Kataro ホームページ 「 河太郎 」 13 号 平成 15 年 ( 2003年 ) 9 月1日

無題

不二 一朗


 三島由紀夫が昭和 41 年に 「 英霊の声 」 「 憂国 」 「 十月の菊 」 という所謂 2 ・ 26 事件 3 部作の一つ 「 英霊の声 」 を書き終え、それをいつものように 「 昨夜一気に書き上げた 」 と言って母親に渡した。一読した母親は血が凍るような想いがし、三島にどういう気持ちで書いたのか聞くと、 「 手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々から低いがぶつぶつという声が聞こえる。大勢の声らしい。耳を澄ますと、 2 ・ 26 事件で死んだ兵隊達の言葉だと言うことが分かった。 」 と答えたと言う。
  「 英霊の声 」 は 2 ・ 26 事件で処刑された青年将校たちと、今次大戦末期、敵艦に体当たりして自爆を遂げた特別攻撃隊員らの霊が神憑りになった少年の口から怨嗟の言葉で "人間宣言" を宣し、神の座から降りた天皇へ恨みの声を発する。
  2 ・ 26 事件の将校達は天皇への至純の心により事を起こしたにもかかわらず、陛下は "叛徒" とし、神風特別攻撃隊の英霊は神である天皇との一体化を夢見て出撃したが、天皇は "人間宣言" をした。
 天皇は神の座から降りる事により一度は軍の魂を失わせ、二度目は国の魂を失わせたと憤りと悲しみの声で裏切られた英霊達は
      〈 などてすめらぎは人間となりたまひし 〉
と繰り返し歌う、と三島は語るのである。
  「 ロンドンタイムズ 」 「 ニューヨーク・タイムズ 」 の東京支局長で三島に最も信頼されていたジャーナリスト、ヘンリー・スコット・ストークスは
  「 三島にとって 2 ・ 26 事件の挫折は "何か偉大な神" の死と感じたらしい。 2 ・ 26 事件のヒーロー達の霊を慰め、彼らの汚辱をそそぎ、復権を試みようという思いを突き詰めていった。
 それはどうしても戦後の天皇の "人間宣言" に逢着する。そして "人間宣言" が戦前まで遡って影を落としているのを思い、影を辿って "英霊の声" を書かずにはいられない心境に自己を追い込んでいった 」 と言う。
 三島由紀夫はある対談で、 ― 戦前の "天皇制国家" を唯一の国体と考えるのか ― の質問に 「 そうです。天皇が自ら "人間宣言" をなされたから、日本の国体は崩壊してしまった。戦後のあらゆるモラルの混乱は、それが原因です。 」 と語ったと言う。


 明治後期から昭和初期にかけて、軍人であった予備陸軍少将斉藤 はアララギ派の歌人でもあった。 2 ・ 26 事件の蹶起軍の将校の一人栗原安秀中尉の父親とは陸士同期であったゆえ、栗原中尉と知り合うようになり、和歌の手ほどきを教えるような間柄であった。栗原中尉を通じて、蹶起軍の将校達と関係を持つようになり、多分に資金援助もしたと思われる。事件後、免官となり禁固 5 年の刑に処せられた。その斉藤瀏の長女斉藤史は戦後歌会の召人になった。その時の歌会の模様を斉藤史は文芸評論家江藤淳にこう話した。
  「 私ね、宮中に上がりましたでしょ、後からついてくるんですよ、何が来たかと言うのは、聞かなくともわかりました。 2 ・ 26 事件の青年将校達のことです。それがちゃんと靴音まで聞こえるんです 」
  暴力のかくうつくしき世に住みて
  ひねもすうたうわが子守歌


  2 ・ 26 事件で蹶起した青年将校と元将校の動機と背景は蹶起趣意書が示す通り精神運動で、権力の奪取を目的とする革命とかクーデターではなかった。元陸軍大尉村中孝次の獄中記に
  「 吾人はクーデターを企図するものに非ず、武力を以て政権を奪取せんとする野心、私欲に基づいて此挙を為せるものに非ず。吾人の念願する所は一に昭和維新招来の為に大義を宣明するに在り、昭和維新の端緒を聞かんとせしにあり。 」
とクーデターによる政権の奪取を否定している。
 青年将校達が天皇を掌中にして大権の発動を強要するような計画は初めから排斥している。村中孝次は 「 吾人同志間には兵力を以て至尊を強要し奉らんとするが如き不敵なる意図は極微と雖もあらず 」 と獄中記に記してある。
 蹶起した青年将校達には天皇は神であった。だから蹶起後は 「 大御心 」 を俟ったのである。後世の史家が 2 ・ 26 事件を批判して無計画、戦術の拙劣を指摘したが、批判の前提が違うのである。
 死刑の判決を受けた 16 名の青年将校、元将校の中香田清貞大尉の外、 13 名は昭和 11 年 7 月 12 日執行されたが、磯部浅一元一等主計と村中孝次元大尉は遅れて同年 8 月 19 日に執行された。
 死刑執行が遅れ、尚獄中にいた磯部元一等主計と村中元大尉に天皇自身が彼等青年将校達を国賊視しているとの噂が耳に入った。それを聞いた彼等は奈落の底に突き落とされた想いと絶望に襲われた。磯部元一等主計の獄中記はその心境をこう記してある。
  「 天皇陛下、此の惨憺たる国家の現状を御覧下さい。陛下が、私共の義挙を国賊叛徒の業と御考え遊ばされていられるらしい噂を刑務所の中で耳にして、私共は血涙をしぼりました。真に血涙をしぼったのです。陛下が、私共の挙を御聞き遊ばして
  "日本もロシアの様になりましたね" とは将して如何なる御聖旨か俄にわかりかねますが、何でも噂によると、青年将校の思想行動がロシア革命当時のそれであると云う意味らしいとのことを仄聞した時には神も仏もないものかと思ひ、神仏をうらみました。 」
 彼等は神を喪失したのである。深刻な日本絶望であった。そして日本人は戦後、民族の誇りも失った。
 私達は島々で玉砕した多くの同朋達や、散華したいくさ人に何をもって語るすべがあるのだろうか。

参考文献

   三島由紀夫        松本徹
   三島由紀夫の最後     松本徹
   三島由紀夫 昭和の迷宮  出口裕弘
   三島由紀夫 生と死    ストークス
   三島由紀夫事典      勉誠出版
Updated 18 May , 2020