釧路における音楽鑑賞活動の中で ( その 3 )

徳田 廣


「 釧路労音 」 の誕生

  58 ( 昭 33 ) 年 11 月、約 8 年近くにわたって釧路音楽同好協会の会長を務められた高後先生が退任し、瀬戸山一夫先生が後を継がれた。財政的苦境にあった同好協会の現状をどうするか大きな課題の中での就任であった。
 当時、全国的に隆盛を見せていた音楽鑑賞団体に労音 ( 勤労者音楽協議会 ) があり、同好協会の中でも既に 2 年ほど前から金谷・徳田が労音の実状や資料を集め始めていた ( 前 7 号の表参照 ) ので種々検討の結果、全市的立場に立って新しい仕組みで音楽鑑賞活動を進めるよう具体化し、同好協会を発展的に解消して 「 釧路労音 」 ( 釧路市勤労者音楽協議会 ) とし、設立準備委員会を発足させた ( 資料 15 - A および B ) 。当面 60 ( 昭 35 ) 年、そして翌年 3 月の総会まで暫定組織として
     準備委員長 片山 睦三 ( 釧路新聞社長 )
     副  〃  瀬戸山雪子
     準備委員   26 名
     専門部として
          財政部長  石井裕二  ( 北電 )
          宣伝部長  徳田 廣  ( 弥生中 )
          〃部員   四方義美・松原秀行
          組織部長  金谷憙憲  ( 企画部員兼任 )
          〃 員   酒井正美  ( 臨港鉄道 )
          企画部長  石山幸男  ( 公民館次長 )
          〃部員   曽川義雄  ( NHK )
が当たり、事務所は北大通 13 丁目北交ハイヤーの 2 階 ( 今の河合楽器のあたり ) の釧路教材社の一部を借用し活動に入った。

「 釧路労音 」 準備 1 ( 資料 15 - A )

「 釧路労音 」 準備 2 規約案の一部 ( 資料 15 - B )

「 増え続けた会員 」

 第 1 回の例会は 59 ( 昭 34 ) 年 10 月、ピアノ、第 2 回例会は 11 月、ヴァイオリン、何れも躍動感あふれる明るい雰囲気のリサイタルが続き会員の好感を呼んだ。機関誌も 11 月から発行されたが、前記専門部担当が 11 月 11 日に決定、 11 月 16 日の例会まで間に合わせるには、編集、原稿書きは 1 月で仕上げ、印刷に回さないと間に合わない状況の中で、全 8 ページを何とか作り上げた。担当は宣伝部であった ( 資料 16 - A ) 。一方会員数の方では今までの音楽会からみれば先ずは七・八百人も集まれば良い方と推測していたが、大きく上回り、その後も増え続け>、 60 ( 昭 35 ) 年 4 月、五十嵐喜芳テノールリサイタルから 2 日制例会となったが、会員の中にはクラシック ( CM ) 以外にポピュラー ( OM ) の要望も多くなり、同年 12 月には藤家虹二セクステットを最初の PM 例会として取り上げた。その後 63 ( 昭 38 ) 年 3 月には会員数も二八〇〇名を越え、 4 月 CM に五十嵐喜芳、 PM に中原美沙緒と秋満義孝クインテット ( 2 例会 ) の 3 日制例会と推移していった。同年 4 月には厚生年金体育館が多目的ホールとしてオープンし、 5 月ソコロフ率いる国立モスクワ合唱団 ( 道新 ) が来釧、四〇〇〇人近い聴衆を集めた。これは会員拡大中の労音にとって拡大の目安となり、 6 月には三二〇〇名を越え、活動の最盛期を迎えた。

ピアニスト 高野耀子 ( 資料 16 - B )
ヴァイオリニスト 辻 久子 ( 資料 15 - C )

釧路勤労者音楽協議会機関紙第 1 号 ( 資料 16 - A )
 上のチャイコフスキーの写真の左側に書いてある字は読みずらいと思いますが、次のように書いてあります。

チャイコフスキー: 「 悲愴交響曲 」 がモスコーで演奏された日、チャイコフスキーの不慮の市が伝えられました。自殺説もあったけれど、生水を飲んでコレラに罹ったためでした。 「 悲愴交響曲 」 の演奏を聴いた人々は、作曲者チャイコフスキーの訃報を耳にして、涙を流しながらめいめいの家路に向かったと云います。それは 1893 年 11 月 6 のことでした。

「 屋体でのオーケストラ演奏 」

  60 ( 昭 35 ) 年 5 月、 ABC 交響楽団 ( 朝日放送専属のオーケストラとして発足 ) が近衛秀麿 《 資料 17 - A ) 名指揮者 E ・クライバーに師事 》 に率いられ 72 人のメンバーが来釧、この例会は釧路初のオーケストラ演奏となったが、会場は旭小学校の屋内体育館、狭いステージを拡大させた特設舞台、ゴザに座っての例会、音響も悪く、高い期待度に比べ非常に低い反響度 ( 資料 16 - D ) となり、演奏前日コントラバス、ティンパニーなどが届き、旭小の一教室を借りてまだ寒い中、泊まり込みで楽器の番に当たった僕らにとって大きなショックであり、委員会で以後の演奏会を見通して会場建設について討議し、市政関係者に陳情した ( 資料 17 - B ) 。翌年 6 月、東京フィルハーモニー交響楽団 ( 外山雄三指揮、ヴァイオリン海野義雄 ) による例会は、湖陵高校のご理解と諸先生方のご協力で椅子の移動、会場管理等の面でお世話になって例会も成功、アンコールでの外山雄三作曲 「 ラプソディー 」 は大好評だったが、終了後の椅子の移動等で委員会側の不手際があって、学校での例会に難点 ( 授業等との関係 ) を残した。

近衛 秀麿 ( 資料 17 - A )

バレエ 「 白鳥の湖 」

 同 61 ( 昭 36 ) 年 10 月、谷桃子バレー団による 「 白鳥の湖 」 全幕公演の例会は、不十分な設備とステージの広さだが、会場の収容人数の点から太平洋炭鉱の春採劇場で行うほかなかった。同劇場は臨港鉄道春採駅の向かい側の小高い丘の上にあり、市の中心部からは遠く離れていた。 2 日制の例会であり、終了後、市中心部までの交通路線の確保が大変で、 11 台のバスを増発させ ( 資料 18 - A ) 、当番サークルの会員・委員が一体となって実に見事によく対処することが出来た。会場は長椅子、リハーサルを観にいったときには椅子の周りをネズミがチョロチョロ ( 当時の市内の映画館でもそうだったが ) 。といった会場状況で "出演者に気の毒で全く申し訳なく思った" 、 "例会内容には感激した" という会員の声が多かった。

釧路市 春採劇場におけるバレエ 「 白鳥の湖 」 公演

「 照明もマイクも全てが悪い!! 」


  63 ( 昭 38 ) 年 5 月、 ABC 交響楽団 ( 指揮芥川也寸志、チェロ平井丈一朗 ) の例会では、特にドボルザークのチェロ協奏曲で  "あの感銘的な第 2 楽章で雨の音が気になって音楽に集中できなかった"  という数多くの会員も多かった。平井丈一朗はチェロの巨匠カザルスの門下 ( 資料 19 - A 、カザルスが指揮している ) 、それだけに期待も大きかったからだろう。

平井上一郎と指揮をする恩師のパブロ・カザルス

平井上一朗について
 昭和 12 年 8 月 28 日作曲家平井康三郎氏の長男として東京に生まる。小学校 2 年よりピアノと作曲を始め、 6 粘性までに、ピアノ曲、室内楽曲菅楽曲など約百曲を作曲した。中学 1 年より斉藤秀雄氏につき、チェロを学び、昭和 29 年第 23 回音楽コンクール第 1 位と苦笑、同年第 1 回文化放送音楽賞と苦笑を受く。ピアテゴルスキー氏の推薦により、昭和 32 年 2 月巨匠パブロ・カザルスの門に入った。同年秋パリで開かれた第 1 回パブロ・カザルス国際コンクールにおいて特別賞を獲得、以来死とともに欧米各地を旅行し、研究と演奏活動を続けた。
 特に 1960 年にニューヨークで行われたアメリカチェロ教会のためのリサイタルでは欧米一流の名チェリスト達から絶賛を浴びた。
 又 1961 年ニューヨークで行ったリサイタルでは、ヘラルド・トリビューン紙に最高のコトバをもって賞賛されている。

 この例会は厚生年金体育館でのオーケストラ演奏の事実上のこけら落としであったが、音響その他で新しく会場問題が浮上し、 64 ( 昭 39 ) 年 3 月、宮城まり子は例会終了後、会員との座談会で "はっきり言って、照明もマイクも幕なんかも全て悪いです。これじゃお客様に悪くて、わたしの場合は他の歌い手さんと違って芝居も入っていますからマイク ( 特にワイヤレス ) 、照明の設備が悪いとわたしそのものが死んでしまうのです。また、わたしがお芝居に入ろうとするとき、外の光が、特に自動車のヘッドライトが気になってだめです。バラードには絶対向きません。みんなでカーテン作ったらどうですか"  と痛烈な批判。体育館の両サイドはガラス張りで幕はなく音響が悪い上、確かにステージからみて右手の方は日赤病院横を大きくカーブして来る車のライトは本当に邪魔であることは素人にもわかっていることであった。体育館に種々の問題があって、内部設備の改善等について市も検討の方向にあったので、釧路労音としても前述したような状況を説明し、会員の多くがピアノコンチェルトの演奏会を望んでおり、体育館にもフルコンサートピアノを早期購入してほしい旨、当時の青山教育長さんを訪ね、重ねがさね要請した。
 前記した国立モスクワ合唱団演奏会の時にもピアノが問題となり、ピアノがなくて公演不可能となれば、国際親善という意味でも影響があるので、公民館のフルコンは館外持ち出し厳禁となっていたが今回のみという条件付きで楽器店が損傷のないよう慎重に運搬して公演が行われたというのが実情であった。


「 こけら落としは "皇帝" 」

 かねて要請していたピアノも体育館に常備され、 64 ( 昭 39 ) 年 5 月、東京フィルハーモニー演奏会 ( 大町陽一郎指揮 ) は、モーツアルトの 「 アイネクライネ 」 で始まり、ベートーベンのピアノ協奏曲第 5 番 「 皇帝 」 をはさんでブラームス交響曲第 1 番で結んだ。 「 皇帝 」 は 2 年位前から会員の希望が圧倒的に多く、この日は待望の例会であり、当時の優れた新進のピアニストで現在世界的に活躍中の館野泉の繊細・情熱的な演奏の 「 皇帝 」 で、体育館のフルコンの初めての音が鳴り、また釧路市での初めての本格的なピアノ協奏曲演奏の幕開けともなった。しかし、多目的ホールとは言いながらもやはり体育館、会場問題の解消は 79 ( 昭 54 ) 年の市民文化会館のオープンまで待たねばならなかった。一方、公民館も 2 階席へは 1 階客席の左右両サイドの階段を昇らねばならなかったり、ステージ左上方の音量調整室のコンクリートむき出しの壁の結露で水滴が高所から落ちる音がステージにも響き、雑巾を取り替え取り替え音を防がねばならなかったり、会場問題は実に悩みが多かった。


「 税金をめぐって 」

 この問題には①入場税撤廃、② 「 人格なき社団 」 への課税の問題があった。
 ①入場税撤廃運動ー入場税は 37 ( 昭 12 ) 年、日中戦争が始まった翌 ( 昭 13 ) 年、戦争の財源確保のために音楽・舞踊・演劇・映画は 「 ゼイタクだ 」 として課せられ最高時には税率 150 % にもなった。戦後 16 年を経た今日 ( 昭 36 年 ) では既にその立法根拠は失われ、美術展は娯楽性は少ないとの理由で撤廃され、遊興飲食税も減税されている状況の中、音楽・舞踊については 10 % の税率で残り、音楽・舞踊の入場税収額は国の入場税総収額の中、僅か 1.2 % にしかすぎなかった。既に東京では東京芸大学長の小宮豊隆氏を委員長に 「 音楽・舞踊入場税撤廃運動委員会 」 が作られ、同氏病気のため作曲家山田耕筰氏が委員長となり、藤原義江、芥川也寸志らをはじめ、 N 響、東フィルなど 5 交響楽団、藤原・二期会の歌劇団、日本舞踊・長唄・能楽・全日本舞踊・日本バレーの各協会、朝日・毎日・産経・読売の各新聞の東京本社、歴史家上原専録氏を中心とする国民文化会議など代表的なものだけでも 55 団体が国会への陳情書に名を連ねていた。入場税の撤廃は、芸術文化にかかわる基本的な問題であった。必然的に全国労音もこれに加わり、国会だけでなく、各地域の自治体ににも陳情活動を勧め、釧路でも 「 資料 20 - A 」のような成果を見た。


「 資料 20 - A 」 音楽・舞踏などの入場税撤廃に関する決議

 現行入場税法は、芸術部門のうち絵画書道、彫刻などだけが課税対象からはずされいるのみで、最も国民的な文化である音楽、舞踏、演劇映画が課税の対象とされ、これら演奏会、公演は赤字続きで税負担に応じられないばかりかその発展を妨げている状態にある。
 先進諸国のほとんどが入場税が廃止されているばかりでなく、これら文化部門には国家の保護援助が与えられ、その育成発展に努めていることを考える時、文化国家として誇りを持つ、わが国の名誉のためにも、これが入場税撤廃について関係機関で処置されるよう要望する
 上記決議する。

昭和 38 年 10 月 4 日

内閣総理大臣、大蔵大臣、通商産業大臣、国税長官 宛

 ② 「 人格なき社団 」への課税 ―学者によると 「 法人に非らざる社団または財団にして、代表者または管理人の定めるもの 」 を 「 人格なき社団 」 と言い、政党、 PTA 、同窓会、町内会などがこれに当たり、労音も 「 会費を持ち寄り良い音楽を安く聴こう 」 という人々の集まりなので、これに当たると考えられた。 『 56 ( 昭 31 ) 年 6 月、国税庁長官のところへ東京労音から一通の質問書が届けられた。それには 「 当会は東京都内や付近の組合、職場、学校その他における 3 人以上の音楽愛好者の集まりから出来ている団体です。法律上の地位はいわゆる人格なき社団です。私たちの団体が税を納めなければならないというのは税法のどこに明記されているのでしょうか。その条文を税界きっての理論家である長官におききしたい。 」 という意味のことが書いてあった。人格なき社団については民法上、税法上でも触れていないので、この質問には長官もほとほと手を焼いたらしく結局長官からは文書による正式回答は出されなかった。 』 ( 「 税金にっぽん 」 毎日新聞社刊 ) 。しかし、翌 ( 昭 32 ) 年 「 人格なき社団 」 等がどのようなものを指すのかも規定せずに、所得税法、法人税法などで納税義務者として規定したので国会でも論議を呼び、 58 ( 昭 33 ) 年、東京、大阪、京都、神戸等の労音は入場税の納税について提訴した。 61 ( 昭 36 ) 年になると政府は国税通則法制定にとりかかり、 「 従来人格のない社団等租税に対して治外法権のもとにおかれていたが、それでは租税公平の原則に照らして芳しくないので、これを法人とみなして国税全般について課税する 」 として来たので、国会でも更に論議を呼び、労音も課税は不当であるとして全国的に訴訟を起こすことになり、 「 資料 20 - C 」のような動きも活発となった。地域によっては税務署とのこぜりあいも起きたりした。こうした労音の動きに関連して、 「 昭 36 年全国労音会議で  "勤労者の立場に立つ音楽運動" をと定めた労音の基本任務とこの入場税問題が政治色を増し、後の会員数減少を招く原因につながる 」 ( 「 北海道音楽史 」 前川公美夫著 ) との見方も出てきた。釧路労音は発足当初の全市的、いわば町ぐるみの音楽鑑賞団体であるという原点を見失わないよう留意し、全国労音の足並みに対処した。片山前委員長の後を継いだぼくは、会員の拡大、複数制の例会、 CM と PM の選択、会場問題、そして税金問題と忙しい中にいたように思う。人格なき社団等への課税についての市議会への陳情は、前記の入場税撤廃の陳情と共に行ったが提訴中のこともあって継続審議となった。


「 資料 20 - C」 藤原義江・千田是也 連名の声明

 私たち日本の音楽、演劇文化の創造にたづさわる者として、今回の労音、労演に対する課税には、反対し抗議する。
 分けても勤労者が、音楽、演劇人と協力して音楽、演劇文化界果たしている積極的な労音、労演の役割に対して、五年間も埋もれていた法人税を適用し、一方的に課税決定したことを遺憾に思います。労音、労演は、勤労者がサークルを作って自主的に集って、果皮を持ち寄って運営している文化運動です。これを一般の営利会社と同様に扱ったことについては、深い疑惑を抱いています。
 間接的に調査し ― 課税決定 ― 差し押さえ強行という一連の動きをみても、労音労演の主張する異議申し立てを無視し、公聴会の要請も断り、 「 問答無用 」 の権力を振りかざした高圧的な圧迫ではないかと恐れているのです。
 労音、労演にたいしのしかかる圧力は文化運動に対する圧迫であり、遠からず文化運動、文化人全体を脅かそうとする暗さを感じています。
 速やかに、課税決定を取り消し、不当な干渉をやめることを要望します。
 又 「 人格無き社団 」 に法人税を適用する等の法文を廃止し、戦前からの悪税である入場税を撤廃することを強く要望します。

一九六三・六・二五
藤原義江
千田是也

「 カザルスと勤労者音楽協会 」


 少し横道にそれたが 『 巨匠パブロ・カザルスは一九二〇年、自らの手によって 「 パブロ・カザルスオーケストラを創設し、労働者のなかにオーケストラ愛好組織を作ろうとし、 ( 中略 ) 労働者が中心となって運営するカザルスオーケストラの年何回かの公演を決め、市内の 「 オリピア劇場 」 で試験的にコンサートを開いたところ労働者や組合員が2000人も来て盛会となった。この成功で一九二九年、労働組合が主催するきわめて安い会費による 「 勤労者音楽協会 」 が設立された。毎年 6 回、日曜日の午前に定期的に開かれ、カザルスは働く人々に安い料金で音楽を提供する演奏会を開き続け、協会員はのち 30 万人にまでに増え、カタルーニア各地に支部ができるまでになった。バルセロナ市もこれに全面的に協力し、コンサートをやる日は昼間働く人たちが行けるよう官庁を休みにするほどになった。カザルスは 50 才半ばになっていた。 』 と放送評論家の石井清司著 「 4 分間の第九交響曲 」 で報告している。フランコ政権とファシズムと戦ったカザルスの偉大さの一面のほか、カタルーニア民謡の 「 鳥の歌 」 を演奏するカザルスの姿を想い浮かべながら、カタルーニアの人々の音楽への深い愛と力の強さを覚え、偶然、労音の正式名と似た協会の名に目を止め文化への思いの日本との異なりを感じた。


「 伝統音楽とのとりくみ 」

  62 ( 昭 37 ) 年、東京労音の主催で 「 伝統音楽をいかに生かし、いかに発展させるか 」 をテーマに第 1 回伝統音楽研究会全国集会が東京文化会館で開かれた。全国労音ニュース別冊によれば、音楽学者の田辺尚雄、岸辺茂雄、吉川英史、小泉文雄など当時 NHK の放送などを通して日本の音楽について解説を続けていた人たち。作曲家では大木正夫、小山清茂、菅野浩和、清瀬保二、箕作秋吉、安部幸明等、民謡研究家の町田嘉章、邦楽演奏家の岡本文弥 ( 新内 ) 平井澄子 ( 箏 ) 松島庄十郎 ( 東音会 ) 北原篁山 ( 邦楽 4 人の会 ) 歴史家の松本新八郎、音楽評論家の松本太郎、山根銀二などの他各地労音から 100 名をこえる参加者の中、日本音楽の特質 ( 田辺 ) 民謡の発生と発展 ( 町田 ) 和音 ( 小山 ) 現代邦楽の問題点 ( 岸辺 ) 邦楽の微妙な美しさをいかに受け止めるべきか ( 吉川 ) 各国での民族音楽の取り組みの態度と日本での問題点 ( 小泉 ) 邦楽演奏者の立場から ( 北山 ) 等についての研究討議、翌 63 ( 昭 38 ) 年には 「 日本民族と日本音楽、それをどう生かし発展させるか 」 をテーマに芝裕泰、中能島欣一、野沢喜左衛門など雅楽、文楽等の第一人者に加え山住正巳 ( 教育 ) 園部三郎 ( 評論 ) も参加、 「 わらべ唄の研究 」 ( 小泉 ) の記念公演等のほかに、東京労音での歌舞伎 「 鳴神 」 、神戸労音の 「 文楽 」 、佐賀労音の 「 郷土芸能 」 などの例会報告などが行われ、来日中のソ連の作曲家ハチャトリアンも姿を見せた。こうした動きの中で釧路労音では、わらび座、平井澄子 ( 資料 21 - A ) 、花柳徳兵衛舞踊団、京都の祇園祭発生の様子をテーマにしたバレー 「 祇園祭 」 ( 舞台監督・木下順二、演出・宇野重吉、作曲・間宮芳生、振り付け・松山樹子 ) が民衆の役で釧路の労音会員も参加して厚生年金体育館で行われた。結果的には東京労音での上演の下準備の感があり、やや不満が残った。これらの例会を実施する一方で、北海道学芸大教授の谷本一文先生 ( ハンガリーの音楽、バルトーク等東欧の民族音楽の研究家であり、伝統音楽研究会の特別講師でもある ) を招いての講演会、サークル内では雅楽から現代邦楽までレコードによる日本音楽史的な学習の雰囲気も出てくるようになった。

わらび座 特別邦楽構成 ( 平井澄子 構成 資料 21 - A )
原信夫とシャープ&フラッツ ( 資料 21 - B )

「 人気高いラプソディ 」

 外山雄三の 「 管弦楽のためのラプソディ 」 は国外で圧倒的な好評を得た人気高い曲の代表である。前記した東フィルの釧路での例会のアンコール演奏でも大好評。ソーラン節、八木節、あんたがたどこさなどのメロディやリズムが楽しく彩られているからだろう。民謡を取り入れた楽曲には小山清茂の 「 管弦楽のための木挽き唄 」 があり、木曽節などが取り上げられ、池辺晋一郎の 「 河呼ぶ最上川舟歌 」 、外山・池辺・林光などのシンフォニックスケッチには、こんぴらふねふね、青菜採る唄、江差追分などが入る。西洋の楽曲では、グリーンスリーブスが主題となる幻想曲 ( ヴォーン・ウィリアムス ) 、ブラームスのハンガリー舞曲 ( 全てが民謡そのものという人もいる ) 、他にショパン、ドヴォルザークなど民謡、舞曲を含むものは数知れない。シベリウス、バルトーク、ロシア国民楽派などが代表的と言えるだろう。日本音楽の音階や和音や拍子は数理的な西洋音楽と異なるのでこれを採用し作曲するのは大変だろうが、武満徹のオーケストラ・琵琶・尺八による 「 ノーヴェンバー・ステップス 」 に見られる語法はその点で見事に結実しているのではなかろうか。ズブの素人のぼくの勝手な解釈だけれどいかがなものか。
 当時、労音が取り組んだ 「 音楽の民族的・民主的大衆的発展をはかる 」とした労音の基本任務は政治的とか左傾化との批判が労音の内外にあがり、会員の減少を招くことにもなったという意味のことを前記した 「 北海道音楽史 」 は記しているが、現時点から見ればむしろ伝統的、民族的音楽の探究は広く、大きく進んでおり、重要さを増してきているように思われる。小泉文雄の世界各国、特にアジア全域にわたる各地の民謡、歌舞など各種にわたる音・メロディ・リズム等をはじめ楽器の収集は貴重なもので、 NHK 放送などを通じてその研究成果が研究者はもとより一般人の広く知るところとなり、大きな功績を残した。
 労音の会員の感動に支えられて、その評価を高めたのは津軽三味線の高橋竹山ではなかったろうか。竹山は労音の例会を通してその活動を広めていった一人であった。
 また、平井澄子 「 日本の音をたずねて 」 ( 資料 21 - A ) での八王子市 「 車人形 」 = 小さな箱車 ( ろくろ車 ) に乗って一人で車と人形を操る ( 文楽では三人だが ) この貴重な伝統芸能の存在と芸への工夫・妙味に強い関心を寄せ、伝統芸能への目を開かれた人も多かったように思う。

 ところで釧路労音の例会にはどのようなものが取り上げられていたのだろうか。紙面の都合で数多い内容の全てを書くことは出来ないので、主な例会のみを次に列記 ( 別表 ) するに止め参考に供したい ( 資料 22 - A ~ M )

別表

主な例会 ( 59・10 は 「 1959 ( 昭和 34 ) 年・10 月 」 の意味、以下同じ )

        59・10   高野耀子ピアノ
        59・11   辻久子ヴァイオリン
        60・ 1   田中希世子ピアノ
        60・ 4   五十嵐喜芳テノール
        60・ 6   海野良雄ヴァイオリン
        60・ 9   巌本真理ヴァイオリン
        60・10   平岡洋一 木琴
        61・ 2   砂原美智子ソプラノ
        61・ 5   今井久仁恵ソプラノ
        61・ 5   布施隆治テノール
        61・ 7   植野豊子 ( V ) 館野伊豆伊 ( P ) ジョイント
        61・11   安川加寿子ピアノ
        62・ 2   藤原義江・戸田政子・木内清治 オペラ
        62・ 4   立川澄人バリトン
        62・ 9   江藤俊哉ヴァイオリン
        62・10   栗林義信バリトン
        62・11   井内澄子ピアノ
        64・ 8   平井丈一郎チェロ
        65・ 4   友竹正則バリトン
        67・ 4   潮田益子ヴァイオリン
        68・ 6   中村紘子ピアノ
        70・12   ステファノ木内・宮原徳子ジョイント
        71・ 7   吉田雅夫フルート
        72・ 2   園田高弘ピアノ

室内楽     61・ 3   ジュピタートリオ
        61・ 8   NHK 弦楽四重奏団
        62・ 3   プロムジカ弦楽四重奏団
        63・ 3   チャイコフスキー トリオ
        65・ 3   巌本真理・黒澤俊夫・坪田昭三 ピアノトリオ
        65・ 9   アマティ弦楽四重奏団

オーケストラ  60・ 5   ABC 交響楽団 ( 近衛日で麿)
        61・ 6   東京フィルハーモニー ( 外山雄三・海野義雄 )
        62・10   NHK 札幌放送交響楽団
        63・ 5   ABC 交響楽団 ( 芥川也寸志・平井丈一郎 )
        64・ 6   東京フィルハーモニー ( 大町陽一郎・館野泉 )
        65・ 5   ABC 交響楽団 ( ピンカース )
        69・ 9   札幌交響楽団 ( ペーターシュバルツ )

合唱・バレエ  59・12   東京コラリアーズ
        60・ 7   東京懇請合唱団
        61・12   二期会合唱団
        65・ 6   中央合唱団
        61・10   「 白鳥の湖 」 谷桃子バレエ団
        63・10   「 祇園祭 」松山樹子バレエ団

海外演奏家   60・ 6   チェコトリオ
        61・ 4   ヨーゼフ・ハーラ ピアノ
        61・ 9   A・モラベッツ ヴァイオリン
        62・ 5   コミタス弦楽四重奏団
        62・ 7   S・チェンガンチェフ バス
        63・ 1   アリゴポーラ テノール
        63・ 2   ヤーセック・ハーラ ジョイント
        63・ 7   W・ウィルコミスカ ( V )
        64・ 5   A ・ エイゼン バス
        64・12   ゲヴァンチハウス弦楽四重奏団
        66・ 2   E・ファルー ギター
        66・ 3   R・スメジアンカ ピアノ
        73・ 6   ポーランド ワルシャワ フィルハーモニー
        73・ 9   プラハ少年少女合唱団

ポピュラー ( PM )
        60・10   藤谷虹二ゼックステット
        61・ 7   北村維章とシンフォニエッタ ( 岸洋子 )
        62・ 2   南里文雄とホットペッパーズ
        62・ 4   仲原美紗緒と秋満義孝クインテット
        62・ 6   東京キューバンボーイズ
        62・ 7   薗田憲一とデキシーキング
        62・ 6   中村八大モダントリオ ( 真理ヨシコ )
        64・ 2   北村英治クインテット
        64・ 8   有馬徹とノーチェックバーナ
        64・ 9   キンテー ( 五重奏 ) ・ レアル ( ラテンの王様 )
        65・ 2   三山利之とニューハードオーケストラ
        65・ 7   ジョージ・ルイスとニューオーリンズ
        65・ 8   原信夫とシャープアンドフラッツ
        65・11   O・プグリエーセとおるケスタティピカ

ボーカル 他   61・ 8   ダークダックス
        62・ 1   石井好子 シャンソン
        62・ 7   高英男 シャンソン
        62・ 8   ボニージャックス
        64・ 1   芦野宏 シャンソン
        64・ 3   宮城まり子 ショー
        64・ 5   岸洋子 シャンソン
        64・ 6   デュークエイセス
        66・ 2   坂本スミ子 リサイタル
        66・ 4   丸山明宏 ショー
        66・ 9   ペギー葉山 ショー

伝統音楽    62・ 6   わらび座
        65・ 2   平井澄子 ( 日本の音を訪ねて )
        66・ 1   花柳徳兵舞踏団
        66・ 5   わらび座合唱団

講演             鈴木鎮一 ( 才能教育 )
               松元鍼八郎 ( 音楽のはじまり )
               山根銀二 ( 時代と音楽 )
               谷本一之 ( ハンガリーの音楽 )

プロムジカ弦楽四重奏団 ( 1962 年 3 月 ) ( 資料 22 - A )

平岡養一 木琴 ( 1960 年 10 月 ) ( 資料 22 - E )


ABC 交響楽団 ( 芥川也寸志指揮、チェロ 平井上一郎 1963 年 5 月 ) ( 資料 22 - F )


チェコトリオのメンバーを囲んで ( 1960 年 6 月 ) ( 資料 22 - C )

ー以下次号ー

Updated 1 May , 2020