Kataro ホームページ 「 河太郎 」 13 号 平成 15 年 ( 2003 年 ) 9 月1日

雑感

渡邊 廣志

その一 フェルメールツアー

 トマス・ハリスの犯罪小説 「 ハンニバル 」 ( 「 羊たちの沈黙 」 の続編 ) では 「 羊たちの沈黙 」 でレクター博士の収容されていた精神病院の用務員をしていた大男のバーニーが、フェルメールの作品のすべてを見る 「 巡礼の旅 」 に出るという設定がなされている。
 こういったベストセラー小説にまでフェルメールが登場すること自体、昨今のフェルメール人気を如実に物語っているといえよう。かくいう私もフェルメールに魅せられた一人なのだが ― 。
 もともとフェルメールは寡作の画家と言われ、しかも 43 才という若さでこの世を去っているだけに、作品数の少ないのは当然だとしても現存する作品は 36 点 ― 内、 3 ~ 4 点は非真作とする美術評論家もいる ― とはいかにも少ない。希少価値と言われる所以である。その作品の大半は、言い古された言葉ながら珠玉の宝石とも言える逸品揃いなのである。風景画二点と物語画二点を除いては、すべて室内の人物が描かれ、斜めに窓からさしこむ光は優しい。この光の処理は、同じく光の画家と言われているカラヴァッジョや同時代のレンブラントとは明らかに異なる。彼らが光を、時としては極端なほどに強弱を強調してドラマ性を引き立たせたのに比べ、フェルメールの場合は何点かを除いてはドラマ性もなくあくまでも光の玉が躍っているのである。魅惑の斜光とでもいったらいいか。
 フェルメールの人気の秘密は単に作品の素晴らしさにあるだけではない。極めて豊富な話題性にあふれていることでも知られている。このことは前々号 「 河太郎 」 に 「 追っかけフェルメール 」 にも書いたことなのだけれど、あえて重複をお許し頂き、いくつかを列記してみたい。
 まず彼自身の生涯である。近年、フェルメール研究がすすみ、今までヴェールに覆われ続けてきた彼の生涯が、かなりの部分で解明されるところとなったが、それでもなおかつ謎は多く、たとえば彼の師匠は誰だったのか、生涯彼は生地オランダのデルクトで修業したのか、デルクト以外で修業したとすればその修業地はどこだったのかなど、已然として不明確なのである。
 その上、これほどの画家が長い間、評価の埒外に置かれ、二〇〇年を経てから突如劇的に再発見されるという ― この二〇〇年の空白をどう説明したらいいのかなど。
 また、彼の現存作品の内、少なくとも 3 ~ 4 点は非真作だとする美術評論家間のもめごとにも決着はついていない。真作・非真作論争ばかりではない。贋作事件が彼の話題性をいやが上にも高めたことがあった。第二次大戦中のこと、オランダ人画家、ファン・メーヘレンが国宝級のフェルメールの作品を敵国ドイツに売り渡したとしてオランダ国民から糾弾され、裁判にかけられた。しかし実は売り渡した作品は彼自身の贋作であることを告白、それを証明するために裁判所に絵画道具一式を持ち込んで描いてみせたという。この事件で彼は敵国ドイツを欺いたとして一躍国家的ヒーローにまつりあげられた。
 さらには度重なる盗難事件がある。ロンドン・ケンウッドの 「 ギターを弾く女 」 、ダブリン・ラスボローハウスの 「 手紙を書く女と召使い 」 ― ちなみにこの作品は二度も盗難に遭っている。当時ベルギー、現在はアムステルダム国立美術館所蔵の 「 恋文 」 、そしてボストンガードナー美術館の 「 合奏 」 。他の作品は傷つきながらも回収されたが、この作品だけは今以て行方不明。ガードナー美術館では、あった場所に額縁だけを飾り、作品の帰還をひたすら待っているという。ことほど左様にフェルメールの盗難事件は多い。
 さてフェルメール・ツアーである。
 現在、彼の作品のすべては、八カ国、十五都市の美術館または個人コレクションで所蔵されている。以下羅列してみる。

     オランダ アムステルダム     4 点
          ハーグ         4 点
     フランス パリ          2 点
     ドイツ  ブラウンシュヴァイク  1 点
          ベルリン        2 点
          ドレスデン       2 点
          フランクフルト     1 点
     オーストリア ウィーン      1 点
     スコットランド エディンバラ   1 点
     イギリス ロンドン        3 点
     ケンウッド            1 点
     アイルランド ダブリン      1 点
     アメリカ ボストン        1 点 ( 行方不明中 )
          ニューヨーク      8 点
          ワシントン       4 点

 いずれも魅力的な都市ばかり。どなたかツアーにおでかけの方はいらっしゃいませんか?
 私はと言えば、フェルメールの生に触れたのは二〇〇〇年の大阪市立美術館の 「 フェルメールとその時代 」 展で五点を見たのが最初。この時の人気はまさに異常で、その混雑振りは炎天下三時間もの行列待ちであったのを思い出す。この時から、複製画と本物の落差をいやというほど思い知らされ、以来、フェルメール賛歌を謳うようになり、今日に至っている。
 このことが病みつきとなり、翌年、ロンドンナショナルギャラリーでの 「 フェルメールとデルフトの画家たち 」 ( 9 点 ) 展には矢も楯もたまらず日本を飛び出した。あれほど海外旅行嫌いだったのに。そして翌年、再びロンドンに渡り、ナショナルギャラリー、王室コレクション、ケンウッドハウスを行脚する。
 しかしこれ以上フェルメール・ツアーに参加することは到底無理 ― 色々な意味で ― なので、あとはただ、オランダにあるフェルメールの風景画 「 デルフト眺望 」 と 「 小路 」 ― フェルメールの風景画はこの二点しかない ― を観ることで私のフェルメール行脚を完結させたい。
 何とか来年、この夢を実現させたい。
 今思えば、一九九六年のオランダ・マウリッツハイス美術館のフェルメール企画展をなぜ観に行かなかったのかと悔やまれてならない。この時フェルメールの作品が二十三点も一堂に会した。今後これだけの作品が集まることは二度とあるまいに。
 期間中の入場者数、四十五万人であったという。


 その二・イギリス人は聴き上手

 二〇〇一年夏、ロンドンに行く。ロンドンには娘夫婦一家が居住している。婿さんは剣道七段、現在アイルランド・ナショナルチームのコーチをしている。アイルランド人の人柄の良さと練習後に飲む本場ギネスビールにひかれてコーチを引きうけたという。また、ロンドン郊外に剣道サークル 「 無名士道場 」 があると聞き、稽古を再開、初級者指導や昇段の審査員などもまかされるようになった。 「 無名士 」 とは言え、メンバーには社会の上位の人たちが多いとのこと。たまたま滞在中、あるガーデンで、あるガーデンといっても日本の小公園風のそれではない。見渡すかぎり森や丘陵が広がり、自然の恵みを心ゆくまで楽しむイギリス人の生活の場でもある。このようなガーデンは都心と言わず郊外と言わず、イギリスにはやたらと多い。
 そのガーデンでたまたまジャパンフェスティバルが開かれた。催しの一つに剣道のデモンストレーション、無名士道場・と思う・のメンバーと共に、婿さんも孫娘も剣道の型などを披露していた。最後は観衆も飛び入り参加で大人も子供も大いに盛り上がったのは楽しかった。聞けば、ヨーロッパでは日本の剣道がブームのようで、今年 ( 二〇〇三年 ) などはスコットランドのグラスゴーで世界四十二カ国が参加して世界選手権が開かれ、開会式にはエリザベス女王陛下夫妻も出席された。婿さんなどはアイルランドチームのコーチとして、またこの大会のキーパーソナルとしてエリザベス女王夫妻に握手の栄を賜った。この大会の模様は、つい先だって NHK テレビでも放映された。剣道のブームのいわれは黒沢明作品の影響か、あるいは日本の武士道がヨーロッパの騎士道に通ずるものがあるからだと推測する。
 剣道の話はさておき、ジャパンフェスティバルのもう一つの催しに日本音楽の演奏会があった。広場に仮設のステージをしつらえ、芝生の上に椅子を二 ~ 三〇〇も並べた野天の演奏会場である。客席はほぼ、満員。大人たちにまじって子供たちの姿も多い。演奏会は小オーケストラをバックに私の知らない日本人歌手が数人、これも私の知らない日本のオペラ・あるいはオペレッタを演奏会形式で演奏。知らない歌手、知らないオペラ、これではさぞかし聴衆も退屈して途中でざわつくのではと思いきや、小一時間の演奏時間中、席を立つ人もなく、駆けずりまわる子供もいない。皆熱心に最後まで聴き入っていたのには感心というより、むしろ驚いた。これが名にし負うイギリス人の聴き上手というものか。もちろん終了時の拍手も盛大であった。
 翌年 ( 二〇〇二年 ) 、再びロンドンに渡る。中学生の孫娘が BBC 交響楽団の下部組織ナショナル・チルドレンズオーケストラにヴァイオリン部門のオーディションに合格、第二ヴァイオリン部門の一員となった。
 この組織は年齢別に数段階に分かれ、十四才クラスはイギリス各地を年に数回演奏旅行するという。メンバーは一〇〇名あまり、孫娘のように日本人もいれば、インド人、ドイツ人等文字通り多国籍、ヨーロッパ各地からはるばるドーヴァー海峡を渡って練習に参加しているという。また年に何回かは、今はベルリンフィルの常任指揮者サー・サイモンラトルが指導に見えるという。イギリスの音楽教育をやたらと有難がるらしい。
 たまたま私がロンドンに行った時、このオーケストラの最後の卒業演奏会が、距離を隔てた二つの中都市で開かれた。プログラムは二会場とも同じもの。

 チャイコフスキー  胡桃割り人形組曲 ( 抜粋 )
 プロコフィエフ   キージェ中尉組曲 ( 抜粋 )
 ルトスロースキー  小組曲
 ショスタコヴィッチ 交響曲第五番 全曲
 プロコフィエフ   キージェ注意組曲 ( 抜粋 )
 ルトロースキー   小組曲
 ショスタコヴィッチ 交響曲第五番: ( 全曲 )

 演奏前、まずオーケストラのチューニングが始まる。それが終わるとやおら客席後方から客席の通路を縫ってコンサートマスターがヴァイオリンを抱えしずしずとステージにあがり、客席に向かって一礼、ここで大拍手、しかるのちに指揮者がステージの袖から現れて拍手の内に演奏が始まるという、私にとってはもの珍しい進行であった。
 さて聴衆である。どちらかと言えば演奏前は学芸会的雰囲気で、親達や祖父母たち、しかも演奏者の兄弟、姉妹も多く、幼稚園、小学生レベルの子供たちも大勢。昨年ジャパンフェスティバルで懸念したざわつきがここで起こるのでは。しかし驚いたことに演奏が始まるやいなやそんな懸念は全くの杞憂、大人も子供もそれはそれはまさにマナーの行き届いた立派な聴衆なのである。
 イギリスのクラシック愛好者は上流階級が多く、従って教育も躾も充分になされているとは聞いていたが、イギリス人の聴き上手は子供時代から完成されている。

Updated 19 March, 2021