、選定の第 1 要件としては住みよい環境か否かを問題と
  すべきである。また、泥炭地開発計画の中には住宅団地の造成もその一環として採り上
  げられることが望ましい。

 (ニ) 公園・緑地
   釧路市の都市美、その立体的景観は全国都市の中でも屈指のものとして定評がある
  が、画竜点晴を欠くのは緑のうるおいの少ないことである。新計画では分散的小公園の適正
  配置を図るとともに、大胆に規模の大きい公園・緑地を設置してもらいたい。一見無駄
  にみえても、それは市民の行楽地として市民生活を支え、あすへの活力を養うもので
  あるし、また一段と街の彫りを深くするものであろう。

(4) 交通計画
  街路交通で今一番問題となるのは、既成市街地とくに北大通りを中心とした集中交通であろう。そこで現在本市が計画中の北大通り拡幅を主体とする都市改造事業を推進するとともに、国道迂回路の設定や北大通り並行路線の整備が望ましい。

 次に後背地連絡道路としては、帯広と連絡する 1 級国道 38 号線、根室と結ぶ 2 級国道 242 号線、北見地方と結ぶまりも国道が主要路線であるが、これら道路と市街地の接続、とくに港頭連絡の方法は充分に検討されなければならないであろう。

 第 4 節 産業振興策

 第 1 次産業から第 3 次産業まで多角的構造をもっている釧路市産業について、その各々の部門の振興策については第 2 章で詳述したところなので重複を避けることするが、諸産業を進行させるということは、ひいては市民所得の増大の帰結しなければならないことは言をまたないところであり、この原則を積極的に推進するためには英断をもって重点的に採り上げなければならない部門のあることもまた当然であろう。
 勿論、他の産業を置き去りにするとすれば、各産業間における所得格差が一層救い難いものになるのは必至であり、各産業間の関連性或いは有機的連携を持つことが望ましいことはいうまでもない。しかし、これも全産業共々にというわけにもゆかず、経済成長の谷間に喘ぐ産業もあることは、自由主義経済社会における必然性であるだけに経済施策上の問題点となる所以である。
 釧路市における就業者の構成比は、第 3 次産業が半数以上を占め、次いで第 2 次産業が追従しており、第 1 次産業は僅かに 7.3 % にすぎない。更に就業者 1 人当り所得の面では、総対的に第 2 次産業が第 3 次産業より高いことが立証されている。しかし、第 2 次産業の所得水準が高いとはいえ、第 2 次産業産業自体の中で高低の格差は著しく、数指の大企業が圧倒的に高いのみで、中小企業がこの所得の高水準を支えているものではない。
 水産業については、第 2 章産業の基底に於いて、その対策を述べているので省略する。第 1 次産業の中でも農業の生産性の低さは、現在の所得倍増計画の目標である所得の平準かつ均衡ある上昇の達成のために大きな障害であるといわれている。当市の農業もまたその埒外ではなく、所得はもっとも低い。国におけるこの解決策としては、工業を地方化して農業人口の工業人口への移動を促進することにより、農業の、そしてひいては国民全体の生産性を高めようと計画している。当市の農業は、近郊農業としてこうした施策にはもっとも適合しているし、さらに広大な未開発地を擁しているだけに、農地の拡大についても、泥炭湿地帯の開発計画が進捗している点からも明るい見通しを持つことができよう。
 しかし、農業問題解決の基底が第 2 次産業の進行に帰着するとすれば、まずその対策を重点的に考えてゆかなければならないであろう。第 2 次産業中、当市の基幹産業である石炭鉱業については、石炭業界の現段階の課題である重油価格との対比における炭価引き下げを目標とする大規模な合理化が要求されており、その手段としては生産効率の低い炭鉱のスクラップ化、従業者の他産業への移転、あるいは荷役の機械化等による流通経費の大幅な節減などが考慮されている。それだけに釧路炭田としても、休廃坑に替るべき出炭効率の高い新坑の開発があるとしても、一般的には坑内の機械化などによる合理化と企業の多角化に腐心するであろう。
 このような長期沈滞様相から、当市産業振興の中心あるいは労働力吸収の場となることは当分期待薄といえよう。そこで当市産業の発展を支えてゆくのは工業でなければならないと断ぜざるをえない。勿論、消費景気が旺盛になることによって第 3 次産業も成長するであろうが、その成長は工業の発展と相関関係にあることはいうまでのない。
 当市の工業は、木材・水産資源を中心とする大企業と中小企業群とに分かれる。そこで、これら両面の振興策が図られなければならない。いわゆる大企業の誘致と中小企業の育成強化である。
 企業誘致については、所得倍増計画の達成のために、地域間格差の解消とベルト地帯への工場の過度集中排除を前提として、現在通産省に於いて低開発地域工業開発促進の構想が樹てられているが、用地・用水・港湾・エネルギー資源という主要な工業立地の因子を備えている当市にとっては、充分そうした計画の意図に合致し、当市を中心とする一ブロックが形成されることが想定される。
 通産省の構想によれば、こうした地域の工業立地の基礎的諸施設については、大幅な助成策がとられることとなろうが、その前提をなすのは都市計画の確立であり、次いで工業用地の造成であろう。都市計画については、充分立地上から誘致可能な個々の産業の特性を考慮の上、行政区域を超越し、関係町村と連携を保ちながら共存の立場で検討されなければなるまい。
 誘致する企業については、従前のように地元あるいは後背地資源による 2 次または高次加工工業に拘泥せず、前述のごとく土地・水・輸送・エネルギー資源に恵まれていることから、地元資源依存工業に限るものではないことを再認識して、製紙工業や、水産加工業を含めた食料品工業に次ぐ第 3 の工業というべき新たな工業の誘致育成に務めなければなるまい。
 中小企業については、地元産業であると同時にもっとも労働力吸収の場であるだけに、堅実な発展を希求してやまないところであり、その消長は他産業に及ぼす影響も甚だ大きい。当市の中小企業でとくに採り上げなければならないものは、水産加工、木材木製品製造、造船、鉱工業などであるが、いずれも近年諸産業の好景気の余恵を受けて上昇傾向にあるとはいえ、元来資本力に乏しく設備投資の余地がないため旧態依然たる内容・設備であり、その脆弱性は大企業の進出によって直ちに暴露する危険性を孕んでいる。
 これらの育政策としては、技術の向上のほかに資本力を充実させることによって設備投資をさせることが先決であろうことは言を俟たないが、それまで成長することが甚だ困難時であって結局は金融機関に依存しなければならない。しかし、現在の金融機関の下においてはその解決の途は程遠いものがあると思わざるをえない。これを打開するための一試案としては、既存地元金融機関の強化、もしくは地元資金による金融機関の設立である。低利・長期の資本によって地元中小企業の設備投資意欲を高揚させることこそもっとも喫緊事ではあるまいか。市と商工団体が一体となって地元銀行を設置することは決して至難なことではないと考え、提言する次第である。
 要約すれば、産業振興策の焦点は企業誘致と中小企業の育成の二点にあり、企業誘致のためにはその受入体制の確立が先行することが必要であり、地元中小企業の育成のためにはその脆弱性を打破するための方途を積極的に配慮しなければならないことを付言するものである。

 第 5 節 市民生活の向上のために

 釧路市が道東の中心的な産業都市・生産都市として名実ともに充実するためには、産業基盤の整備とあわせてよりよき市民生活をエンジョイするための都市環境の整備が必要であることは論を俟たないところであろう。つまり、産業生産と市民生活が共存共栄しながら、市民全体のほかに周辺後背地の人々の楽しい集合の場所としても相応の風格と魅力をもった近代都市として裏付けのなされることが必要なのである。
 そのためには、道路、港湾、学校、公園、上下水道、衛生施設などの公共都市施設の整備と合わせてレクリエーション施設の充実が望まれるのである。とくに、レクリエーション施設について考えるならば、厳しい自然条件の故にややもすれば渋滞しがちな北国の生活をできるだけ明るく楽しく享受するために不可欠の要素であるにもかかわらず、これといってみるべきものがないというのが現状である。
 そこで、まず望まれるのは市民会館の設置である。近代都市の条件として芸術・文化の新興をゆるがせにできないことは改めて述べるまでもないが、音楽堂や美術館を含めた市民会館を設置することが望ましく、更に図書館、博物館などもあわせて市民文化・市民芸術のセンターとすることが理想的である。
 さらに、これとあわせて必要なのは総合スポーツ・センターである。たくましい産業発展の源となる市民の保健体育の向上のために、陸上競技場、体育館、水上競技場、各種球技場などをあわせた総合的なスポーツ・センターがほしい。
 また、家族ぐるみで容易に休日をエンジョイすることができ、しかも将来の釧路市を担うこどもたちの情操を高め、明るく豊かな市民性をはぐくむための「 こどもの国 」といった施設がほしい。もちろん、それは単なる遊園地的性格の域を脱して、動物園、植物園、科学館、水族館などの施設をあわせた幅の広いものでなければならない。
 いっぽう、おとなの休養のための施設としてはヘルス・センターの設置も考えられてよいであろう。勤労で疲れたからだを大規模な浴場で癒しながらバラェティーに富んだ娯楽・スポーツに興ずるという光景は想像しただけでも楽しくなるようである。
 そして、「 こどもの国 」あるいはヘルス・センターといった構想は都市の偏向を是正する地域振興対策としても大きなう意義を持つものである。つまり、こうした施設を橋南地区に設けることにより、市心の橋北地区への移行にともに衰退を辿りつつある橋南地区に一つの活路をあたえ、新たな展開を契機づけることにもなるからである。よく、他の土地から客がきても釧路市内にはこれといって見せるものがないという嘆きが聞かれるが、こうした施設ができれば釧路市の新しい名所となることは疑いなく、観光の上にも大きな役割を果たすことになろう。
 さらに、こうしたもろもろの施設とともに忘れてはならないのは、冬の生活をより楽しく健全にすこすためのウィンター・スポーツの施設として近郊にスキー場を設けるとともに夏の行楽として欠かすことの出来ないハイキング・コースの設定である。
 以上は、生活環境としての都市施設、特にレクリエーション施設の整備ということについて考えてみたのであるが、さらに視野を変えて、産業都市・生産都市として釧路市の産業と市民生活の繋がりというものについて考えてみたい。
 産業の振興が都市の発展に不可欠の要素であるとしても、それが住民の生活を阻害するものであってはむしろその意義を喪失することになろう。つまり、工場地帯からもたらされる煤煙、騒音、臭気、廃液などといったもろもろの公害は都市環境を損なう以外のなにものでもないし、こうした公害を避けるための対策なくして市民生活の向上は考えられないのである。
 そこで必要なのは、第 3 節都市計画への提言においても述べているが、工業地帯と住宅地帯の計画的な団地造成と両者の分離である。さらに、住宅地帯の造成にあたって忘れてならないのは、コミュニティー ( 地域生活社会共同体 ) 計画の推進である。つまり、新しい住宅団地の整備にあたっては、住みよい寒地住宅の建築とあわせて道路、上下水道、小中学校、公園、商店、医療施設、娯楽施設などが総合的に建設されることが望ましいのである。そして、このような工業地帯と住宅地帯の分離は、生産都市としての機能をより高め活発化させるとともに都市美を一層助長せしめることになるであろう。
 さらに、生産都市・産業都市としての産業教育の振興について考えるならば、市民の知的水準を高め、あすの釧路市を背負ってたつべき人材を育成するためにも、自然科学を中核とした総合大学の設置が望まれる。
 また、力強い都市の発展とは対照的にともすれば都市行政の末端に置き忘れられがちな老齢者、身体障害者、寡婦などといった人たちのために、社会福祉センター的な施設を設けることも望ましい。
 いっぽう、こうした外面的な幾つかの問題とともに留意しなければならないのは、物価高の問題である。季節的産業流入者や一部消費者の大様な購買態度と、それに便乗した商店サービスの粗雑性が、あえて物価高という生活意識をもたらしているとするならば、それは両者の後進性に因由する以外の何物でもなく、より近代的・進歩的な生活感覚の育成が望まれるのである。

 第 6 節 おわりに

 以上、縷縷述べてきたのであるが、その実現・具体化をより確実ならしめるために、重複の感は免れないが一言付言してゆきたい。
 記述のごとく、今日ほど組織的・合理的で、しかも自主的な開発計画が強く望まれているときはないであろう。それは、敗戦による国土の矮小等を救う道は、国土そのものを最大限に開発し、生産度を高めてゆく以外に方法はないからである。それ故に、本審議会としては、「 総合的な地域開発計画の樹立 」を声を大にし、要望したいと考えるものである。しかしながら、それにも条件があり、あえて補足したいと考えるものである。

   ( 1 )  総合的な地域開発計画の樹立は、市側の独断的な、恣意的なものであってはならないし、
     旧来の慣行と惰性によって、目的意識を失った自慰的な "計画のため計画" であってはな
     らない。それ故にこそ、漸次改革の実を上げつつある市に対し、よりいっそうの、より
     速い体質改善を要望するものである。近時声高く叫ばれている "行政の近代化" なる語は、
     ある状態より漸次移行していくことではなく、かなり飛躍的に異質のものに変化すること
     を意味するものであり、高度の努力を必要とすつものであることを銘記してもらわねばな
     らないであろう。

   ( 2 )  国・道においてそれぞれ樹立される国土総合開発計画あるいは北海道開発新長期 10 ヶ
     年計画等においても、従前のに倍して地域の特殊性を充分考慮せられ、地域住民の結集し
     た意志を綿密に反映せらるよう希望するものである。すなわち、ここにいう "総合的な地
     域開発計画の樹立" ということは、国・道・市一体となった計画でありたいということで
     ある。

   ( 3 )  さらに、われわれ市民の側よりするならば、ある意味では、計画促進のために市民の叡
     知を結集し、ときとしては執拗に、ときには温かく、常に叱咤激励することが必要であろ
     う。すでに述べたごとく、われわれ市民の目的は、豊かで健康で明るい生活を送ることに
     あるのであり、常に視点をそこに定めながら、単に希望的観測でなく客観的情勢を冷静に
     判断し、市民と市との連携度を強めつつ、豊かな生産都市への力強い歩みを続けてゆかね
     ばならないであろう。このような条件が満たされる限り、釧路市の生々発展は期してまつ
     べきものがあると思われる。

 以上、ときに学問的常識を逸脱し、あるいは推測等を交えた面もあり、記述に不備な点もあったことと考えるが、ご寛容を願って筆を擱くものである。


Updated 27 March , 2021