巻頭言

長谷川 隆次


 この夏、レニングラード国立歌劇場管弦楽団釧路公演を聴きました。生の演奏に接する事が少なく、まして大編成のオーケストラの生演奏を聴ける ( 見れる ) 機会はそうザラには無いことです。いきなりチャイコフスキーの交響曲第 6 番 「 悲愴 」 で始まりました。
 昭和 30 年、日比谷公会堂で近衛秀麿指揮による近衛交響楽団の演奏を聴いた ( 見た ) のが私が本当のオーケストラを見た最初でした。その演奏会のプログラム最後の曲がこの 「 悲愴 」 でした。演奏会で自分の知っている曲が演奏されるのはとてもうれしい事です。レコードでは色々な指揮者、オーケストラの演奏で何度も聴いた曲でしたが実際、指揮者が棒を振り演奏者が楽器をならすこの光景を見、聴きした時の感激、筆舌に尽くしがたい感激でした。
 徳田先生の本誌連載の 「 釧路における音楽鑑賞活動の中で 」 での資料によると、映画 「 カーネギーホール 」 が上映されたのが昭和 28 年との事、朝弁当を持って家を出、今の丸井デパートの所にあった映画館へ直行、終日 「 カーネギーホール 」 を見ていました。動く映像によるオーケストラ、指揮者、オーケストラの編成とか、指揮棒を振る指揮者の動きを初めて見ました。ブルノー・ワルター、レオポルド・ストコフスキー、フリッツ・ライナー、ワルター・ダモリッシュ等今は亡き名指揮者を堪能しました。それにハイフェッツ、ピアティゴルスキー、ルービンシュタイン、タイン、リリーポンスなど世界を代表する演奏家の演奏を見聴きする事ができました。
 ストコフスキーは指揮棒を持たない指揮者です。チャイコフスキーの交響曲第 5 番 3 楽章、弦パートのピチカートとストコフスキーの指の表情が写し出されました。そのストコフスキーの手、指の動きと弦楽器の音との調和、しばし恍惚の境地にひたりました。映像ならでの出来る表現です。レニングラード国立歌劇場管弦楽団の演奏する 「 悲愴 」 を聴きながら、過ぎ去った日のそんな事どもに想いを馳せていました。
 今では録音技術、再生装置も進歩し、高音質、高画質のテレビ、ビデオを聴いたり見たりする事が出来る様になりました。その理論的な事は私には解りませんが、音を電気的信号におきかえてそれを再生するのですから楽器そのものの音ではない事は確かな事です。ですが、より生の音に近く、もしかして本物以上の音、そして完璧に近い演奏を聴かせてくれます。居ながらにして自分の再生装置で世界最高の演奏を聴く事が出来るのですから大変幸せな事です。
 私がクラシック音楽を聴くようになった昭和 20 年代はラジオで日曜日朝の 「 音楽の泉 」 堀内敬三さんの名解説ぐらいなものだったでしょう。蓄音機やレコードを持っている家は全く稀でした。その頃のレコードは直径 30 cm 盤 ( 25 cm 盤もあった ) で、 78 回転の SP ( スタンダード・プレイング・レコードの略 ) 両面で約 8 ~ 10 分の録音でした。ビクターは赤ラベル、コロンビアは青ラベルが盤の中央に貼ってあり、そのラベルに曲目、演奏者が印刷されていました。たしか一枚五百円だったと記憶しています。
 その頃私が親父の友人に電蓄を組み立ててあげた時、ブルノー・ワルター ニューヨークフィルハーモニーのベートーベンの交響曲第 9 番の青盤を頂きました。確か全曲 9 枚組みだったと思います。
 昭和 25 年頃 SP と同じ大きさで 33 回転の LP ( ロング・プレイング・レコードの略 ) が生産発売されました。そして昭和 38 年には今のステレオが出てきました。この頃からクラシックだけではなく各分野の音楽愛好者が急速に増加していった様に思われます。それは放送、マスコミ、そしてオーディオ機器の普及が深くかかわっている事でしたし、高度成長期に入り、豊かさの表れでした。
 今や CD 時代、 12 cm の盤に1時間以上の録音が出来ます。 SP 9 枚のベートーヴェンの 9 番が片面です。
  SP 時代は 5 分くらいで裏返したり取り替えたりし、その上針の交換をしなければなりませんでした。今では CD で余程の曲でない限り全曲聴く事が出来ます。その上検索が出来ますから曲途中の 3 楽章とか 4 楽章から聴く事も出来ます。全く便利なものです。
 音楽は作曲家が作曲したものを別な演奏家が演奏し、それを聴衆が聴きます。ですから演奏家に依って上手下手はともかくとして同じではありません。メロディを唱わせたり、テンポを落としたりして演奏家によって表現が異なります。それにそれぞれの演奏家のその曲の解釈が異なるからです。そして亦レコード制作のディレクターは自分の感覚で、ここぞと思うところでそれぞれの楽器群の音を大きくしたり小さくする事することが出来送致を通してレコードを制作しています。ですからここで亦ディレクターと技術者の胸三寸、指先で自由自在、どのような音でも合成できる訳です。
 私はやっぱり生演奏が好きです。そして亦休憩時に飲むワインがたまらなく楽しいのです。釧路でも是非やってほしいものです。
 絵画はその作家が描いた絵そのものを直接我々が見る事が出来ます。音楽と絵画の違いです。
 昔、東京みやげに藤島武二の 「 黒扇 」 の複製をいただき、今でも大事にかざっています。好きな絵の一枚です。本物は東京のブリジストン美術館にあります。何時も同じ部屋の同じ壁にあり、変らないのがいい。まずは 「 黒扇 」 の前に立ち、亦お会いすることができましたネと ―― 。


Updated 15 October, 2017