Kataro ホームページ 「 河太郎 」 14 号 平成 16 年 ( 2004 年 ) 3 月1日

巻頭言

長谷川 隆次

 近代化が伝統的な秩序を崩壊させて新しい秩序を作り出すという一面がある事は否定できないし、無規範の状態を生み出す事も事実ですが、日本の近代化、工業化は伝統的な秩序を維持しながら成功したと言えます。そして各人の規範もすこぶる古典的素養によるもので、まことに 「 論語的 」 であると言えます。
  「 民はこれに由らしむべし、之を知らしむべからず 」 ( 論語 泰伯 8  194 )
 「 民衆からは、その政治に対する信頼をかちとる事は出来るが、政治の内容を知らせることはむずかしい 」 は前に書きました。
 マッカーサー元帥の父親は日露戦争の時、観戦武官として来日されました。その父親から日本の将軍は素晴らしい人格者ばかりだと教えられたそうです。それが 「 どうしてこんな失敗をおかしたのだ 」 。その時の吉田茂首相は 「 古典を勉強しなくなったからだ 」 と答えたそうです。明治末期から大正、昭和、そして戦後は 「 古典的素養皆無 」 と進む時代であり、古典が無視される方向へ進み、戦後教育がそれを完成したと言えます。
 幕末の教育が明治維新という大事業を完成させ、明治末から大正時代の教育が高等専門学校の教育から、経学と史学の勉強が等閑にされ、もっぱら政治家と行政官僚を育てる法律学が主流となり、法解釈、運用の技術面のみに走り、重要なはずの哲学とか史学を等閑にされた結果、敗戦という大失敗を犯したと言えます。そして今、戦後民主主義が重大な誤解を生みました。
 民主主義とは政治的性度であって、この制度は人間に絶対的規範を与えるものではありません。宗教の自由、信条、思想等を保証するという事は、この制度が個人の宗教、信条、思想等に関しては各人の随意、自由であって何ら介在しないという事に他ありません。したがって各人が宗教とか信条、思想等に基ずく絶対的規範をもっている事が大前提で成立する事です。法律は起きてしまった行為に対してしかタッチしませんし、また出来ない訳です。行為を起こす、起こさないはそれ以前の各人の内的規範に依るものと言えますし、今では自分が如何なる規範に従い、社会にどの様な共通の規範があるかさえも解らなくなってしまったとしか言いようのない状態になってしまったのではないでしょうか。
  知育 ( 知能をのばすための教育 )
  体育 ( 身体を強健にする教育 )
  徳育 ( 道徳的な能力を養う教育 )
 教育の三原則です。
 戦後教育では、その教育の中から徳育が姿を消してしまいました。  知育、体育は言ってみれば知識の学問です。知識の学問は悟性の働きに依って個人差はあるにしても、誰にでも出来ます。それにマニュアルがあったりして、その結果の評価も出来ます。簡単な例が算数の足し算、引き算です。
 徳育は知識ではなく、智恵の学問です。智恵とは物事の理を悟り適切に処理する能力。科学的な知識とも利口さとも異なり、人生の指針となるような人格と深く結びついている実践的知識 ( 広辞苑 ) 。  知識を身につけた上で思案反省を重ね、経験を積み、その体験の中から人格的な学問、それが智恵の学問だと思います。しかし経験を積んだからと言っても智恵の学問にはなりません。知識の学問、経験を元に思案し因果関係を勉強する。

 学んで思わざれば則ちくら
 思うて学ざれば則ちあやうし ( 論語為政 31 )

 教わるばかりで自ら思案しなければ独創がない。自分で考慮するだけで教えを仰ぐことをしなければ大きな陥し穴にはまる ( 宮崎定市 ) 。教育、研究の妙諦を言いあてたもので、千古に通ずる真理である。教育とは要するに全人類が進化してきた現在の水準まで後世を引き上げてやる手伝いをすることである。言いかえれば個体が系統発生を繰り返すに助力する事である。もしこういう助手の存在意義を軽視して、全く独自の力でやろうとすれば、大きな時間と精力のロスに陥る危険がある ( 解題 宮崎定市 ) 。  前に古典と歴史の教育が等閑にされてきたと書きました。そして戦後の教育では完全にと言っていい程、古典と近代史の勉強をしなくなりました。人格形成の 「 徳育 」 がなされなくなったという事です。 「 徳育 」 は主に 「 経 」 と 「 史 」 に依って成されて来ました。 「 経 」 人生哲学書、優れた人物の著書、 「 史 」 歴史書のことです。 「 経学 」 とは我々の生活の原理原則を学び、信念を養い、理性を深め、いかに人格を形成するか 「 我いかに在るべきか 」 の学問です。聖賢の諸、所謂古典に依るのもその一つです。これに対して 「 我いかに在りしか かく在し故にかく在らざるべからず 」 というふうに歴史に照らして人間の在り方を考えるのが 「 史学 」 です。ですから史学は経済を実証するものと言えます。 「 経 」 は理性を深め、 「 史 」 は意志を養うべきものであって、 「経 」 と 「 史 」 は一体のものであると言えます。
 この徳育の勉強がされなくなった事が今日、絶対的規範を見失った事に繋がってしまったのだと思います。
 法律は人間が作り、成文化したものです。道徳は自然の因果節理から人間が学んだものです。多神教の日本では草にも木にも神が宿るといいます。道徳は神が作ったものと言えます。

Updated 19 March , 2021